回文俳句「野桃摩耶」物語  作/純音

(松山市運営の「俳句ポスト365」月曜日の回文俳句コーナーにて、2019年に掲載されたものです。)

 

●第1話  

楊梅の山山山や野桃摩耶 やまもものやまやまやまやのももまや

季語/楊梅(やまもも) 夏・植物

 

 野桃摩耶。21歳。

 東京は下町の某印刷会社で働く女性事務員。趣味は数独と最近始めたばかりの俳句だ。

 実家は高知の山奥にあり、すぐ近所の(脱藩の道)が子供の頃からの遊び場で、幼少の頃、何度か「さっき、竜馬に会ったぜよ~」と言っては周囲を笑いの渦に誘ったが、祖父だけはあながち嘘ではないと固く心に信じて疑わなかったそうな。 

 父の野桃摩耶彦は、先祖代々受け継ぐヤマモモの生産を稼業としており、家の裏には三つのヤマモモの山を所有していた。しかし、摩耶はヤマモモよりもメロンが一番と公言して憚らず、物心つく頃にはヤマモモを手に取ることさえしなくなっていた。

 そんな摩耶も年頃となり、アイドルの何某とかのファンになり、「よし、うちも東京に行くぜよ、東京に行って〇〇君と同じ水を飲むぜよ~」と地元の短大を卒業後、家族の、特に祖父の決死の大反対を押し切って上京した。 

 しかし、現実の東京生活は夢見たものとは違っていた。六畳一間のアパートと会社との往復の日々、つい出てしまいそうになる土佐弁をつぐみ、ただ心の内に「東京には空が無いぜよ」と繰り返すばかりであった。 

 

 そんな悶々としたある日、ファンでもあるアイドルの何某が出演しているということで見ていたテレビ番組の俳句コーナーで、その何某が女形役者や元県知事やらを降して見事一位を獲得し、アイドルであることも忘れたかのように顔をくしゃくしゃにして喜ぶ姿を目にした。

 「まっことスゲーぜよ」

 次の日の晩、摩耶は帰宅途中の本屋で買った(夏井いつきの超カンタン俳句塾)という本をむさぼり読んだ。実は摩耶は国語が大の苦手だ。算数の方は小学三年生でポアンカレ予想を解くほどよく出来たが、国語の方は未だ自分の名前以外の漢字を宙で書くことができず電子辞書を手放せない。それでもヤル気だけは人一倍燃えているように感じた。

 「うちも〇〇君のように天下取るぜよ」 

 

 楊梅の山山山や野桃摩耶

 

 人生で初めて作った記念すべき一句だ。自分の名前をフルで入れたのは、最近「NHK俳句」で見た(わが名立子や)という句にインスパイヤされた為だ。 それと、先日、実家から届いた小包に、米や祖父の手紙と一緒に入っていた、赤く小さな、まっこと小さなヤマモモの、甘酸っぱい味がそうさせたのかもしれない。 

 野桃摩耶。21歳。

  楊梅をまた一つ口にしてみた。どこか懐かしい遠い記憶がよみがえる。そういえば幼い頃、(脱藩の道)で出会った変なおじさんが何か言ってたっけ・・・。

 摩耶は、おもむろに小さな窓から東京の空を見上げた。

 ・・・「夏が来るぜよ」

 

●第2話

蝉の殻語りをり高らかの店 せみのからかたりをりたからかのみせ

季語/空蝉 夏・動物

 

 野桃摩耶。高知生まれ高知育ちの21歳。

 地元の短大を卒業後、東京下町の某印刷会社の事務員として働きながら、テレビ番組「プレバト」の俳句大会でアイドルと慕う〇〇君が見事一位を獲ったことを目の当たりにし、自らも俳句を詠み始めたうら若き乙女である。 

 

 「あら、あなたもしかして俳句やっていない?」

 昼休みに、そう声をかけてきたのは、事務長で年齢不詳の墨田両子(すみだりょうこ)さんだ。摩耶は俳句を始めてから指を折るくせがついていた。

 「えー!そーなの~!いーじゃない~。若いのに偉いわよ~。実はね、私も俳句やってるの。結社にも入ってるのよ~」

 「え、結社・・」 摩耶の脳裏に一瞬、フリーメーソンのマークが浮かんだ。

 「結社ってのはね、んー、みんなで俳句を作ってわいわい楽しむサークルみたいなものよ。今夜ね、その句会があるの。あなたも参加してみない?楽しいわよ~」 「はあ・・」

 こうして摩耶は両子さんに連れられて、人生初の句会なるものに参加することになった。 

 句会の場所はその結社主宰者のご自宅ということで、退社後、二人は電車を乗り継いで日暮里に降り、谷中霊園近くの閑静な住宅街に歩を進めた。そこは見るからに由緒正しい旧家といった家が立ち並び、どの門構も立派なものであった。

 「摩耶ちゃん、ここよ」 二人は大きな平屋の家の門の前に立ち止まった。表札には(北斗)とある。

 「随分、大きな家ですね」 「フフ、そうねえ、東京ドーム五個分はあるかしら。この間、家の中で迷子になって三日間出られなかったことがあったわ~・・なーんて嘘よ、ウフ」 摩耶はときどき両子さんについて行けないと思うときがある。

 「そうそう、私たちの結社の名前、まだ言ってなかったわね。極める音と書いて極音(ゴクオン)というのよ。主宰者の北斗七男(ほくとななお)さんは四代目にあたる方で、ひいおじいちゃんの音詩郎(オンシロウ)さんと、そのお兄さんで羅音(ラオン)さんは、当時の俳句界の異端児として名をはせていたのよ。二人は擬声語擬態語を駆使した句が得意で、二人の代表句、

 おあたたたたたたた!あべし風薫る 音詩郎

 おりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃ!たわば春の風 羅音

は、子規の(鶏頭の十四五本)と並ぶ問題作として、今もその評価について多くの俳人の間で論議されてるそうよ」(ホントかよ)

 「それから、この結社には色々特徴があってね。例えば良くできた句を佳句とか入選句とか普通は言うんだけど、この結社では、それを『sho句(ショック)』と呼んでるの。特に一席をとった句を作った人は、みんなから、『Youはsho句!』と呼ばれて、それはもう大変な賞賛を受けることになるのよお~、あたしはまだ言われたことないんだけどねえ~言われたみたいなあ~」 どうもこの結社は普通の俳句結社に比べて一癖二癖あるようだ。

 「はあ・・・あれ?これ?」 「あら、こんなところに蝉の抜殻ねえ・・」

 表札の少し下のところに蝉の抜殻が一つとまっていた。そういえば先ほどから蝉の声が聞こえる。 

 「蝉の殻で思い出したんだけど、さっき話した音詩郎さん、羅音さんには異母兄弟が一人おられて、名前を吐句(トク)といったの。でも喘息で体を壊して、東京を離れて信州の田舎町で駄菓子屋を営みながら俳句を詠んでたそうよ。その吐句さんの晩年の句に、

 

 蝉の殻語りをり高らかの店 

 

という句があるんだけど、俳句には(意味の無い句)とか(意味がよくわからない句)とかあるんだけど、この句は(意味がありそうで多分無い句)として、とても有名な句なのよね~ウフ。・・・あら、随分立ち話しっちゃたわね、そろそろ句会始まるわよ」

 二人は門をくぐった。 果して俳句結社(極音)とは。また、そこに集う人々とはいかなる人たちなのか・・。 

 摩耶は、蝉の声が一段と強くなったように感じた。

 

