あれは忘れもしない、今からちょうど37年前の事だ。

 

なぜ、37年前かというと、今でもハッキリ覚えているのが、次の日が運動会だったということ。そして、当時私は小学校4年生だったということ。

 

つまり、小学校4年生の運動会、10月。このことから逆算すると、当時私は10歳だったということになる。そして私が現在47歳。つまり、このことから逆算したたら、ちょうど37年前ということになるのだ。

 

私は、3人兄弟の真ん中に生まれた。

 

自分の家庭環境というのはある意味ガチャだといえる。

 

「親ガチャ」という言葉がある。

 

自分の親は選べないということ。どんな父親、どんな母親の元に生まれるかというのは運でしかないのだ。

 

父親が毎日酒浸り、母親は家庭を放棄して外で作った男の元に入りびたり、こんな両親の元で幼少期を過ごす人もいるだろう。

 

父親は高級官僚、母親は高校の教師。こんな厳格な両親の元で幼少期を過ごす人もいるだろう。

 

どのような親の元に生まれるかは、運しだいであり、「親ガチャ」なのだ。

 

これと全く同じように、私は、「兄弟ガチャ」というものが存在すると考えている。

 

私はこの兄弟ガチャで最悪の貧乏クジを引いたと思っている。

 

私は2歳年上の兄と2歳年下の弟がいる。

 

そして、彼らはちょうど私の2学年上と2学年下になる。

 

この組み合わせが最低最悪だった。

 

どちらも3つ年下であれば、最悪の貧乏クジとまではいかなかったものの、2学年上、2学年下というのが最低最悪だった。

 

なぜなら、私が中学校に入学した時には中学3年に兄がおり、私が中学3年になったときには中学1年に弟がいるという状況になるからだ。

 

37年前に出来事は、当時私がまだ小学4年の時の出来事であり、私が中学生になったときとは関係がない話だから関係がない。中学生になったときにも、私の人格に大きく影響を与える悪夢のような日々があったが、この事はまた別の機会に公表しようと思う。

 

で、今から37年前、私が10歳で小学4年の時の話だ。

 

私には2歳年下の弟がいるのだが、私は物心がついたときからこの弟と毎日のように醜い兄弟喧嘩をしていた。

 

10歳に満たない男の兄弟。

 

しかも2歳しか離れていない年の差。

 

ささいな事で毎日にように喧嘩をしていた。

 

テレビ番組、チャンネルの取り合い。ファミコンのコントローラーの取り合い。お菓子の奪い合い。

 

今となってはあまり覚えていないが、毎日のように起きる兄弟喧嘩。

 

8歳と10歳の男子の血気盛んな男の児童です。

 

私たちは小さな家に家族5人で暮らしていた。

 

小さな家だった。

 

2階が子供部屋になっていた。

 

12畳ぐらいの比較的大きな部屋があって、そこは私と弟の部屋になっていた。

 

同じ部屋に2歳しか違わない兄弟の男児・・・兄弟喧嘩が起きないわけもないのです。別に私の限らず、2歳しか年の離れていない兄弟の男児が同じ部屋にいたら、毎日のように兄弟ケンカがおきるのは当たり前の事。

 

別に私たち兄弟に限った話ではなく、どこの家庭でもこのような状況になっていたであろう。

 

兄弟ケンカが度を増していき、弟が癇癪を起すと、弟は決まって大声で私に対して「変なチ〇〇」と叫ぶのであった。

 

ささいな事で始まった兄弟喧嘩。最初は罵り合いで始まるのですが、弟が癇癪を起すと、最終的にうさ晴らしに大声で「変なチ〇〇」と叫ぶのです。

 

私は物心ついたときに包茎手術を受けました。というか、受けさせられました。

 

かすかな記憶をたどると、あれは私が4歳が5歳のときだと思います。

 

トイレで尿を足していると、陰茎の皮が陰茎を圧迫して尿が出にくくなっている状況を両親が見ていたことがかすかな記憶で残っています。

 

要するに、陰茎の皮がもともと窮屈な状態となっていたということ。

 

