三十路半ばの暇つぶし

三十路半ばの暇つぶし

横浜で営業マンやってます。自分が日ごろふとした瞬間に考えたことをジャンルなしで記録していこうと思います。

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前回記事


渾身の餌をペットボトルに入れ、選定した木にくくりつけていった。




◼️ニオイ拡散中◼️

ペットボトルからはものすごい臭気が流れ出ている。

甘い腐臭という表現がまさにしっくりくる、危険な臭い。我ながら傑作である。

余談だが外で発酵させている日中、しっかりジップロックで密閉しているのにもかかわらず、カナブンが寄ってきた。それだけ強烈である。

しかし、恐ろしいものを作ってしまった。

間違いなくゴ○ブリはくる。
むしろ、こない要素がない。明らかに誘う臭いだ。

もしトラップをつくるときは、○キブリがきてもいい場所でやることをおすすめしたい。

バナナ、パイナップル、桃とバリエーションは豊富。あまりの見た目にお見せできないのが残念。




◼️フィールドワーク楽しい◼️

それにしても、こうして公園を歩くと、様々な発見がありとても楽しい。

新型コロナが爆発的に蔓延して、僕らはステイホーム、ソーシャルディスタンスなんて流行り言葉でごまかしながらも暮らしている。

そりゃ、全く効果がないわけではないけれど、一方でウィズ•コロナだとか、新しい生活様式なんていう騙し言葉に操られ、思いきり感染拡大させながら経済を回す日々でどれほどの意味があるんだろうか。

こうなってくるともはや、自分達がどういう行動をとるか、どう自分や家族を守るか、すべて自己責任ということだ。

そんななかで息子と近隣のあらゆる公園を歩いた。

コンクリートの街に囲まれて、ポツンと存在する公園の自然には生命が凝縮されている。この小さな世界で生まれ、朽ちていく生命。

じっくりと散策することで色々な生命との出会い、触れ合いが生まれ、それは息子にとって、とてもいい経験になっている。

最近では休みのたびに公園散策をねだるようになった息子こころなしか、以前より活発になり自分から周囲ともコミュニケーションをとるようになった。



また、公園で出会う見知らぬお友達の年齢はバラバラ。顔ぶれもいつも違う。

だからいい。

経験を共有する彼らは、出会った瞬間に友達になる。

そうした子達とのコミュニケーションは息子にとって、保育園以上に有意義な経験をしていると言えるのではないだろうか。

こういうことを言ってしまうと、経済を回す世の中の動きに反してしまうが、別にレジャー施設やショッピング•モールに行ってお金をつかわなくても、子育てには全く支障はないし、僕自身も息子と自然を歩き経験を共有することで、陥りがちな『ごまかし育児』をしないで済んでいる。

僕自身も、夢中になってとても楽しい。30代半ばにして思い出した少年時代の記憶、懐かしさ、それから新しく知ったことも数知れない。

また今回のように試行錯誤しながら、実験して、一喜一憂するのも本当に楽しい。


近所の子供達との触れ合いも最高だ。

釣りあげたザリガニを見せたら『すげーっ!』ていう子供達のあの目。

そんなことを思いながら、僕は夜の雑木林を歩いていた。




◼️Gift◼️

仕掛けを着々とこなして、最後の木に到着した。

ここは昼間、息子と落ち葉を掘って楽しんだエリアだ。

いい感じの落ち葉の布団。
昼間みると、鮮やかな緑とオレンジや赤色の落ち葉、それを繋ぐ焦げ茶色の樹木。色彩豊かな風景である。

踏み締めるたびにカサ、カサと心地よい音が耳に入ってくる。

めくればダンゴムシやミミズ、ハサミムシがたくさんいたっけ....

僕は仕掛けに餌を入れて、願いを込めて木にくくりつけようと顔をあげた。






『ひっ』





息が止まった。














は?

え?え?


えええええ?????????




ブトムシだー!!!


あまりの驚きに僕は一瞬、なにがなんだか分からなくなった。


目に飛び込んできた現実に、脳の処理が追いつかない。決して大袈裟な表現でなく、本当にそうなってしまった。

カブトムシだ.....

ついに見つけた。

そして同時に、『横浜中心部にカブトムシはいるのか?』という疑問に対する答えがでた瞬間だった。

また、自画自賛であるが、昼間にチェックしておいた木に居たということは、木の目利きも外さなかった、ということではないだろうか。

しかし、偶然ということもあり得る。

いや、そもそもこのカブトムシ、本当に天然ものなのだろうか。

唐突に出現したので、そうした疑念を抱いた。
あれだけ探していなかったのに。

誰かがホームセンターで買って、飽きて逃したのでは....?