●第3話

理屈や鱧を食ふ句をもはや作り りくつやはもをくうくをもはやつくり

季語/鱧 夏・動物 

 

 野桃摩耶。21歳。

 職場の上司、墨田両子さんに誘われて、彼女が属する俳句結社(極音)の句会に集うこととなった、俳句を始めて間もない、うら若き乙女である。 

 

 「こんにちは~」 「・・・」 

 受付には、やけに長い黒髪の女性が一人座っていた。

 「定子さん、今日は新人連れてきたのよ、よろしくね」 「・・・」

 受付の女性は何か喋っているようなのだけど、ほとんど聞きとることができなかった。

 「あの方、ちょっと暗い感じですね」 「そうねえ・・俳号が定子(さだこ)っていうんだけど、あれでも昔、(きっと来るきっと来るから五月闇)って句で角山俳句大賞とったことあるのよ~、人ってわからないものよねえ、ウフ」 

 

 長い廊下を進むと、一流ホテルの大宴会場ほどもあろうところに、優に千は超える人たちがすでに席についていた。

 「たくさんいるんですね」 「そうねえ、でも、今日は少ない方よ、普段だとこの倍以上はいるわ」

 そこに一人の初老の男性が近づいてきた。

 「新しい方ですか?」 「あ、七男さん、そうです、野桃摩耶さんです、職場の後輩なんです~可愛いでしょ、ウフ」 

 「初めまして、北斗七男と申します。この結社の主宰をしております。よろしくお願いします」

 「野桃摩耶です。よろしくお願いします」 

 「摩耶ちゃんは、最近、俳句を始めたばかりなんですよ、今日は初めての句会なんです」

 「ほう、そうですか。うちの句会はちょっと変わってるかもしれませんが、まあ、気楽になさってください」

 そう言うと北斗七男は主宰者席へと去っていった。摩耶と両子さんも空いている席に腰かけた。いつのまにか先ほど受付にいた定子さんもすぐ近くに座っている。

 「それでは、今日も席題で一句、皆さんと詠みたいと思います。是非とも佳きsho句(ショック)をお願いします」 マイクを通して主宰者の声が会場に響いた。

 「席題・・?」 「摩耶ちゃん、席題ってのはね、その場で出されるお題で、だいたいは、この季語で一句作りましょうってことなの」

 続いてまた主宰者の声が響いた。「今回の席題は、遠雷(えんらい)です。ではミュージックスタート!」 

 どこからかエレキギターのリフが会場一杯に響いてきた。7.1サラウンドはあろうほどの超ステレオ音響だ。

 「両子さん、こ、これは?」 「うちの句会では、よく音楽を流しながら一句作るの。これはACDCのサンダーストラックね。だいだい雷系の季語のときは、この曲がよく流れるわね。この間は席題が(遠足)だったんだけど、そのときはサザエさんのエンディング曲が流れてね、それはそれでなぜかみんな大盛り上がりで、しまいには定子さんまで片足でリズム取り出して、もう、驚きを通り越して恐怖すら覚えたわよ~」 

 会場では曲中の「サンダー!」の叫びに合わせて拳を突き上げたりしながら、それぞれ句作に取り組んでいた。斜め前に坐っている、かなりのご高齢とおぼしきお婆ちゃんまで拳を突き上げている。

 「あの方はね、去年からこの結社に入会されて俳句を詠み始めたんだけど、俳号を俳児(ハイジ)さんと言って御年九十歳になられるの。まだ一年足らずだけど(白パンを箪笥に隠す薄暑かな)って句で(Youはsho句)を獲ったこともあるのよお。それと、この結社に入ってすっかりヘビメタのファンにもなって、この間もドームであったメタリカのライブに一人で行ってきたそうなの~。お若いわよねえ~、私もああなりたいわ~。・・さあ、摩耶ちゃん、私たちも遠雷で一句作るわよ~、サンダー!」 

 そう言われたものの、摩耶としてはまだまだ初学でもあり、ましてやこの大音響に俳句を作るどころではなかった。

 「こんな、やかましい音楽で、どうしたら俳句なんて考えられるのかしら・・」と、その時、耳元に囁く声が聞こえた。

 

 「理屈や鱧を食ふ句をもはや作り」 

 

 振り向くと、すぐ背後に定子さんが立っていた。摩耶は全身に鳥肌がたつのを覚えながら、じっと定子さんの目を見返した。

 「考えるな、感じろ Don’t think. Feel!」 

 定子さんは、そう、また呟いて、自分の席へと戻っていった。なんだか少しだけ笑みを浮かべたようにも見えた。 

 いったいこれはなんのことなのか?理屈?鱧を食べる?実は摩耶は高知出身の身でありながら鰹より鱧の方が好きだった。

 「鱧がどうしたっていうの?理屈ってなに?俳句は考えちゃだめなの?」

 ますます訳がわからなくなりながらも、しかし何か俳句の奥深さを少しだけ垣間見たように感じる摩耶であった。・・・「Thunder!!」

 

●第4話

卑しむわ机の絵轡虫やい いやしむわつくえのえくつわむしやい

季語/轡虫 秋・動物

 

 野桃摩耶。21歳。

 職場の上司に誘われ、人生初の句会に参加し、型破りな極音句会と、そこに集う個性あふれるメンバーに戸惑いつつも、俳句の奥深さに少しだけ触れたような気がした、うら若き乙女である。

 

 会場に鳴り響いていた喧しい音楽もようやく終り、参加者それぞれの句が主催者へと集められていったのだが、結局、摩耶は作ることができなかった。

 「初心者でいきなり席題、しかも(遠雷)って、ちょっと難しいわよねえ、ドンマイ」 そう言って両子さんは慰めてくれた。

 「今からね、すべての句の中の一席、すなはち(Youはsho句)を決めるんだけど、普通の句会だと参加者すべての句をみんなに見せて選ぶけど、ここは人数が多すぎるので、まず主宰者の七男さんが七句を選んで、あとは参加者全員の拍手、もしくは指笛の多さで(Youはsho句)を決定していくのよ」

 なにしろ千を超える参加者だ。これは狭き門だと摩耶は思った。

 「七男さん、大変ですね・・」 「大丈夫よ、そこは大結社の主宰者だもの~。こんなの朝飯前よ。それと・・・これから摩耶ちゃんもわかってくると思うけど、俳句やってるとね、それこそ上がったり凹んだりで、高い評価でとられれば『オレって天才?』と思ったり、とられなければ『やっぱオレには詩心の欠片もねえ!』って思ったり、もう私なんか何度俳句をやめようと思ったかしれないわ~。でも、それが俳句ライフでもあるのよ、ウフ」 「はあ・・」 

 さらに両子さんは続けた。

 「俳句はね、よく(客観写生)とか(花鳥諷詠)とか言うんだけど、ここの結社では、それ以上に大切なのが(北斗神音)なの」 「ほくとしんおん?」 

 「そう。でも、これって上手く説明できないのよねえ~。強いて言えば、ほら、前の方に掛け軸があるでしょ、あれよ」

 摩耶が目をやると、会場前方に畳五枚分ほどの大きな掛け軸が二つ掛けてあった。

  わが俳句に一音の悔いなし

  退かぬ媚びぬ省みぬ真似すんな  

 「これはね、つまりは自分の俳句を作れってことだと思うの。もちろんね、色んな俳句から影響も受けるし真似してもいいのよ。十七音しかないから似たり寄ったりの句もできることもあるし。でもね、最後にはやっぱり、自分が体験した、自分が見た、自分が聞いた、自分が感じた、自分の言葉による世界に一つの私の俳句、そこだと思うの。私もね、まだまだ下手くそなんだけど、でも、下手でもなんでもいいから、そんな私の俳句を作りたいと思って、北斗神音を身につけるべく日夜これでも闘っているのよ・・」