この状態を解消するために、私が4歳か5歳の時に両親に包茎手術を受けさせられたということ。

 

手術を受けたときの事など全く記憶にないのです。しかし、物心ついたときには私の陰茎は包茎手術を受けた後の状態だったのです。

 

一般的に、10歳に満たない少年の陰茎は皮をかぶったままの陰茎。これがごく普通の状態なのです。

 

しかし、私のは、手術を受けたあとのいわゆる大人の陰茎。見た目が一般的な少年のモノとは著しくことなっているということ。今となってはコレがあたりまえの姿なのですが、この姿は少年から見ると、あまりに異質なモノだったのです。

 

それゆえ、弟は私に対して癇癪を起すと「変なチ〇〇!」と大声でののしるのです。

 

で、そのののしるのが私に対してだけであればよいのですが、これを大声で叫び、周りに聞こえるように叫ぶ。

 

周りに聞こえるように叫ぶ。

 

当然、私は嫌がるのですが、この嫌がるのを楽しんでいるという、非常に悪趣味な事をやっているのです。

 

言い換えれば、言いふらすということ。

 

こんな事を幼稚園児あたりから行っている、非常に狡猾な性分の持ち主でした。

 

現在私には小学4年生の娘がおりますが、この娘にあてはめてみれば全く想像もつかないです。

 

卑猥な言葉を大声で周りにあえて聞こえるように叫ぶ。相手をののしるためだけでなく、相手が嫌がることをいいことに大声で言いふらすという非常に悪質な嫌がらせをしている、普通の神経ではちょっと考えづらいことをしているのでした。

 

で、

 

あれは、今でも覚えている体育祭の前日。

 

小学校の体育祭は日曜日に行われるので、土曜日でした。

 

弟の私に対する嫌がらせはここ最近さらにエスカレートしており、兄弟げんかの末に大声で「変なチ〇〇!」と叫ぶだけでなく、ここ一週間前ほどから近所の壁に「〇〇は、変なチ〇〇」と、私のいないところで小さく落書きをしているのでした。

 

最初は、葉っぱを束にして葉っぱの緑の汁で壁に書いていたのですが、その日はなぜか、クレヨンを持ち出してそれを行っていたりしていたのでした。

 

私と弟は外で遊んでいたのですが、何かの拍子に兄弟ケンカになり、癇癪を起した弟は、近所の壁に「〇〇は、変なチ〇〇」と書き始めていたのです。

 

数日前から自宅近くの壁に私の悪口を落書きしていたことを知っていた私はその瞬間、怒りが爆発しました。逆上しました。全身の血が一気に頭に上り、身震いを起し、言葉では言い表せないぐらいの怒りに震えたのでした。

 

ですが、ここで弟を殴ったり蹴ったり手を加えようものなら、大声で私に「〇〇は、変なチ〇〇!!」と叫ぶことが目に見えています。

 

怒りに打ち震えながらも、弟をぶつことができないジレンマ・・・。

 

「くっくっ、、くそーーーーー!!!!!!!!!!!!!」

 

歯ぎしりをし、顔をゆがめ、怒りに打ち震える私は、その時、とっさに道路脇に落ちていた黒色のクレヨンを手に取りました。

 

クレヨンは、弟が私の悪口を書くために自宅から持ち出したもの。

 

得たいの知れない怒りに任せ、私はそのクレヨンを右てにもち、壁に大きく「けろた」と書きなぐりました。怒りに任せて自然に手が動いたのです。

 

弟を蹴る、殴るすれば、また大声で「〇の変なチ〇〇!!」と叫ぶのを察知していた私。蹴る、殴るはできない。。。

 

そこでとっさにとった行動が、怒りに任せて弟の悪口を壁にかきなぐるということ。

 

数年前から続いていた兄弟喧嘩、私は弟に何かしらのあだ名をつけるようになり、そこで「けぶた」というあだ名をつけたことを覚えています。大人の世界でも相手を「ブタ」「豚」とののしることはよくあること。

 

単なる豚ではなく、毛の生えた豚、つまり、「毛豚」という、今思えばワケのわからないあだ名を弟につけたのでした。

 