小学生の頃、近くの公民館の照明にクワガタが寄ってくるのでは?と僕なりに考え、張り込んだことがある。待てど暮らせどクワガタはこない。
しかし、ある日、ついに発見した。公民館の壁にノコギリクワガタが張り付いている。興奮して捕獲した僕に、その場にいた子連れのママが話しかけてきた。

『そのクワガタ、さっきうちの子がそこの木ににがしたばかりなの。かわいそうなんで、にがしてくれない?』




僕は、近くにもう1本チェックしていた木があったので、行ってみることにした。


もし本当にこのフィールドにカブトムシが生息していて、なおかつ僕の木の選択基準が正しければ、そこの木にもいる可能性がある。

僕は興奮を抑えきれずに小走りで移動した。深夜の雑木林を、ハアハアと息切れしながら高速移動するおじさん。完全に怪しい。


さて、どうしたもんだろうか。






うん、居た。
しっかり居た。

僕の木の選定基準は当たったと思える。
これは控えめに言っても作戦は大成功と言っていいのではないだろうか。

信じられないけど、ロジカルに予想して、実践して失敗して反省してまた改善して、を繰り返す。結果、成功した。まさにPDCAサイクルである。

好きなことにはこういうことも苦にならない。

また、この連休、毎日 深夜、早朝とフィールドワークをしてきて、昼間は朝食後に息子と昆虫採集やザリガニ釣りへでかける。短時間睡眠による寝不足で疲労感がものすごいけれど、休まなかった。勿体無くて休めなかった。

次々に思いつくアイディアにわくわくさえした。

まったく仕事もこれぐらい精力的に取り組めたら、きっと今頃は...いや、できてると信じたい。


こういうことで成功しても大人の僕が誰にも褒めてもらえることはないのは分かっている。

だからせめて自画自賛しよう。
僕は頑張った。えらい。

そんなことを考えながら、昼間チェックしたけどセレクション落ちした木々を回っていった。

いるいる。
たくさんいる。




◼️ボーナスステージ突入◼️

これをきっかけに、あれだけ探し回っても見つからなかったカブトムシ•クワガタが続々と見つかり出した。

一体どうなっているんだろうか。

神様がなんかが
『うむ、頑張っとるな。感心感心!では、ここいらで張り付けといてやるか』

って粋なはからいをしてくれたの如く、次々と見つけていった。

木の穴で休むコクワガタ。小学生の頃はこういう穴や土を掘って探した。

ノコギリクワガタ。いい型。昔はこれが欲しくて探し回ったもんだった。

かわゆいお嬢さん。思えば僕のファーストカブトムシは、メスだった。

このフィールドに希望をもたらす一枚。この小さな世界で自然と生命の均衡が保たれている証拠であり、瞬間だ。生命の躍動であり、奇跡。



この他にもたくさんカブトムシやクワガタを採集していった。


楽しい。すごく楽しい。
ワクワクが止まらない。


ー僕は夢中になり、時間を忘れて雑木林の奥深くに進んでいった。ふと我に帰り、周囲を見回してみる。見渡しても見渡しても鬱蒼と茂った雑木林と、蛸の足のようにグネグネ曲がった太い根が地面を支配してる風景しかない。しまった。帰り道がわからない。僕は急に激しい不安と恐怖に襲われた。暗く静まりかえった森からは、かすれるような虫の音が淡々と鳴り響く。その時、なにかの気配を感じて、後ろを振りかえった。すると、そこにはー




なんてことはなく、この夜は大量の収穫に気分は最高潮、深夜なのでとっくに寝ているであろう妻のラインに激しく一方的にカブトムシやクワガタの写真を連投した。


この日は
カブトムシ♂4匹
ノコギリクワガタ♂2匹
コクワガタ♂2匹
コクワガタ♀1匹
を獲得した。

十分すぎるほどの手応えだ。

もしかして、たまたま今までいなかっただけで、本格的にシーズンが到来したことで増えたのだろうか?

しかし、今まで見てきた木も回ってみたが全くおらず、やはり結論は、ある特別な木にだけくる、ということだった。

もしかしたら今までもこの木々をみていたら、いたのかもしれない。



◼️忘れてない?◼️

目的だったカブトムシは獲得できたが、重要なことに気づいた。

ペットボトルの罠だ。

これまで3度、失敗している。

カブトムシは存在するのに罠にかからないのは
やはりこの罠は無意味なのだろうか。
いや、罠じゃなくて餌なのか。

この罠が役立つのは、もしかしたら数が豊富な山の中だけかもしれない。

はっきり言ってしまえば、直採りできた今は、もはや不用であることは間違いない。

カブトムシを持ち帰るのだから、もうこの時点でフィールドワークはおしまいだ。やる必要がない。

しかし、それでは今までやってきたことが無意味になってしまう。

それに、今回の餌は、前回とはワケが違う。事実、フィールドワークの最中に、餌を入れた袋にはコバエがたかり、蛾に追いかけられのだ。

きっと、効果があるはず。
明日まで様子をみよう。


◼️さて、結果は?◼️

7/25 (土)早朝4時
天気 大雨

いるのか。いないのか。

朝からの大雨である。

昨日の夜中から降り出した雨は、衰えずにずっと降り続いていたようだ。


コンディションとしては、最悪だ。
僕は濡れながら罠の回収に向かった。

罠はどんな天気であれ、放置してはいけない。
水がたまらないように処置はしてあるが、それがおいつかないぐらいの雨が降ってしまった場合、そこに万が一昆虫が入っていたら溺死させてしまう。

