ゴータマ・シッダールタは仏教の開祖で、紀元前500年ぐらいの人。釈迦とも言うが、シャーキヤ(梵: शाक्य Śākya)は、釈迦の出身部族であるシャーキヤ族、または、その領国であるシャーキヤ国を指す。つまり、古代北インドの一部族・小国のことである。

 

 釈迦が太子(ヴィパッシン王子)だった時に、東西南北の門から城外に出た時の心境を赤裸々に語っている。

 「東門を出て杖にすがる老人を見て老あるを悟り、

 西門を出て病人に会い、生あれば病あるを知り、

 南門を出て死人に会い、生あれば死あるを知り、

 最後に北門を出て高徳の沙門に会い、出家の志を立てた。」 出典 小学館 / デジタル大辞泉

 

 四門出遊(しもんしゅつゆう)は、釈迦が王城の東西南北の四つの門から郊外に出掛け、それぞれの門の外で老人、病人、死者、修行者に出会い、現実の苦しみに対する目を開くきっかけとなった。四苦とは、根本的な四つの思うがままにならないことで、出生・老・病・死である。

 

 さて、私も含めて私の世代は高齢になり今や生きてきた年数よりも死ぬまでの年数のほうが全く短いという事態になった。私はこの釈迦の四門出遊の故事を若い時にも読んだのだが、この度は、上述の「東の門」を強く意識したのは年のせいでもあろうか?

 

 次に、釈尊とチャンダカ(御者)の会話は傾聴に値する。釈迦は最初に老人に会い、老いがもたらすものを知ることとなった。釈迦が御者に老人について尋ねた時、老化はすべての存在に同様に起こるものであると答えた。

 「友なる御者よ、この者はどうしたのか? 彼の髪は他人とは異なる、彼の体も他人とは異なっている」
 「殿下、彼は老人であるのです」
 「老人とは、いったいどういう者であるのか?」
 「殿下、老人とは、もはや長く生きることはできないという者です」
 「御者よ、それならば私もまた、老いる者、老いを避けられないのだろうか」
 「殿下、あなたも我々も、老いる者、老いを避けられないのです」 出典 長部大本経

 

 城門を出て老人や病人や死人をまのあたりにして、これが自分自身のまぎれもない未来であることをその時、深く悟ったのである。こうして、シッダールタは王族としての安逸な生活を捨て、人生の真実を見極めようと志し、29歳で出家した。

 

 パーリ仏典*優雅経では、釈迦はかつて自分が宮殿生活をしていた過去を振り返って、抱いていた「若さの慢心」「健康の慢心」「生への慢心」がすべて捨てられたと述べている。

「比丘たちよ、私はそのとき深く洞察し、青年期における若さの慢心が全て捨てられたのだ。
 比丘たちよ、私はそのとき深く洞察し、健康であるときの健康の慢心が全て捨てられたのだ。
 比丘たちよ、私はそのとき深く洞察し、生命における生への慢心が全て捨てられたのだ。

 比丘たちよ、これら3つの慢心がある。いかなる3つか。若さの慢心、健康の慢心、生命の慢心である。」 出典 増支部三集優雅経

 

 私は若い時、一生自分は若いと思っていたが、さにあらず、いつのまにか、年を取ってしまった。考えるに若さは確かに「宝」だが、「自惚れ」という落とし穴もあって、若さは良い面だけではなさそうだ。若さは慢心ともなり、例えば、私の青年期を振り返ってみても年配に「生意気な態度」を取ったり、世間一般の人に「小賢しい言葉」を吐いたりと。又、最近、私の両親の世代の人が亡くなってゆくのを目にするのだが、やがて自分も含めて同世代のみんなも世を去ってゆく。身体は老化しゆくので、健康体を取り戻す必要はないいずれ病気になって身は滅びゆくというのは、自然の摂理だろう。仏教でいう輪廻転生を信ずるなら、我らには前世(過去世)があって、来世(未来世)には新しい肉体を持って生まれて来るのだから、その時は今のように老体に鞭打って酷使する必要もなくなるだろう。

 

 35歳のシッダールタはインド北東部ビハール州のガヤーで、村娘スジャータ―の乳粥の施しを得たことで、過度の快楽が不適切であるのと同様に、極端な苦行も不適切であると悟って苦行を放棄した。その後、ピッパラ樹(菩提樹)の下に座して瞑想に入るが、その最中、欲界の魔王は成道(じょうどう)を阻もうとして自ら弓矢をとり、つまり、武器をもって威嚇しにかかってきた。だが、太子はびくともせず、追い払う。又、魔王の三人の娘は媚態を演出して太子を誘惑しようとした。しかし、これら魔女もやがて醜い老女と変じ、失敗に終わる。

 最後に、魔王曰く、

 「苦行を続けよ、それによってのみ、若者は清浄な境地に至る。汝、浄めの道を離れるなかれ。清められることなく清しと思うなかれ。」と。

 太子、答えて曰く、

 「不死のために、苦行を続けたれどすべて益なきことと覚れり。陸に上がりし舟の櫨舵のごとくにそれは、まったく用をなさざり。われ、戒と定と慧を体し、菩提の法を修め来たりたり。かくていや無上の清浄界に立つ。破壊せんとする者よ、汝の力は尽きたり。」

 魔王はここに至って「仏陀はわれを見破ったか」と敗北を覚った。

 

 私なりの解釈が許されるなら、ここで言う魔王というのは、釈迦自身に内在する魔である。何も敵は外だけに存在するとは限らない。自身の中にもいる。この謂いは魔王の弓矢の脅しに瞑想中の釈迦が「恐怖」を感じて後退・降参するか、あるいは、魔王の娘3人が色気を使って釈迦の「愛欲」を引き出し修行を中断させ得るかという凄まじい闘いだ。これらに勝利する方法があるとすれば、次の通り ― 己を律する方法、つまり、セルフコントロールだ、と言っても、このコントロールもそう簡単にできるわけではない。仏教では「戒定慧の三学」だと言われ、ここで詳細にわたる説明は割愛するが、ちなみに、三学(巴 : tisikkhā)とは、釈迦によって示された、仏道を修行する者がかならず修めるべき3つの基本的な修行項目をいう。三勝学(さんしょうがく)とも。具体的には、戒学・定学・慧学の3つを指す。

 

 結びに、今までキリスト教に関する題材を少なからず扱ってきたが、そうこうするうちに「仏教とは何か」と頭をよぎった。日本人には余りにも仏教が身近にあるので、いわゆる「灯台下暗し」か、教義を見過ごしてしまいがち。また、ブッダガヤには1976年に一ヵ月滞留したこともあり、懐かしさの余り触れずにはいられなかったのだ。

 

ブッダガヤの大菩薩寺

 

*パーリ仏典(パーリ語仏典、パーリ聖典、Pali Canon)、あるいはパーリ三蔵(巴: Tipiṭaka, ティピタカ、三蔵のこと)は、南伝の上座部仏教に伝わるパーリ語で書かれた仏典である。北伝の大乗仏教に伝わる漢語・チベット語の仏典と並ぶ三大仏典群の1つ。パーリ経典(パーリ語経典)とも呼ばれることがある。日本でも戦前に輸入・翻訳され、漢訳大蔵経(北伝大蔵経)、チベット大蔵経に対して、『南伝大蔵経』『パーリ大蔵経』(パーリ語大蔵経)などとしても知られる。