「けぶた」と書こうとしたところが、なぜか「けろた」になり、私は他人の外壁にクレヨンで大きく「けろた」と書いてしまったのです。

 

大人の喧嘩でいえば、怒りに任せて近くにあった椅子をぶん投げるような感覚。

 

大人の喧嘩でいえば、怒りに任せてついつい相手の髪の毛をつかみ、殴ってしまった状態。

 

大人の喧嘩でいえば、怒りに任せてついつ平手を食らわせてしまった状態。

 

このような感覚です。

 

怒りに任せて、足元に落ちていたクレヨンで相手の悪口を力いっぱい壁に書きなぐってしまったのです。弟は私の悪口を壁に書くことを面白がり、クレヨンを持ち出していたのです。そのクレヨンが足元に落ちていたのです。

 

「ぶ」をかこうとしたところが、「ぶ」が簡略化された「ろ」になりました。

 

・・・

 

放心状態の私。

 

数秒の時間が流れました。

 

が、

 

その次の瞬間、我に返った私はとんでもないことをしてしまったことに気づいたのです。

 

なんと、

 

他人の家の外壁にクレヨンで大きく落書きをしてしまっていたのです。

 

今思えば、こんなことよくできたものだなあ、と思えます。

 

何の遺恨、恨みもない他人の自宅の外壁にクレヨンで力いっぱい文字を書きなぐる、落書きをする。

 

通常であればありえない状態です。

 

しかし、当時の私はまだ10歳の子供。自分の感情のコントロールなど、一般的な大人のようにできません。

 

怒りが頂点に達して暴れ出す幼児そのものでした。

 

クレヨンで書かれた文字は3文字。

 

縦横50cmほども3文字が外壁にくっきりと書かれたのでした。

 

白い外壁に黒いクレヨンで「けろた」と書かれた外壁。

 

自分がやってしまった事の重大さに私は気づきました。

 

・・・な、なんてことをしてしまったんだ・・・

 

早く消さないと・・・

 

と思って指で壁を擦っても、クレヨンです。

 

クレヨンというのは、チョークとは違って脂分を含む個体。

 

そう簡単には消えるものではありません。

 

そうこうしてうろたえていた私でしたが、ちょうどその時でした。

 

出かけていた父親が車で帰宅したのです。

 

近づいてくる父親。

 

私の心臓は今にも爆発しそうなほど鼓動を高めていました。

 

こ、殺される。こんな事をしておやじに殺される・・・

 

足がガクガクと震えたことを今でも覚えています。

 

車の窓から顔を出す父親。その時の父親の形相はまさに鬼でした。

 

これまで見たこともなような鬼の形相だった事を今でも覚えています。

 

もう、どうすればよいかわからず涙を浮かべる私。

 

自宅に戻った私は弟は阿修羅と化した父親に制裁を加えられました。

 

「尻をだせ」

 

と言われ、私たち兄弟は父親の前で尻を出しました。

 

我々兄弟は、悪事を働いた後に、プラスチックの靴ベラで尻を叩かれるのが慣例となっていました。

 

ちょうど80cmぐらいの靴ベラで、わずかに弾力のあるプラスチック。

 

けがをさせず、子供をぶつにはちょうどよい長さなのです。

 

この靴ベラはムチのようにしなり、たたかれるとひどく痛い。

 

尻がみみずばれになります。

 

・・・

 

「尻をだせ」

 

と言われ、私は自ら半ズボン、パンツを半分おろし、尻を出しました。

 

自分がやってしまった事の重大さを自覚していたからです。

 

気づいたときには他人の自宅の外壁にクレヨンで大きな文字の落書きをしたのです。

 

しかも、白い外壁に黒い文字で。

 

綺麗な外壁は台無し。とんでもないことをしてしまっていたのでした。

 

「痛いぞ、いくぞ!」

 

と父親。次の瞬間、ピシ!!!っという音とともに靴ベラは私の尻にブチあたりました。

 

弟もどうように、ピシ!!という音とともにぶたれました。

 

