まず、初めに新年あけましておめでとうございます。別に正月に限らず、一年365日、24時間体制でめでたい梶山盛輔でございます。
一昨日の夜、七か月ぶりにお酒を飲み改めてつくづく身に沁みました。
やはり、アルコールは我々人間にとって毒物以外の何物でもありません。
一昨日飲んだせいで、昨日は何一つやろうと決めていたことが出来ませんでした。
そりゃ、「おまえの飲み過ぎが悪いんだよ。お前の飲み方の問題をアルコールそのものの問題にするなよ。」という批判もあります。
しかし、物事全て大げさに、大胆にやらない事には事の善悪の区別がつかないのではありませんか?
もし、その考えがまかり通るのであれば、ほんのちょっとの泥棒、ほんのちょっとの詐欺行為、ほんのちょっとのちょろまかしまでが容認されてしまい、世の中がおかしくなってしまうのではありませんか?
もちろん、実社会ではほんのちょっとの泥棒も、詐欺もちょろまかしも許されません。
程度があるだけで処罰を受けます。
お酒も飲み過ぎがだれの目から見ても明らかに良くないことであるように、少量であってもよくはないのです。
「だけど、酒は百薬の長というじゃないか」という声も確かに聞こえてきます。
はい、医者や専門家の言うことを鵜呑みにするのはそろそろやめませんか?
毒は毒であって、それが少量であろうが多量であろうが、毒であることに変わりはないのです。
大量に飲んだら体に悪い毒が、少しだけ飲むと逆に体に良い???単純に考えてそんなものあるはずはないというのはだれにでも明らかなことです。
その他にも「この世の万物は人間の役に立つという目的をもって神によって創られた。」という人もいます。
もちろん、お酒にも用途はあります。
料理に使うとか、強力な洗浄剤にもなりますし、火を起こすときの燃料にもなります。
アルコールが人間にとって有用な時もあるのです。
しかし、何だって有用な時もあれば、害になるときもあるのです。
「酔っぱらうために神はお酒を我々人類に与えた。」というのであれば、「海で溺死させるために、神は海を創った。」「殺し合いをするために、神は人類に武器を与えた。」という言い訳さえ成り立ってしまいます。
こういう意見を聞いているとお酒を飲むということはすべて都合のいい言い訳であることがよくわかると思います。