アデュー。別れの挨拶。
それは、au revoir以上の、永遠の別れの可能性を含んだ挨拶。
さよなら以上のさよなら。
そのたびに、そのたびごとに、死は、世界の終わりである。
それは、世界内の誰かあるいは何かの終わり、単純に生きている者の終わり、数ある終わりの内の一つであるだけでなく、死は、世界内の誰かを終わらせるのでも、数ある世界の内の一つを終わらせるのでもない。
死はそのたびに、そのたびごとに算術の挑戦に立ち向かって、ただ一つの同じ世界の絶対的な終わり、それぞれがただ一つの同じ世界として開始するものの絶対的な終わりを印づけるのである。
そのとき、生き延びる者は、ただ独りで残されるのだ。
他者の世界を越えて、生き延びる者は、同様にしていわば世界を越えているか、あるいはその手前にいる。
世界の外の世界、世界を奪われた世界の中にいるのだ。
「世界はなくなってしまった、僕はおまえを担わなければならない。
(Die Welt ist fort, ich muss dich tragen.)」
ツェランのこの詩は、少なくとも自分がただ独りで責任を負う者だと、他者をも彼の世界をも担う定め、消滅した他者と消滅した世界そのものとを担う定めを感じさせる。
世界なしに(weltlos)、どんな世界の土地もなしに、以後は、世界の終わりの彼方の地の果てのような、世界なしの世界で、ただ独りで責任を負う。