 どこか遠くを見つめる両子さん眼は、少し潤んでいるようにも見えた。 摩耶は美しいと思った。

 そして、自分も北斗神音とやらを身につけて、私の私による私のための俳句を作りたいと思った。 

 「実はね、極音には長年のライバル結社で (虎の鼻の穴) 通称トラハナという、大阪の道頓堀に本部を置く大結社があるんだけど、その主宰者の南斗芯(ナントシン)さんの句にね、

 

 卑しむわ机の絵轡虫やい

 

って句があるんだけど、芯さんは子供の頃から絵が得意で、休み時間によく机に鉛筆で絵を描いてたらしいの。 あるとき、それは見事な、まるで生きてるかのようなクツワムシを描いたんだけど、それを見た学年一美少女の百合亜さんに 『気持ちわるう』って言われたらしいの。それがとてもショックだったようで、次の日から一か月ほど学校を休んだそうよ。でもそのあと俳句を詠むようになって出来たのがこの句なの。この句はライバル結社ながら、とても哀愁に満ちた句として我が極音でもよく知られているわ。やっぱり実体験って強いのよねえ、ウフ」

 摩耶にもその気持ちは少し理解できた。子供の頃から近所の(脱藩の道)でいつも遊んでいたせいか、あるときクラスの男子から 「脱藩の子」 と、からかわれたことがあった。

 「私も自分の体験したことをもとに俳句を作りたいと思います」

 「そうね、摩耶ちゃん、お互い頑張ろうね!」

 会場では、主宰者による選句がまだ続けられていた。

 

●第5話

減らない秋薔薇ならば気合い習へ へらないあきばらならばきあいならへ

季語/秋薔薇 秋・植物

 

 野桃摩耶。21歳。

 職場の上司、墨田両子(すみだりょうこ)が属する少々型破りな俳句結社(極音)の句会に参加し、まさに見るもの聞くもの圧倒されっぱなしの、俳句を志す、うら若き乙女である。 

 

 会場では、北斗七男主宰による選句がまだ続けられていた。

 ふと見ると、会場後方の隅に、一人ぽつんと座る男性に気がついた。

 「あの方、どうしてあそこに座ってるんですか?しかも、あの方だけ丸椅子で、壁に寄り添うようにして・・・、どこか具合でも悪いんじゃないんですか?」

 「ウフ、確かに影が薄く感じるわねえ・・・。あの人はね、元プロボクサーだった方で、俳号を(あしたのジョー句)さんって言うんだけど、なんでも現役の時はノーガードで相手に打たせるだけ打たせて、疲れたところに反撃のパンチを打つ作戦で世界チャンピオンになったそうなんだけど、それがたたってあの通り、ときどき心がどこかに行ってしまってる時があるのよ・・。でもね、実は彼は我らが極音の四天王の一人と目されているのよ~!

 力石を殺しちまつた春の雪 

 紀ちゃんの「ついてゆけない」年の空 

 好きなのと言はれても行く雪の夜 

 真つ白な灰になつたよ冬の星 

 もう、名句がいっぱいあるんだけど、なんといっても極め付きは、

 マンモスの鼻からうどん秋の風  

って句で、この句は極音全国俳句大会で(Youはsho句)に選ばれたのよお~!」

 「全国大会?」 

 「そう、極音にはだいたい50万ほどの会員がいるんだけど、毎年一月に日産スタジアムで全国大会があって、自由題2句、題詠1句で、ざっと150万句ほど集まるの。そして、その中で(Youはsho句)に選ばれるのはたったの一人。それがこの句だったのよ~!」

 摩耶はもう一度、(あしたのジョー句)さんを見た。前髪で表情はよくわからなかったが、口元が少し笑っているように見えた。

 「両子さん、それにしても俳号ってなんですか?面白い名前の人がたくさんいるんですね」

 「まー、要はペンネームってことよ。」

 「両子さんは持ってないんですか?」

 「うーんとね、実は(カトリーヌ麗子)って付けようと思ったんだけど、友達がみんな反対するし、本名がそもそも漫画みたいだから、もう本名のままで通してるわ。摩耶ちゃんはどうする?」

 「私も・・なんか偶然に沸いたような名前なので、このままでいいです」

 「そっかあ・・あのね、この極音にはね、他にも色々な俳号があるのよ~。たとえば(あしたのジョー句)さんの親友で(タイガーマス句)さん、(カジワラ一句)さん。(アタッ句ナンバー1)さん、(スラムダン句)さん、(ブラッ句ジャッ句)さんに(エコエコアザラ句)さん。(句生獣)さんに(母を訪ねて三千句)さん、(おばけの句太郎)さんに(ゲゲゲの句太郎)さん。(銀河鉄道575)さんに(マッハ・ゴー・シチ・ゴー)さん。(俳人さんが通る)さんに(人造俳人句会ダー)さん。それと(俳諧人間ヤ・カナ・ケリ)さん。ここは家族ぐるみで参加してるわね~(天高しはやく人間になりたい)って句が有名よ~!ほんと、色んな俳号あるんだけど、個人的には(母を訪ねて三千句)さんの俳号がなんとも言えない哀愁を帯びてて一番好きだわあ~」

 「色々いらっしゃるんですねえ・・・あ、あの人は?」

 会場の壁際に、ひと際他を寄せ付けないオーラを放つ、ガタイのいいスーツ姿の男性が立っていた。

 「嗚呼、あの人は(デュー句トウゴウ)さん。もう一つ俳号を持っていて(ゴルゴ17)ともいうの。彼はどこの結社にも属してない一匹狼俳人なんだけど、全国の色んな句会に、ふらっと現れては一席を獲ったりするの。彼の代表句は、なんと言っても

 (振り込みはスイス銀行春の風) って句ね、ウフ。」

 摩耶は、じっと、デュー句と呼ばれる男を見た。

 彼の鋭い眼光が会場席にいる一人の女性に真っ直ぐに注がれているのに気付いた。その女性は、かなりのご高齢と見えたが、その白い肌に明るめの金髪を少し高い位置に二つ結びにした(永遠の少女)ともいうべき可愛らしい方であった。

 「(キャンディ鈴木)さんよ。この極音メンバーの中でも一番の古株の方。生ける伝説とも呼ばれているの」 

  「キャンディ・・・海外の方ですか?」 

 「生まれはアメリカで、孤児院で育ったそうなんだけど、まあー、とにかく彼女の生涯は、そりゃあもう惚れた腫れたの波乱万丈で詳しく話せば三日はかかるわね。」 

 「モテたんですね」 

 「モテたってどころの話じゃないわよ。出会う男、出会う男、みーんな彼女を好きになるの!しかも、ことごとくイケメン!!」

 「えー!・・・羨ましいです!」

 「ほんと羨ましいってもんじゃないわよ・・・。とにかく、彼女の最初の彼氏が薔薇専門の園芸男子だったらしいの。ところが不慮の事故で突然亡くなってしまって、すっかり落ち込んだキャンディさんを励ましたのが、のちに彼氏になる超金持ちだけど放浪癖のあるちょっと変人で、その方に、

 

 減らない秋薔薇ならば気合い習へ

 