ぶたれた瞬間、靴ベラが真っ二つに割れたことを今でも覚えています。

 

うお!!。。。

 

苦痛に顔をゆがめる私。ですが、当然の事。自然と涙はありません。

 

「消してこい」

 

と言われ、バケツに水を汲み、靴を洗うためのブラシをもって私は外に出て、あの落書きがある外壁の前に行きます。

 

同時に、その時、母親が同席してくれました。

 

私がインターホンを鳴らします。

 

「はい」

 

と住人の方の応答。

 

・・・

 

泣きながら私は、「すみません、壁に落書きしてしまいました」

 

とインターホン越しに話しました。

 

何の事が変わらずに出てきたのは、その家に住む初老の女性。その家は親子2世帯で暮らしていました。

 

老夫婦に比較的若めの夫婦。さらに子供が2人いたことをかすかに覚えています。

 

子供は私より5つぐらい年下の男女。

 

老夫婦は65歳ぐらい。比較的若めの夫婦は30歳過ぎといったところ。

 

出てきたのは老夫婦の婦人のほうでした。

 

事情を話す私の母親。

 

泣きじゃくる私。

 

老夫婦の婦人は事を理解したようで、自宅に戻っていきました。

 

私は必死にブラシで外壁を擦ります。自分が書いてしまったクレヨンの文字を消すために。

 

ですが、

 

これが全く消えない。なにせ、クレヨンですから。

 

チョークとはワケが違います。油分を含んだチョークです。

 

見かねた私の母親は自宅から粉末洗濯洗剤の「アタック」を持ってきて一緒に壁を擦ってくれました。

 

他にも、何種類かの洗剤を持ってきていろいろ試しました。

 

ですが、これまた全然消えないのです。

 

クレヨンというのは本当に厄介です。

 

水をつけて、洗剤をつけて壁を必死で壁を擦る私・・・

 

壁を擦る格闘は3時間ほど続きました。

 

余談ですが、今思えば、あの時、食器洗い洗剤を使用すればよかったのですが。

 

食器洗い洗剤であれば、比較的簡単にクレヨンの油を落としてくれます。

 

YouTubeで「クレヨン 洗剤」で検索していいろいろ調べていると、食器洗いの液体洗剤でクレヨンの油が分解され、汚れが落ちる動画を見かけることがあります。

 

もちろん、当時は今から37年前の話の昭和の話であり、YouTubeなどあるはずもなく、携帯電話すらない時代です。そんな事、調べるすべもなく、風呂用の洗剤やら、洗濯用に粉末洗剤やらをひたすら使って、文字をどうにか消すために必死に壁を擦り続ける私でした。

 

「なんてことをしてしまったんだ・・・」「なんでこんなことをしなければならないんだ・・・」

 

くやしさと怒り、絶望感、さらに、道行く周囲の人たちから嘲笑われているかのような冷ややかな視線を感じながら、必死に壁をブラシでこする私。

 

なんでこんな事になったんだ!!

何をやっているんだ、俺は!!

 

冷静な神経では絶対に行わないような事を私はやってしまった。

 

他人の自宅の外壁にクレヨンで大きく落書きをする。

 

こんな事、冷静な神経では絶対に行わない、たとえ小学校4年の未熟な精神でも。

 

でも、私ややってしまった。

 

全身の血が全て逆流し、頭に血が上り、我を失い、怒りと憤りに任せて・・・。

 

とんでもないことをしてしまったんだ。

 

自分に対する憤り、怒り、放心状態、その家に住んでいるYさん一家に対する申し訳なさ。

 

ガクガク足を震わせながら、出る涙も出ない状態になりながら、絶望感を感じながら、私は必死に自分で書きなぐったクレヨンの殴り書きを消すためにブラシで壁を擦り続けました。

 

ですが、

 

油分を含んだクレヨンの文字は何をやっても全然消えない。

 

あの時、食器用洗剤をかければよかったのですが、そんな知識は小学4年生にはありません。

 

私の格闘は3~4時間続いた。

 

そうこうしているうちに、その家の初老のおばあさんが出てきました。

 

「もう、それぐらいでいいですよ」

 

