自分は、「一番」なんてものに興味はない。
だが、これを上げれば自分は周囲より「一番」という秀でた称号を与えられるのだろう。
自分は、考え方がひねくれている。ひねくれどころではない。捻じれ、うねり、原型を問わない形である。
兎に角、天邪鬼な性格故、考え方も歪んでいる。
だから、周りに人は寄ってこない。付き合いも上手くいかない。
「こいつやばいから近寄らないようにしよ」なんて先入観を持たれることも珍しくない。
さぁ願いを宣い給え。
精神異常者かと言われれば、そうでもない。いや、そうではない。
奇抜になろうという、中学生のような心もない。
他愛もない生活を送ることが本望でありながら、列記とした人間である。
正常である。正の常。
人間社会とはどうも相容れない。
「インターネットやら何やらで世界が広がったように思えても、それは深くなるだけで広くなるわけではないということを忘れないと痛い目を見る。」
こんなことを、知り合いに助言のつもりで言ったのさ。
お節介と言わんばかりの不服そうな顔をして、寄ってこなくなった。
浅いプライドだな、と吐き捨てんばかりに思ったが、ココロは脆いし、崩れやすい。
自分も同等。
だが、物事に関して必ず自分なりの見解を持っている。
数少ない自分の長所ともいえる。傍から見たら、知的ぶってるカッコつけ。なんて思われているのかもしれない。
オーディエンスにどう思われようと、心に秘めているものは出さない限り伝わらない。
神も悪魔もみんな同じ。 人間なんて連中のおもちゃ。
よく言ったものである。
人間は、自分で発見したものには価値があると思い込む。
その時の心情は誰であろうと、誰よりも頑固になる。確固たる。ガッチリと。
思考を操られているなんて、考えたがらない。
人間の愚念。
「人と人とは支え合いだ。」なんてよく言う、そんな事を言うのは独り身の
気持ちを理解しない者のセリフだと、
「やらずに後悔するより、やって後悔したほうがマシ」なんて言葉。
そんな事を言うのは、やってしまった後悔の味を知らない無責任な第三者のセリフだと。
最も。
良いほうに促されやすい。
念仏は有名なものを唱える。自分のルーチンなんてそっちのけで。
名言とかって、全人類の心に響くわけじゃなくて、それを唱えたところで何かが大きく進展するわけでもなくて、ただ人がいいと思い込んだから気分が上を向くだけ。
単純。ド単純。言葉をよく考えれば、日常会話以下というほど何気ないセリフなのに
心に響く。それは聞こえの問題。
名言と断定するのは、人間がすべきことじゃない。
特異として、文面にすると本体で思っていることが移る。
ある種の感情移入。
自分にとって、このツールはいい道具。