って言われたらしいの。キャンディさんは、最初なんの呪文かと思ったそうなんだけど、あとにそれが俳句だということがわかって、それがきっかけで俳句を始めたのよ。 死んだ彼氏が育ててた秋薔薇は彼がいなくなっても少しも減ることもなく綺麗に咲いている、ならば私は、その花に込められた彼の気合いをもって人生の荒海を乗り越えてゆこう・・・キャンディさんの波乱万丈の人生を貫いているものは、まさに気合だということなのよね」

 摩耶は、そっとキャンディさんの横顔を見た。 その目からどれだけの涙が流れただろう。でも、その涙の数だけ強くなったのだ。あしたは必ず来るよ君のために・・・そう語り掛けられたような気がした。

 「そーなんですね・・・ちょっと胸が熱くなりました・・・。ところで現在は何をされているんですか?」

 「銀座で小料理屋の女将さんをしているのよ」

 「えー、銀座なんですね。まだ行ったことないです」

 「今度連れてってあげるわ」

 「嬉しい・・・。ところでお店の名前はなんていうんですか?」

 「それは、もちろん・・・(ポニーの丘)」

 

●第6話

こころ閉め日経つ竜田姫城ここ こころしめひたつたつたひめしろここ

季語/竜田姫 秋・天文

 

 野桃摩耶。21歳。

 職場の上司に誘われ、初めての句会に参加しつつ、そこに集う様々な人々にそれぞれのドラマがあることに気づかされながら、自らもまた、この十七音にその思いを委ねたいと思わされる、うら若き乙女である。 

 

 「七男さん、選句が終わったようね」

 両子さんの言葉に摩耶も会場右前方に座る、この巨大俳句結社(極音)の主宰者に目を注いだ。 千人を超える今回の参加者からようやく七つのsho句(ショック)が決まったようだった。 

 「みなさん、今回も素晴らしいsho句をいただき、選ぶのに大変悩みましたが、七句の発表の前に、いつものように、まずは、経絡句披講をしたいと思います。」

 「けいらくくひこう・・?」

 「摩耶ちゃん、経絡句披講ってのは惜しくも七句に選ばれなかった句や、個性的な句、面白かった句など、経絡、ようするに色んな意味でツボを押さえている句を披講するってことなのよ。あたしも経絡句では、よくとられるんだけどねえ・・」

 そうして、主宰者によって次々と経絡句が読まれ、作者が紹介され、ときにインタビューなどもあり、思わぬ句に思わぬ作者、思わぬ真意が披露され、それはそれは和やかな、笑いあり、ちょっぴり涙もありの楽しいひと時が流れた。 

 「それではいよいよ、sho句七句を発表します。最後に作者の名前を発表しますので、くれぐれも作者の方はご自分の句であることが周囲にバレないように願います」

 前方の大型スクリーンにsho句七句が映し出された。

 「それでは、先ずは、それぞれの句について、忌憚なき皆様からの鑑賞をいただきたく思います。どなたでもご自由に述べてください。」

 あちこちから手が上がり、この句はあーだこーだ、こんなふうに思う、いや私はこう思いますと様々な鑑賞がなされた。

 「摩耶ちゃん、俳句の上達は、詠むことと読むこと、この二つが大きな両輪だけども、この鑑賞もとっても勉強になるからよく聴いておくといいわよ。」

 両子さんのアドバイスに摩耶もさらに真剣に耳を傾け、大事と思う言葉は持っていた句帳に書き込んだ。 

 「それではこれより、この中から(Youはsho句=一席)を決定したいと思います。これだと思われる句に拍手もしくは指笛で応えてください。一番大きな拍手、指笛を集めた句が今夜の(Youはsho句)です!!それではいきます!一番右の句から~!」

 そうやって一句一句改めて読まれていったのだが、驚いたのは、拍手よりも圧倒的に指笛で応える人の多さであった。なんと我が上司、両子さんまでもが指笛を吹いている。

 「あら摩耶ちゃん、吹いたことないのね。まー、あたしもここに来るまでは指笛のユの字も無い人生で最初は全く吹けなかったけどね。でも、ちょっとコツを覚えれば誰でも吹けるのよ。片手と両手のやり方があるけど断然かっこいいのは片手ね。ほら、人差し指、もしくは中指と親指でOKサイン作るの。それを舌の裏側に軽く押し付ける感じで銜えて、あとは上下に角度微調整しながら音が出るところを探っていくのよ。もっと上手な人は小指一本で鳴らしたりするのよ~凄すぎよねえ、ウフ」

 ここはなんの道場かと思いながらも言われるままに試してみたが、摩耶にはどうしてもできなかった。 ところが見れば、なんと御年90歳の俳児(ハイジ)さんまでもがピーピーやっているではないか。

 「俳児さんもね、去年入会された頃は全然できなくてね。しかも総入れ歯らしくて通常とってもやりにくいそうなんだけど、今では見ての通り、極音会員の中でも一、二を争うほどの吹きっぷりに成長したのよ~!そうそう、(じいさんを指笛で呼ぶ秋の暮)なんて句も詠まれて見事(Youはsho句)に選ばれたこともあるの~!ほんと、ゴージャス!!」 

 90歳にして俳句を始め、指笛までも覚えた俳児さん。人間いくつからでも新しいことはできるのだ。俳句にはそんな素敵な世界があると摩耶は改めて思った。 

 「実はね・・・、俳児さんは、三年前に御主人を亡くされているの」

 「・・え・・じゃあ、さっきの句は・・・・」

 「そう、あの句は亡くなったご主人に対する追悼句なのよ」

 「そうだったんですか・・・。私はてっきり、ちょっと徘徊癖のついた夫を得意の指笛で呼んでるのかと・・・」

 「私も最初はそんな句なのかなあって思ったんだけど・・・。でも、さすがに七男さんはすぐに見抜いたわね・・。そのあと俳児さんが壇上で(Youはsho句賞)を貰いながら語られたの。実は自分は三年前に夫を亡くしましたって。夫が亡くなってからすっかり生きる希望を無くしてたって。ほとんど人に会うこともなくなって家に閉じこもりがちになって・・・。でもあるときテレビを見てたら、バラエティー番組の中で俳句をやっていて、それがとっても面白くて、今まで俳句なんて一度もやったこともやろうと思ったこともなかったけど、見ているうちに自分でもできるかもと思うようになって・・・・・それで、ここに来ましたって・・・」

 「・・・・」  両子さんは続けた。

 「最初ここに来たとき、どことなく寂しそうでね。その時の席題が(竜田姫)だったんだけど、初心者ながらも一生懸命考えながら作ってた様子が今でも鮮明に浮かんでくるわ・・・・

 

 こころ閉め日経つ竜田姫城ここ 

 

  その時はよくわからなかったんだけど、今、思うと、辛かったんだろうなって・・・。時々ね・・・、七男さんが言われるんだけど、(哀しみを知らぬ者に真の俳句は詠めない)って。」

 「・・・・・わたし・・・・・知ってるでしょうか・・・・」

 「摩耶ちゃん、大丈夫よ。この言葉には続きがあるの。

  (だから人は、誰でも真の俳句が詠める。たとえ幼い子供であっても)って・・・・・」 

 

 摩耶は俳児さんを見た。まだ指笛を吹いている。しかもかっこいい片手吹きだ。

 「ピイーーーーーー!」 ひと際強く、会場中に鳴り響く・・・・・・ゴトッ!?うん?・・・・・突然、音が止んだけど・・!!!? 

 見れば俳児さんの机の上に、キラキラと光る総入れ歯が一つ、転がっているのであった・・・ゴージャス!!

