自分の人生が、どうしても過去に振り返って、そこから気持ちを解読したり、整理したりすると落ちつく。
問題が起きると、なりたい結果を確認して、諦めたり宥めたり忘れたりして心を整理する。
その気持ちの途中で人に話すと、本当ぐちゃぐちゃで、言ってるうちに自分が嫌になる。
多分、聞いた方も何が言いたいか分からないはず。
ずっと過去。昔の話しになる。
歳を取れば取る程過去になる。
そこに思いを費やしてしまう。
そして母なんだと。意識する相手は母なんだと気付く。
そうやってずっと生きて来た。
4番目の妹が産まれたのは私が15の歳。高校1年の入学式の後だった。
もちろん、誰も入学式には来なかった。
私は母と父が4番目の妹を作るきっかけの1日を知っている。
それは母が話し、父も私に話したからだ。
父からは、お母さんの治療の為に2人きりで出かけるからよろしく頼むと。
母は、デートだと嬉しそうに話した。
気持ち悪い女だと思った。
中学生2人、小学生1人の母親が、全く子供の面倒も見ずに他人に任せ、父と2人っきりになる事を嬉しそうに話す。
全く自分の事だけだこいつは。
糖質だから仕方ない。
そんな話しで収まる話しではない。
私は受験生だ。
本当なんなんだこいつ。
でも少しだけ、可哀想な気持ちがまだどこかに残って見送った。
帰って来たら地獄だった。
ラブホテルに行ってきたと嬉しそうに報告された。
内容までは覚えてない。
聞いたんだけど、多分拒否したんだろう。心が。
まるで同じ歳の友達に話す様に、母は私に全部説明した。
それを父は喋るなって怒ってた。
なんだろねー
本当。
狂い過ぎてて標準が無い。
翌年1月に祖父の法事で、今では親戚の笑い話しにもなる何度も話す話しだ。
御膳がセットされ、みんなで食事が始まると、従姉妹が深刻な顔で妊娠してると叔母に打ち明けた。
叔母はせっかくの御膳をひっくり返し、従姉妹に掴みかかり、必死にみんなで引き離そうとした時だった。
私もーと嬉しそうな母。
みんな固まって、父は動揺して、その日はめちゃくちゃだった。
私は、あーあの日かと思った。
避妊位しろよとも思った。
そして従姉妹の話しはその日はそれどころじゃ無くなってた。
母の妊娠は本当だった。
4月には産まれるそうで、もう堕胎も無理と聞かされた。
元々ぽっちゃりで、薬も大量に飲んでたから、そういや吐いてた時期もあったけれど、あまりに日常がいっぱいいっぱいで分からなかったのだろう。
そして私は、ほとんど家に居なかったから分からなかった。
当時は付き合ってた彼氏の家にほぼほぼ夜は行ってたから。
母は分かってたと言ってた。
これが本能の母性なんだろうか。
理解が出来ない人だ。やっぱり母は。
聞いた瞬間、私のこれからの受験の相談はまた誰も聞いてはくれないんだと悟り、自分で完了させる決意を瞬時にした。
と同時に、後3ヶ月もしない間に妹が出来たなんて、友達にも話せる訳ないと思った。
多感な時期に話せる訳がない。
だから、入り浸ってた彼にも別れるまで話せ無かった。
正しくは、事実はほとんどを最初から話してないな笑。
壁で必死に作り上げた知られたく無い世界の中を、私は子供ながら優等生らしく、プライドを持って生きたかった。
未熟でスケルトンみたく透け透けな状況だったかもしれないが、私は可哀想な子では無いし、あんな女とは違うんだと言う思いだけでどんどん強くなり、益々自分の事は自分でする思考は固まり、周りは益々私なら大丈夫と放置し、母とこれから産まれてくる妹に頭がいっぱいになっていた。
お金が元々無いのにお金もかかる。
父からは私立はダメだと言われた。
同時、公立とすべり止めの私立、両方受けるのが当たり前の時代に、行くなら公立一本にしろと言われた。
お金が無いのは分かっているので、調べて調べて、行きたくも無いが全額特待生で行ける所を探して受けるつもりだと許可をもらいに説明した。
有無も言わせないプレゼンみたいな説明だ。
公立に受かるから行くつもりは無いが、万が一の時も迷惑はかけるつもりはない。そう話して受ける許可を取った。
そういう可愛げが無いところを、父が嫌そうにしていた。
私が必死になればなるほど、大好きな父は残念そうな顔をする。
私は父が好きだったから、それでも気付かない振りをして、自分の正義を貫いた。