言葉は音でできています。
私は、メロディーから言葉が降りてきます。
だから、メロディー先のほうが、作詞はしやすいのです。
旋律に耳を澄ませていると、ある言葉がふいに浮かぶことがあります。
意味を考えるよりも前に、その「音」が心に触れてくるのです。
その音が持つ感情の輪郭をたどっていくと、やがて、ひとつの言葉が形を持ち始めます。
私は、日本語がとても好きです。
世界共通語になってほしいと願うほどに――。
日本語は、美しく、風流です。
そして、一つの言葉に、多くの意味が込められています。
たとえば「帰る」という言葉には、
場所に帰る、人のもとへ帰る、過去に帰る、心の居場所に戻る――
目には見えない、いくつもの想いが重なっています。
だから私は、作詞のときに言葉を「選ぶ」というより、
その言葉が持つ音と意味の層を、そっと撫でるように感じながら、
その曲が一番欲しがっている響きを探しています。
日本語の曖昧さや、余白の美しさに、助けられることも多いです。
メロディーに乗って浮かんできた言葉が、自然とストーリーを紡いでいきます。
そして、なによりも 言葉には、力があります。
どんな時代でも、
人の心を癒す力
励ます力
寄り添う力
があります。
その力が、メロディーにのって、歌い手の声で届けられるとき、
歌詞に込めた言葉は、初めて、ほんとうの命を持ちます。
だから私はいつも、歌い手が歌っている姿を想像しながら詞を書いています。
この歌詞が、どんな声にのって、どんなふうに人の心に届くのか。
誰かの心の景色に、そっと光を差すような楽曲になることを願って……。
言葉は、人の心の中で、深く生き続けています。
日本語の言葉って、たとえシンプルでも、そこに隠れた意味や想いがあります。
これはもう、「魔力」……いえ、「奇跡」だとさえ思います。
そんなふうに感じながら、今日も私は、音に耳を澄ませています。
私の書いた歌詞が、メロディーにのり、歌い手さんの声にのって、
誰かの人生にそっと寄り添えるのなら、それは何より、幸せなことです。