 

●第7話

酢飯を入れ茸の綺麗を示す すめしをいれきのこのきれいをしめす

季語/茸 秋・植物

 

 野桃摩耶、高知出身の21歳。

 憧れのアイドルの住む東京へ一人出てき、彼が出演していたプレバトをきっかけに自らも俳句を詠むようになり、たまたま職場の上司も俳人であったことから初めて句会に参加している、うら若き乙女である。 

 

 俳句結社「極音」の句会はまさにクライマックスを迎えんとしていた。

 主宰者、北斗七男選の七句に対する会場全参加者の拍手と指笛による(Youはsho句=一席)決定は、会場に設置してある100台の音量測定器によって厳密にそのデシベルが測られ、その集音結果がステージ中央に立つ北斗主宰へとまさに手渡されるところであった。

 すると突然、会場の全照明が落ち、ステージの主宰者にスポットライトが当てられた。

 見ると、いつの間に着替えた、いや脱いだのか、筋骨隆々裸一貫のその肉体に、限りなく純白に近い褌を締めた北斗七男が仁王立ちし、手にはマイクとバチを握り締め、その横にはこれまた見たこともないような大きな和太鼓がいつの間にか置かれていた。 

 「今夜の極音句会は、席題(遠雷)ということで、まさに皆様から雷のような御句3333句を頂戴しサンダー、この七男、しびれにしびれました。そして、そのような中から感電死寸前の七句を選ばせていただき、さらに皆様方の熱い熱い拍手と指笛によって、栄えある(Youはsho句)を決定することができ、望外の喜びと感動の鳥肌を禁じ得ません・・。それではお待たせいたしました!七人の選ばれし俳人たちをステージにお呼びしましょう!!  俳人の中の俳人たち~!!!出てこいやあああああああああ!!!」

 そう叫び終るや否や、七男はその大きな和太鼓を叩き始めた。

 「ドンドンドドン!ドンドンドドン!」 

 と同時に、高知の田舎で父と兄がテレビの前で齧りつくように見ていたプライドとかいう総合格闘技のテーマ曲そっくりの音楽が割れんばかりに会場に響きだし、これまた甲高い女性の声と野太い男性の声によって、次々と七人の俳人の名が呼ばれ、ステージへと上がっていった。 

 「あしたのジョー句!」「俳児!」「イナズマン!」「木村健悟!」・・・。 (途中割愛)

 結局のところ、Youはsho句をとったのはラムさんという女性の方であった。あしたのジョー句さんの(遠雷の牢屋にジャブを練習す)や、俳児さんの(遠雷がクララの馬鹿と叫んでる)、イナズマンさんの(遠雷やサナギマンからイナズマン)などをおさえ、

 ダーリンへ放電だっちゃ日雷 ラム

 これが今夜の一席、もとい、Youはsho句であった。

 発表の瞬間は、これまたプライドでよく流れてたファンファーレのような音楽が鳴り響き、これでもかと紙吹雪が舞い、さらに副賞として浅草の雷おこし10年分がプレゼントされた。 

 「それでは皆々様、ご起立ください!」

 主宰者の掛け声と共に会場一同その場に立ち上がった。

 「摩耶ちゃん、極音訓よ、句会の最後にいつも皆で唱和するの」

 見れば、北斗主宰は首になぜか真っ赤なタオルをかけ、ステージのスクリーンには、なにやら文言が並んでいた。北斗七男の声が会場に響いた。

 「人は歩みを止めた時、挑戦を諦めた時に老いてゆくのだと思います・・・。それでは一同ご唱和お願い致します!

 『この一句を詠めばどうなるものか、危ぶむなかれ、危ぶめば一句はなし、踏み出せばその一音が一句となり、その一音が一句となる。迷わず詠めよ!詠めばわかるさ! いくぞおおおおお! ごー!しち!ごー! く(句)うううううううううううう!!』」

イノキボンバイエの曲が流れる中、天に拳を突き上げた会場一同の上にさらなる紙吹雪とクラッカー、そして指笛と拍手が鳴り響き、かくして極音句会はめでたく閉会となったのであった。

 

 「両子さん、す、すごい句会ですね、なんかわからないけれど、すごく楽しかった・・あれ?両子さん?」

 今しがたまで、すぐ隣にいた両子の姿が見えなくなっていた。

 すると、にわかに会場中央付近がみるみると慌ただしくなり、一気に大変な人だかりとなった。

 「なんやろ?」

 摩耶もその方へと近づいてみた。よく見ればその人だかりはすべて女性であり、下は保育園児から上は90歳の俳児さん、年齢不詳の定子さんまでもいるといった具合であった。もちろん我が上司、両子の姿もそこにあった。

 「両子さん、一体どうしたんですか?」

 「あ、摩耶ちゃん、なに言ってるのよ!今日は久々に優弦くんが来てるのよおお~!キャー!」

 人だかりの中心を見ると、頭二つ、いや三つ分ほど背の高い、すらーっとした若い男性が立っており、顔は大谷翔平と羽生結弦と松田優作を足して三で割ったような超スーパーイケメンであった。

 「大羽田優弦(おおはたゆうげん)くんって言うの。25歳の独身!都内の進学塾で英語の講師をしてるの。いつも遅くまで仕事だからなかなか句会には出られないんだけど、なんと今夜は参加してるじゃないのよ~!もお~優弦くんたらあ~!」

 聞けば、彼は二年程前にこの極音に入会し、そのルックスもさることながら、俳句の方もめきめきと頭角を現し、今ではそれを聞きつけた全く俳句に興味のない奥様方までもが極音に入会する始末であった。

 「まさに彼はマダムキラーなの。先月だけでも500人の奥様方が彼を見たさに入会したのよ~。ちょっとミーハー過ぎないかもと思ったけど、七男さんに言わせれば、俳句を始めるきっかけはなんでもいいんだって言ってるからいいのよねえ」 

 摩耶ももっと近くで彼を見てみたいと思った。

 「だめよ!摩耶ちゃん。摩耶ちゃん若いし、あまり目立たないようだけどけっこう可愛いし、昔の俳人で待男無精(まつおぶしょう)という人の句に

 

 酢飯を入れ茸の綺麗を示す

 

っていう、ことわざ的一句があるんだけど、一見目立たない茸も地味な酢飯の中ではその本来の美が輝くようになるのよ。摩耶ちゃんが彼に近づいたら私たちが酢飯になるじゃないのよお」

 全くよくわからない説明であったが、とりあえず摩耶はその場からもう一度彼へと視線を向けた。

 彼は、ガラケー片手の奥様方に犇めくように囲まれながらも、しかし嫌な顔一つせず涼しげな笑顔で対応していた。 

 すると、一瞬、いや摩耶にはもっと長く感じた。三秒、いや十秒はあったはず・・・摩耶の視線と彼の視線とが重なり合う瞬間があった・・・と同時に、今までの人生で感じたことのない何かしら電流のようなものが摩耶の全身を貫き、頭の中ではなぜかNHKのど自慢大会のキンコンカンコンの鐘の音が無限ループし始めた。

 「な、なに・・・、この気持ち・・・、こ、こんなの、初めてぜよおおおお!」

 もはや摩耶の心にはキスマイの何某は微塵もなく消え去っていた。 そう・・。ラブ・ストーリーはいつも突然なのだ!・・・・ゴージャス!!

