ある任務のため、東大に行った。
もし東大生ではないことがばれてしまったら頭の良い方々にどんな目に遭わされるかわかったもんじゃないので、最新の注意を払い身元を特定されなくするための奥義を使いながら潜行。
この奥義は丸の内や汐留で埼玉県民であることを見破られぬよう、きょろきょろせずに必要以上に早足で歩くときなどにも使える荒川以北民必須の術である。
地下鉄の東大前停車場(ステーション)を出て門をくぐり、10月にも来たことがあるのでその時の記憶だけを頼りに目的地へ向かう。
周りを見渡して探したりなどしてはいけない。それは土地勘がないことを周囲に知らせるようなものである。まして案内看板などはもってのほかだ。
あせりは禁物だ。まっすぐ奥へ行けば大丈夫。目指すこの大学のシンボルはすぐ近くなのだから。
それがあるはずの場所へ歩みを進める。そこで特派員が見たものは・・・
な、なんと!!温室だった。
おかしい。門から奥へ行くと安田講堂があるはずだったのだが…。
平静を装いつつ、記憶をもう一度たどってみる。
間違いない。今いる場所には立てこもりの名所、安田講堂があるはずだ。
あの混乱の時代を駆け抜けた、放水をされても崩れることのなかった重厚なレンガ造りが。
なのにこのビニールハウスは何だ!!
しかしここで立ち止まることは許されない。こんな場所でうろうろしようものなら怪しまれることこの上ない。
何食わぬ顔で構内を一周し、再び門の付近からやり直そうとする。
その際ちらりと建物に付けられた看板に目をやる。
農学部
なるほど。これで先ほどの温室には合点がいった。しかし安田講堂付近にこんなものがあったろうか。
大学前の通りに沿うように伸びる道はまだ歩いていなかった。その道に足を踏み入れ、もう少し広範な捜索を開始しようとした。
そのとき、右手にあった一際新しい建物に目を奪われた。そこには「弥生講堂」と書かれてある。
安田ではなく弥生か。ミレニアムで世界中が騒ぎ立てたこのご時世に弥生式土器か、おめでてーな。ん、弥生講堂?弥生?農学部。弥生。やよい…ィッ!!
かくして私の記憶の断片は一つにつながった。すなわち、私は本郷キャンパスにある安田講堂に赴くのに、弥生キャンパス内を血眼になって歩き回っていたのである。
それに気がつくや否や私は不自然に踵を返した。もはや東大生を装う余裕などなかった。東大病院に美容整形手術を受けに来た人が道に迷ったんだな、と思ってくれるのを期待するのが精一杯であった。
やはり前回来た時と同様、本郷三丁目の停車場(ステーション)を使えばよかった。後悔をしながら隣接する本郷キャンパスの正門を抜けた。すると門の正面奥に、闇に浮かぶ安田講堂のシルエットが前回同様の位置に確認できた。
大体道が暗すぎるのだ。これでは私に限らずこの辺りに不案内な人は迷ってしまうではないか。そんなに部外者に入られたくないのか。
不平を漏らしながら主将に任務完了の報せを入れた。
「巍巍たる赤門に気をつけよ」
この任務を遂行するにあたり主将からかけられた言葉を反芻した。
東京大学運動会歌であり、先日東京大学の歌としての認定も受けた「大空と」にはこんな一節がある。
巍巍たり赤門我が赤門
高く開かん
東京大学の門は高くにしか開かれてはいなかった。我が門にできなかった私にとっては敷居が高すぎたのである。
来る物拒まずの精神に則り重厚な門を作らず、煌々と照らされた講堂を持つ大学の、我が早稲田の温かさを身にしみて感じた。