と言ってくれました。

 

申し訳なさと情けなさ、自分を殺してやりたい憤りを感じました。消えてなくなりたい、死にたいと本気で本気で思いました。

 

ですが、あたりはもう夕暮れで暗くなりつつありました。

 

「もういいから帰ろう」

 

と母親。

 

私はとぼとぼ自宅に戻りました。

 

とんでもないことをしてしまった。

 

外壁の文字は、多少薄くなったものの、今も多少残ったまま・・・。

 

今、あのときにタイムスリップできるのであれば、あの時に戻りたい。

 

クレヨンで文字を書きなぐった後でもいい。食器洗い洗剤を直接壁にぶっかけ、ブラシであらんかぎりの力をふりしぼり、壁を擦って擦ってこすりまくりたい。腕が感覚がなくなるまで、腕が腱鞘炎を通り越し、全ての力がなくなるまで。

 

今の私なら完全に消し去ることができる自信がある。

 

完全、完璧に文字が消えなくても、一見、一別すると何も気にならない状態にまで。

 

結局、うっすらと文字が残ったまま、日暮れとなり、私の格闘は終了した。

 

大事な人様の自宅の外壁に「けろた」と大きな文字でクレヨンで落書きした跡。

 

最低、最悪な事をしてしまった。翌日、小学校に投稿する際にその壁を見たが、やはり「けろた」と書きなぐられた文字はくっきり残っていた。

 

・・・

 

なんてことをしてしまったんだ。周りの住人は呆れかえっているだろう。もう、どうにもならない。とんでもないことをしてしまった。今すぐ消え去りたい、今すぐこの世から消えてなくなりたい。小学校4年生、10歳ながら私は絶望感を味わった。

 

何しろ、人様に多大な迷惑をかけてしまったことが、自分自身に対する最大の屈辱であり、絶望であり、後悔なのだ。

 

私はどうなってもいい。全く関係のない他人、人様のキレイな外壁を台無しにしてしまった私自身が許せないのだ。

 

死にたい、消えたい。

 

そんな絶望感を味わった。

 

その外壁を通る際、外壁を見ないふりなどをして必死に忘れようともした。なかったことにしてしまいたい感情にかられたからだ。

 

しかし、クレヨンで書かれた文字はクッキリ残っていた。

 

今でも忘れられない、37年たった今でも、あの白い外壁になぐり書きされたクレヨンの文字の後ははっきりと私の脳裏に刻み付けられているのだ。

 

土下座をして謝りたい、住人のYさんに。今からでも謝罪したい。頭を地面にこすりつけてでも謝罪したい。キレイな外壁を台無しにしてしまったことを。

 

あの時、私の悪口を書こうとしていた弟を殴りつければよかったのだ。クレヨンを奪い、奴に向かって投げつけてやればよかったのだ。たとえ、その後、「変なチ〇〇!」と大声で叫ばれたとしてもそれでよかったのだ。

 

Yさんの自宅の外壁にクレヨンで落書きをするという、最低最悪、劣悪際なり無い事をすることに比べれば。

 

結局、クレヨンで書いた文字は1年ぐらいをかけて消えていった。夏の猛暑、直射日光を浴び、雨や風を受け、自然に消えていった。

 

1年後あたりには完全に跡形もなく消えていった。

 

・・・

 

37年経った今、世の中は大きく変化し、Googleマップで当時のあの家の壁をストリートビューで見ることができるという、当時からは想像もつかない事ができるようになった。

 

私は恐る恐るあの時の、あの外壁をストリートビューで見た。画像で見た。

 

当然、あの時私が書きなぐったクレヨンの落書きなどあるはずもなく、あの外壁はクリーム色に塗り替えられており、さらに、表札も別のデザインのものに変わって取り付けられていた。

 

当時は、日本語で苗字が書かれた表札だったが、その表札と微妙に位置が違うところに表札が取り付けられており、さらに、文字のデザインまで変わっていた。文字までキッチリ確認できなかったが、おそらく当時の〇〇ではなく、別の文字であることがうっすら確認できる。

 