 次回からの番組内容は、「優弦くん、どうしてあなたは優弦くんなの」です。

 

●第8話

嘘つきバレ檸檬漏れればキツそう うそつきばれれもんもれればきつそう

季語/檸檬 秋・植物

 

 野桃摩耶。21歳。

 高知の田舎から一人上京し、プレバトをきっかけに俳句を詠み始め、職場の上司に誘われ俳句結社にも所属しながら、自分の俳句を作らんとする、うら若き乙女である。 

 

 東京に来て二度目の秋を迎えていた。

 今年から始めた俳句も、自分なりに頑張ってはいるものの、なかなか佳作にさえとられることもなく、先日も極音句会で教えられた (実体験の句は強い) を参考に、NHK俳句の兼題(クーラー)に、

 クーラーをガンガン効かせ冬布団

 という、自分としては、かなり実感のある一句を投じてはみたのだが、結果はやはり没であった。

 「なかなか難しいぜよ・・近づきたいぜよ・・」

 そう、今の摩耶にとっては俳句の上達以上に重要なことは、王子様に少しでも存在を認識され、近づくことであった。

 俳句王子こと大羽田優弦とは、その後何度か極音句会で見かけるものの、おびただしいマダムファンの為にとても近づくことがゆるされず、会話はおろか挨拶さえ未だできずで、いつも遠くからそれこそ指を銜えてただ見つめるだけであり、俳句で良い評価を得て目立つ以外に王子に近づく手段は考えられなかったのである。 

 

 「摩耶ちゃん、極音句会なんだけど、しばらくお休みになりそうなのよ」

 昼休みにそう声をかけてきたのは、仕事だけでなく俳句の大先輩でもある墨田両子なのであるが、土日に美容院に行ったのであろう、その長髪を少し明るめのブラウンに染め、さらに見事な螺旋状の縦ロールヘアーにばっちり極めあげていた。

 「実はね、極音のプロジェクトの一つで10年前から俳句ミュージカルをやってるんだけど」

 「ミュージカル?」

 「そう、実は極音では幅広く俳句の世界を知ってもらおうと、様々な芸術や娯楽の中に俳句のエッセンスを紹介する試みを行っているの」

 「はあ・・」

 「例えば、ほら、摩耶ちゃんも観たと思うけど、何年か前に大ヒットした映画(君の句は。)あれも実は七男さんが台本、監督、音楽、声優を務めているのよ」

 「えー、そうだったんですかあ!」 

 この映画は、松山に住む女子高校生と松島に住む男子高校生の見ず知らずの若い男女が、ネットの俳句サイトで一音一字まったく同じ句を何度も投句しまくったあげくに、相思相愛ならぬ相句相愛になるという超類想類句ラブファンタジームービーで、観客動員数1億2千万の大ヒットとなった。

 「今年公開の(天気の句)も、もちろん七男さんなの。主題歌の(俳句にできることはまだあるんかーい)も七男さんが歌ってるのよお」

 「知らなかったです・・」

 「それで、俳句ミュージカルなんだけど(劇団多季)という劇団も立ち上げて、台詞がすべて十七音で、もちろん季語入りで演じるの。今までに、(オペラ座の俳人)(サウンド・オブ・入選句)(美女と俳人)(法隆寺の鐘)(パリの愛媛県人)を公演してきてるんだけど、今取り組んでるのが(ホトトギス・キング)って作品で、とある俳人の壮絶な生涯を描いてるの。それで、七男さんも忙しくてしばらく句会はお休みなわけ」

 「そうだったんですか・・」 摩耶の脳裏に優弦君の顔が浮かんだ。

 「でもね、摩耶ちゃん、会員同士の句会はそれぞれ自由にやってるのよ・・。それでね。これ摩耶ちゃんだから言うんだけど・・・実は明後日の夜、江戸川区内の公民館を借りて10人くらいで句会やることになったの・・摩耶ちゃんも来るでしょ?」

 「はい・・」

 「それでね・・これ絶対に他言無用なんだけど・・いい?よく聴いてよ・・・」両子の声が一層小さくなった。

 「もしかしたら、優弦君が来るかもしれないのよ・・」

 摩耶は外にほっぽリ出された金魚のごとく、しばし口を開けたまま呼吸することを忘れた。

 「いい?絶対に誰にも言わないでよ。もし知れたら公民館じゃなくて武道館借りなきゃならなくなるんだからね!」 語気を強める度に両子の螺旋ヘアーが、びよんびよんとよく揺れた。 

 

 次の日、摩耶は入社して初めての有休をとった。そして、いつもの新小岩駅近くの美容室(タンポポ)ではなく、渋谷駅周辺のヘアサロン(ハリウッデゥ)と書かれた店へ入ってみた。

 どんなスタイルにしましょうかと言われたもののよくわからず、とりあえず「広瀬すずにしてください」とお願いした。爪も同時に染めてくれるということで、店長おすすめのファイナル・エモーショナル・ブリリアント・スカーレットとかいう色にしてもらった。

 渋谷109で服も買った。衣料といえばユニクロかシマムラの二択の摩耶にとって、これも店長おすすめの服を買ってみたのだが、どこがいいのかよくわからなかった。 

 そういえば優弦君に出会って以来、彼が進学塾の英語の講師ということで、摩耶は英語の独習も密かに始めていた。

 「うちも少しは話せんといかんぜよ・・”This is a pen, this is an apple, ahn! Applepen!”」

 例文を何度も繰り返すのだが、国語以上に英語の苦手な摩耶にとって、これは俳句を詠む以上の困難を極めた。

 また、優弦君は東京生まれの東京育ちで、噂によると未だゴキブリを見たことがないという根っからのシチーボーイということであった。

 「(ぜよ)は絶対にいかんぜよ・・」 だいぶ標準語にも慣れてきたのだが、つい土佐弁が出てしまうことがある。部屋の四方、冷蔵庫、トイレにも(ぜよ禁句)と書いた紙を貼った。 

 そんな部屋の真ん中で、摩耶は今日買ってきた服を身にまとい鏡の前に立ってみた。

 「優弦くん・・気に入ってくれるやろうか・・」

 真っ赤な爪の指で、いつもとは違うスタイルの髪を触りながら、何か自分自身に対してひどく嘘をついているような気がした。 

 「あれ?」ふと床を見ると、田舎から送ってきた檸檬が一つ、小包から漏れて転がっていた。

 と、その瞬間、摩耶の心に、その檸檬が爆発してこのアパート、いや優弦君の住むこの東京も無くなって、そして・・・明日が来なくなればいい・・・と思った。

 

●第9話

策安易の初冬図書の印飽くさ さくあんいのしょとうとしょのいんあくさ

季語/初冬 冬・時候

 

 野桃摩耶。21歳。

 極音句会で一目惚れしてしまったマダムキラーこと大羽田優弦が、両子主催の小人数句会に来ることを知り、有休を使って髪型や洋服などばっちり極めたものの、何かしら違和感と不安を抱く、うら若き俳句女子である。 

 