また、ゴミになって環境を汚してしまうかもしれない。

いや、それ以上に、放置することで昼間、スズメバチが来るからだ。




僕は公園につき1つ目の罠を外した。

やはり、コバエがたかっていたが、中にはなにも入っていない。

わかっていたこととは言え、がっかりしてしまう。


2つ目も同様だった。

もはや諦めて、3つ目の罠の回収に動いた。

こちらもコバエがたかっている。

追い払うために、ペットボトルを指で弾いたところ、なかから不思議な音がした。


ガサガサガサガサッ!


なんか入ってる!!!!
黒いの入ってるうー!!
ガサガサしてるうー!

中身をプラケースにあけてみると.....


餌は形や色が不快感を感じさせるため、お見せできないのが残念だ。


紛れもない、カブトムシ。
ついにやった。やったのだ。

僕の餌につられ、罠にハマり、一晩中 酔っ払っていた彼ら。

朝が来たのも分からずに、一心不乱に禁断の果実に食らいつき、そこから動けずにいたのだ。

罠も成功したのだ。本当によかった。

その日の夜と翌日の朝も、予報に反して雨は降らなかったからフィールドワーク&仕掛けにでかけてみた。

やはり、特定の木から、同じようにカブトムシが捕獲できた。

見つけてしまったかもしれない。
採れる木を。



◼️まとめ◼️

フィールドワーク
7/22〜7/26 


採集
カブトムシ♂11匹
カブトムシ♀3匹
ノコギリクワガタ♂3匹
ノコギリクワガタ♀3匹
コクワガタ♂5匹
コクワガタ♀3匹
 

結論:横浜市中心部にカブトムシはいる

どうやら、鍵は樹木にあるようだ。
森林の規模や時間帯はそんなに重要でなく、
色々な条件に当てはまる木を探すこと。
罠ももちろん有効だけど、チョイスする木を間違っている以上、いつまでも採れることはないだろう。

どんな木を狙えばいいのか、それはヒミツだ。
というより、そこの環境によって選定基準が変わってくるため説明しようがないのだ。

強いて言うなら、フィールドワークして割り出すしか方法はない。そしてそれを楽しめたら、きっと出会えるだろう。



たくさん写真をとったが、すべては載せきれないので、カブトムシ•クワガタそれぞれお気に入りをピックアップした。

立派なカブトムシ。地方でも天然モノでこれほどのサイズ、色ツヤ、フォルムの個体にはなかなかお目にかかれない。


ノコギリクワガタ。色彩豊かで、ハサミの主張もたまらない。

息子が興奮したのは言うまでもない。
実際に目で見て触れてみて、ものすごく勉強になっただろう。

そして、僕も息子に恩着せがましく、『お父さんすごいでしょ?お父さん見つけたんだよ!すごいと思わない??ね!すごいと思う人ー!』と迫ってひとりで盛り上がったのも言うまでもない。




これはなんにでも言える話だと思うのだが、いるかいないか分からないものを『いない』と決めつけるのは簡単だ。

探さなくていいのだ。

探さなければ絶対にいない。見つかるわけがない。

目にふれなければ、それは『いない』ということだ。

でも、だからといって『いない』という証明にはならない。


『いるかもしれない』を追いかけて、『いる』という事実にたどり着いたとしたら。

それは100%の真実だ。証明されている。

僕も含めての話だが、人は、できるかできないか分からないことにも、ほとんどの場合できないことを証明をしようとする。だが実はそれはできることを証明するより大変なことだ。できない、という証明をしても、そこには『やらない』『いいわけ』という要素が加わってしまうため、100%ではない。『できるかもしれない』が最低でも1%あるわけだから。

反対に、できることの証明を目指す。これは明確だ。できたら、100%の真実になる。

というのは精神論。

もちろん無理なものは無理だ。

けれど、じゃあどうしたらいいか?を考え続けていくクセをつけるのは悪いことじゃない。

諦めかけたり、周りにバカにされたり、そういうことがあればあるほど、突き止めた時の喜びは大きい。

7/26(日)
最後はリリース。
息子と相談して、全部もといた自然に帰すことにした。


思い起こせば僕のファーストカブトムシも、父が夜に探しにいって採ってきたメスだった。あのときは嬉しかった。

そしてあのときも、夜の雑木林ににがしにいってもらったんだっけ。

奇しくも僕も父と全く同じことをしていることに気づく。

夕食後、息子と玄関でお別れをした
カブトムシ、クワガタは僕の自転車に揺られる。

雑木林につき、放す。

みんな一斉に帰っていった。

ありがとう。
元気でね!


〈終わり〉