つまり、

 

当時の住人の方はその自宅を売り、別の方がその自宅に入居した可能性が高いということ。

 

仮に外壁を塗り替えたとしても、表札まで取り外し、別の位置に付け替えるなどということは絶対にしないはず。

 

つまり、

 

当時の住人の方はもう、あの家には住んでいないということ。

 

家は業者に売り払われ、外壁を塗り直して売りに出され、別の方に購入し、別の方がそこに住んでいる可能性が非常に高いということだ。

 

あの老夫婦は当時65歳、70歳ぐらいだった。あれから37年。二人とも亡くなっているいるだとう。そして、その息子夫婦は、子育てを終え、別のところに引っ越したのだろう、たしかあの夫婦には当時5歳ぐらいの子供が二人いた。今、生きていれば二人とも40歳前後ということになる。

 

で、

 

自分が以前住んでいた自宅というものは、多くの人にとってはもう全く無関心なものになる。自分が以前住んでいたマンション、自分が以前乗っていた車、こういう、以前所有していたモノというのは、今現在進行形で考えれば、”もうどうでもよいモノ”であり、仮に当時キズをつけられていたとしても、それに今も心を痛めるということはほぼない。

 

ああ、そんな事もあったなあ・・・・。

 

とかすかな記憶が残っているかもしれないということ。

 

なので、当時の住人の方はあのとき書かれた落書きについて、当時は立腹したかもしれないが、37年経過した今、それは完全に過去の事であり、今更未練などみじんもない以前住んでいた自宅など、全く気にもしていないということっだ。

 

自分が以前乗っていた車、縁石に乗り上げ、大きくキズをつけたことがあった。当時は大変ショックだった。が今、それは単なる過去の出来事であり、全く心など痛まない。以前乗っていた車、もう所有もしていないモノなど、今更気にもとめていないからだ。

 

しかしあの時、他にもっと手はなかったのだろうかと今も思う。

 

弟が私の身体的な悪口を壁に書き、私は逆上した。

 

ここで本来であれば、手をあげて蹴る、殴るをするのが普通だろう。

 

だが、それをやるとまた大声で叫ばれる。

 

このジレンマにさいなまれ、私はクレヨンを手にし、壁に大きく文字を書いた。

 

自分はどうしようもない衝動、怒りで勝手に手が動いたといっても過言ではない。

 

精神年齢そのものが低かった。たかだか10年しか生きていない10歳の精神年齢だ。

 

今となれば、そんなモノは放っておけばよいだけの話。弟が何をやっていようが見て見ぬふりをする、いわゆる大人の対応をすれば、弟も自分がやっていることのくだらなさに気づき、壁に私の悪口を書くなどということは行わい。

 

だが、それはある程度成熟した精神年齢だからできること。

 

これが、10歳という精神年齢だと話は異なる。

 

逆上した10歳の少年。爆発した怒りを抑えるすべもなく、過去にそのような経験もなく、かといって弟を蹴とばすわけにもいかない。殴り飛ばすわけにもいかない。それをやれば、「〇〇の変なチ〇〇!」と大声で叫ばれ、私が決して他人には知られたくない自分自身の身体的な秘密が周囲に知れ渡ってしまうという恐怖心を抱いていたからだ。

 

他の人間、他の10歳の子供ならどうしていただろう。

 

あの時の状況を生々しく思い出してみる。

 

正解は、「バカじゃねえの、オマエ」と言ってその場を立ち去ること。反応しないことだ。それが果たして10歳という精神年齢、未発達の精神年齢でできたいたのか、ということだ。

 

それができるのはある程度の人生経験を積み、くだらない野次馬には反応しない事こそが最大の防御策だと認識した人間にこそできる話。

 

つまり、私がとった行動は決して稀有な行動とも考えられないのだ。

 

夫婦喧嘩の末、皿を投げつける妻。野球の監督でいえば、選手の思わぬ怠慢プレーに激怒し、ベンチを蹴とばす監督。会議中、机をドンとこぶしでたたく上司。

 

怒りによって瞬間的に無意識のうちに体が反応してしまうのだ。