 よく眠れないまま翌朝を迎えた。

 会社のドアを開けたとたん、社員一同の強い視線を感じた。

 「摩耶ちゃん・・・随分と気合い入れてきたわねえ。誰だかわからなかったわよ」

 囁くように話しかけてきた両子もまた、朝にかけなおしてきたのであろう、螺旋ヘアーが一昨日よりもビヨヨヨンとよく揺れた。

 「今夜のこと大丈夫?誰にも言ってないでしょうね?」

 「はい、決して」 

 そうしてなんとか一日の仕事をこなし、公民館のある小岩駅で下車し、近くの蕎麦屋で腹も満たした二人は公民館の中へと入っていった。

 句会の行われる部屋は二十畳ほどの畳の部屋で、すでに卓を囲んでほとんどのメンバーが席についていた。

 「こんばんは。もうみんな揃ってる・・・あれ・・・、まだ彼、来てないのお?」

 「まだ来てないのよ!両子さん!ほんとにほんとに来るんでしょうねええ!」

 飢えた闘犬のごとく言葉を返したのは御年90の俳児さんであった。 

 と、そのとき表の方でバイクのエンジン音であろうか、品のいい重低音が響いて止った。いつも無口なデュー句トウゴウさんが珍しく口を開いた。

 「あの音はホンダRC213V、フルレプリカのマルケス仕様だ。こやつ・・・ただ者ではないぞ」

 やがて階段を上がるスリッパの音が聞こえ、ゆっくりと引き戸が開いた。 

 上背180は優にあろう、すらーっとしているが明らかに引き締まった肉体に長い脚、そして、なんとも爽やかな笑顔であるのだが、その瞳の奥にはどこまでも少年のような冒険心をたたえているのだった。

 「こんばんは、大羽田です。今夜はお誘いいただいてありがとございます」

 眩しい・・・・とにかく眩しいのだ・・・・。夜間工事の投光器に照らされたごとく部屋が真っ白になり、一同完全にフリーズ状態となってしまった。

 「灰になったよ・・真っ白な灰に・・」 あしたのジョー句さんの呟きに、一同なんとか我に返り、両子はなぜか拍手をし始め、それに釣られて皆も手をたたき出し、ついに俳児さんの指笛までもが鳴り渡り始めた。

 「優弦君・・よく・・よくぞ来てくれたわ・・まさかほんとに・・」

 涙と鼻水とつけ睫毛で言葉に詰まった両子の横で、摩耶もまたこれが本当に現実なのか受け止められずにいた。

 思えば極音句会では、いつも50メートルは離れたところからでしか見ることができなかったのだが、それがこんな至近距離の手を出せば触れることさえできる現実に、すべての思考回路は停止し、ただNHKのど自慢大会の例の鐘の音が再び頭の中を無限ループし始めるのだった。

 「優弦君・・今日はバイクで来たの?」 両子が、つけ睫毛を付け直した顔で聞いた。

 「はい」

 「キャー、いい!あたしを後に乗せて走って欲しいわ~!第三京浜!」

 両子のやり取りに、女性メンバー一同のこめかみに青筋がうねり、俳児さんは湯呑を倒し、摩耶もその第三京浜とやらをガス欠するまで行ったり来たりして欲しいと思った。

 「ところで、みんなの自己紹介をするまでもないんだけど・・優弦君は・・・彼女だけ、まだ知らないわよねえ」 そう言いながら両子が目線を送ってきた。摩耶の心拍数は、キツネの魔の手から辛うじて逃れた野ネズミのそれよりもはるかに高くなっていた。

 「摩耶ちゃん、自己紹介してよ。」 

 顔を見ることができなかった。うつむく先には昨日染められたファイナル・エモーショナルなんとかの赤い爪がちらりと見える。なんでこんな派手な赤に染められたのか。うちが田舎者だってわかったからか。そうさ、どうせうちは高知の山奥の山猿ぜよ、田舎者ぜよ・・嗚呼、おじーちゃん何してるやろ。脱藩の道が懐かしい、脱藩に帰りたい!帰りたいぜよおおおおおおお! 

 「の、のもも・・まや・・です・・」 辛うじてそれだけを告げた。

 「まやさん、はじめまして。大羽田優弦といいます。・・何度か句会で見かけたような気がするんだけど、髪型や服の雰囲気がちょっと違うので、間違ってたらごめんね。」

 ・・・・・・・・え? それ、たぶん・・たぶん・・うちのことじゃ・・・・・・・それって、それって、もしかして・・・・・・・・・・・・・・・・・・脈があるってことなんじゃなかろうかぜよおおおおおおおお! 

 

 極音のライバル結社「虎の鼻の穴」(本部は大阪の道頓堀にある)主宰者の南斗芯(なんとしん)に、

 

 策安易の初冬図書の印飽くさ

 

 という句がある。

 これは彼が中学生の頃、学年一美少女の百合亜に恋心を抱き、彼女が図書室の本を毎日のように借りる読書家であることを知って、読みもしないくせに自分も彼女の借りる本を片っ端から借りて貸しカードに印を押してもらっていたのだが、ある日、そう、あれは忘れもしない11月の寒い日だった。 百合亜から珍しく声をかけられ、

 「南斗君もけっこう本読むんやね。ところで、この間借りてた夏目漱石の(坊ちゃん)。うらなり君をいじめる、あの青シャツって、ほんまムカつくよなあ」

 「う、うん!うん!青シャツってほんまムカつきよるわ、あんなのどっかにホホイっていなくなって・・ほしい・・わ・・」

 百合亜の目が据わっていた。

 「ちょっと、あんた、ほんまに読んどるん?読んでへんやろ?青やなくて赤!レッドやで?あんなあ、言うときますけど・・読みもせーへんくせに本とかガンガン借りんてんじゃねーぞ!このバカチンがあ!おらああ!!」

 そんな切ない思い出の一句なのである。 

 何事も背伸びし過ぎてはいけない。等身大でいこうやということだ。 

 

 摩耶も、明日はいつもの新小岩駅近くの美容室(タンポポ)に行って、もとの髪型に戻してもらおうと思うのであった。

 

●第10話

句の罰を詠めよや詠めよ落葉の句 くのばちをよめよやよめよおちばのく

季語/落葉 冬・植物

 

 野桃摩耶。21歳。

 江戸川区の公民館で行われた小句会にて、憧れの大羽田優弦くんと初めて言葉を交わし、向こうも自分に気が付いていたことを知って、ささやかな希望に胸膨らませる、うら若き俳句女子である。 

 

 公民館での小句会は、最初こそ優弦の登場に、特に女性陣の落ち着きのなさが感じられたが、いざ句会となるとそこは俳人、お互いの句に点数を入れ、熱き鑑賞がなされ、思わぬ作者とその真意に驚いたり笑ったりの楽しくも充実した時が流れた。

 「そろそろお開きにしましょうか。ところで、この後の皆さんの御予定は?」

 両子の言葉にみな顔を見合わせた。実は、両子と摩耶の勤める会社では、年に一度の印刷機のメンテナンスのため明日は臨時休業となっていた。

 「ねえ、時間がある人、よかったら久し振りにカラオケでも行かない?」

 何人かが手を挙げた。

 「・・優弦くんは・・?」 一斉に彼へと視線が注がれた。

 「いいですよ。明日は出勤も午後からだし、たまには僕も歌いたいです」

 さらに何人かが手を挙げた。もちろん、みな女性である。

 結局、今回の参加者の女性陣、それに、(あしたのジョー句)さん、(デュー句トウゴウ)さんも加わり、駅前の8階建てのカラオケ店へと移動した。 

 実は摩耶にとっても久々のカラオケ店だった。故郷の高知では、よく家族で歌いに行った。なので上手い下手はさておき、歌うことは決して嫌いではなかった。 

 まずは、あしたのジョー句さんが口火を切った。曲はもちろん「あしたのジョー」の主題歌だ。

 「叩け、叩け、叩けえええええ~」。

 摩耶としては、初っ端こんな曲で盛り上がるのかと思ったが、ことのほかマダム達には大受けだった。

 「いつ聴いてもいいわ~、ジョー句さんの歌。最後の(あしたはどっちだー)が、なんか泣けるのよねえ」 

 続いて、定子さんの「悲しい酒」、両子さんの「少女A」、俳児さんの「The Beginning」、デュー句さんの「グレゴリオ聖歌」と順番が回り、いよいよ優弦くんの番となった。 曲はアコースティックなしっとりとした英語の歌だった。

