最初の祈り (1915)
テイヤールの現存する最初の祈りは、1915年1月20日に担架係として従軍した第一次世界大戦中の前線に遡る。戦争の時間は、彼の思想と神秘主義の始まりにおいて特に 重要な時期でした。1917年7月26日付のヴィクトル・ フォントイヨン神父への手紙の中で、彼はこう述べてい ます。「大きな出来事の雰囲気の中で孤独に 思索をし続けた三十ヶ月間は、長い隠遁生活のようにわたしを形作りました。私は非常に現実的な人間であると同時に、非常に神秘 主義者にもなりました。」1915年8月22日付、イゼール運河から従妹のマルグリットに宛てた手紙には、それは明確な祈りではないが、後にそのように変化する、彼の勧めが記されている。それゆえ、私たちはそれを最初の祈りとしてここに記す。この祈りの中で、彼は従妹に、いかなる 状況においても神を崇拝し、信頼する態度を勧めている。これは、私たちが彼のたくさんの祈りの中に見ることのできる理解できる態度である。
「あなたにお願いします。悲しみに暮れ、麻痺していると感じたら、神を崇め、信頼しなさい。崇拝すること、今、状況に圧倒されているように見える自分の存在を神に捧げること、あり得たかもしれないものを愛情をもって放棄するということ以上に美しい賛辞があるだろうか。たとえあなたが最後まで暗闇の中にいたとしても、そしてあなたがいつも神の手を握っていたとしても、特に、あなたが最も幻滅し、最も悲嘆に暮れているときには、神は必ず来てくださる。大げさな内面的美学や、多かれ少なかれ現実にあるあなたの誠実さや道徳的統一性についての、気のめいるような分析はすべて脇に置いておきなさい。矛盾や失敗は最後まで引きずることになる。本質的なことは、統一性の中心である神を見つけ、その神を私たち個人の中に、つまり私たちが支配している、その小さな存在の断片の中に君臨させようと、生涯を通じて忠実に努力することである。イエス・キリストが私たちの心の中に現れ、私たちが懸命に神の方を向いてきたすべての要素が、その真の状況においてグループ化される。ある意味で、私たちの努力の成功はほとんど意味をなさない(神は一瞬にしてすべてを修正できる)。
連隊がアラス南部にいた10月9日、ティヤールは日記に短い祈りを書いた。
そこには、兵士たちとの付き合い方や、兵士たちに対して常に温かな態度を保つことの難しさに対する彼の懸念が反映されている。
「イエスよ、これからの私の人生は、あなたを喜ばせ、他の人々を魅了するために、こうあらねばなりません。『受け取ること、与えること、微笑むこと。』あなたのみ旨を受け取り、私の心、私の才能(ギフト)、私の時間を与えらますように。いつも優しく、温かでありますように。 時が経つにつれて、この最後の態度も、前の態度も、私を疲弊させる人々、わたしたと共にいる人々を前にするときに、私には難しくなります。 しかし、 「善きBenignitas」 主のようにある必要があります。 私たちの仕事は、人生に沿って切られたリボンのようなものです。 変わることなく、永遠なる泉のように働くことは喜ばしいことです。 実際、私たちから他者へと受け継がれるすべてのものにおいて、私たちは私たち自身を伝達し、私たち自身を断片化しているのです」(『日記』24)。