 「これ・・クラプトンね!Tears in Heaven、ステキー!やっぱりブルースよね、ブルース!」

両子さん他マダム一同それはそれは大変な燥ぎっぷりであった。 

 続いて摩耶の番となった。こんな落ち着いた大人の、しかも英語の歌なんぞ歌われて下手な選曲はできないと思ったが、実は摩耶の持ち歌のほとんどは(アニメソング)か(ももクロ)で、十八番は、ももクロの「行くぜっ!怪盗少女」と「走れ!」であった。 高知では、いつも摩耶が最後にこの2曲を歌い、途中で祖父も参唱して大いに盛り上がってお開きとなるのが常であった。

 しかしさすがに、そのエリック・クラムボンとかいう、チアーズ・イン・ヘブンとかいう曲のあとに(ももクロ)はマズイと感じた。

 (ブルース・・・・・?ブルースって言ってたっけ?ブルース・・)

 ブルースで閃く曲があった。天体戦士サンレッドの主題歌「溝ノ口太陽族」だ。

 「♪・・ブルース、飛行機雲と河川敷~、多摩川沿いを股にかけたストーリー・・」 熱唱だった。自分なりに優弦くんの心に届けと、特に出だしの(ブルース)の一節に心を込めまくって歌い切った。 ところが歌い終わってみると微妙な空気が流れているではないか。

 「摩耶ちゃん・・あたしこの曲よく知らないんだけど・・なんか面白い歌ね・・みんな、知ってる?」

 両子の一言に他のマダム達も困ったように首を横にふった。

 「優弦くんは?若いから知ってるんでしょ?」

 「いやあ・・僕も初めて聴く曲で・・・。なんだか、摩耶さんて・・ちょっと見た目とはイメージの違う曲を歌うんですね・・・・」 

 やべー。やっちまった?まだ(ももクロ)の方が良かったのか?これはブルースじゃないのか?そもそもブルースってなに?なんなんぜよおおおおおおお!! 

 

 極音のライバル結社「虎の鼻の穴」(本部は大阪)の主宰者、南斗芯に

 

 句の罰を詠めよや詠めよ落葉の句

 

という一句がある。

 これは彼が大学生時代、先祖代々続く俳句主宰者の家柄であるにもかかわらず、本人は全く俳句に興味がなく惰性で投句し、もちろん高評価などいただけるはずもなかったのであるが、ある日、憧れの美女、百合亜が(虎の鼻の穴結社)に入会し、めきめきと腕を上げているのを見て、なんとか彼女に自分も認められたいと思ったのだが、今まで真面目に勉強してこなかったせいで、当然いい句を作れるはずもなく、そんな悶々としていたときに、結社の重鎮でもある(ブラッ句タイガー)さんから

 「坊ちゃん、何をそんなに憂いておられるのですか?一つ私に話してごらんなさい」と言われ、かくかくしかじかと話したところ、

 「そーですか、それなら一つ良い知恵があります」と、なんとブラッ句タイガーさんが代わりに一句5000円で作句してくれることになり、ゴーストライターならぬゴースト俳人によって、南斗芯の句も俳誌の佳句の欄に掲載されるようになったのであるが、その代り彼は、その句作代を稼ぐために夜は人知れず土方のバイトに勤しむ日々を送るようになったのであった。

 そんなある日、あれは12月の落葉の舞う、さむーい日のことであった。

 結社のみんなで大阪城公園へ吟行に行った折、珍しく百合亜が声をかけてきた。

 「南斗くん、最近えらい頑張っとるなあ、俳誌の句めっちゃ良かったでえ」

 「う、うん、おおきに」

 「ところで、うちはまだまだ初心者やんかあ、色々教えて欲しいねん。たとえば・・西瓜。これいつの季語やったかなあ?」

 「西瓜?そらもちろん夏やでえ、それぐらいわからんと話にならんでほんまに」

 「そっかあ・・じゃあ朝顔は?」

 「決まっとるやないけ、夏やで、夏休みに育てたの忘れたんかい」

 「そっかあ、じゃあ、天の川は?」

 「もちろん夏やで、七夕やろ、願い事書いたの忘れたん・・かい・・・・・」

 百合亜の目が据わっていた。

 「あのなあ、いま言った季語、ぜんぶ秋やで。この間も天の川で自分の句が載っとったやん。・・・ほんまに自分で作ってる?作ってへんやろ?なあ?何が面白いねん?なんでそこまでして投句せなあかんの?」

 「そ、それは・・・・・・・君のことが好きやねん!」

 「はあ?・・・・なに、そのロマンの欠片もない告白・・。びっくりやわ・・。あのなあ!ほんまに好きやったら男らしく正々堂々と自分で作って投句しいーやああ!なめとんのかワレ!ほんま一回シバくぞ!!この落葉野郎がああああ!!こらああああ!!!」

 そんな、すっぱい思い出の一句なのである。 

 人生何事も偽ってはいけない。馬鹿を見てもいい、正直にいこうやないか、ということだ。 

 摩耶も、次回歌う時には正々堂々と、世界で一番好きな曲、ももクロの「行くぜっ!怪盗少女」と「走れ!」を、優弦くんに向かって声高らかに歌おうと心に誓うのであった。

 

 「♪・・今はまだ勇気が足りない、少しのきっかけが足りない、動きだして、僕のからだ、走れ、走れ、ゴージャーース!」

 

●第11話 (最終回)

ビヨンセ愚に貸す蟹工船予備 びよんせうこにかすかにこうせんよび

季語/鱈場蟹 冬・動物

 

 野桃摩耶。21歳。

 極音句会で一目ぼれした大羽田優弦とやっと知り合えたものの、小句会のあとのカラオケの選曲でイメージを悪くしてしまったのではないかと気を揉む、うら若き乙女である。 

 

 カラオケ店での締めは、俳句結社(極音)の愛唱歌でもあるクリスタルキングの「愛をとりもどせ!」を皆で合唱し、特に曲中の(Youはshock!)のところではお互いを指さしてシャウトしながら、次回句会への士気を高め合いつつのお開きとなった。

 「それじゃあ、みなさん、名残惜しいけど・・・・優弦くんもバイク気を付けてよお~」

 両子の言葉に優弦も笑みを浮かべ、皆に会釈をし、ヘルメットを被った。

 スモーク・シールドのため、ほとんど表情は分からなかったが、その奥にある瞳を見つめるように摩耶は優弦を見つめた。

 「ブオーン!ブオーン!バリバリ!ブブブウオオーーン!!」

 信号が青に変わった途端、アスファルトに穴が空くかと思われるほどの爆音を響かせ、ロケットスタートで飛び出したかと思うと、第一コーナーを肘と膝を擦らせながら右へと曲がり、瞬く間に彼は消えてしまった。

 「風のように行っちゃたわね・・。そうそう、下北沢に一人暮ししてるんだって。いやーん、優弦くんと下北沢、ちょっと意外~どんだけ~!」 マダム一同、バイクの見えなくなった道路の先へ指を一本立てながら、しばし「どんだけ~」を繰り返した。

 続いて、マダム達も三々五々電車等に乗り、あしたのジョー句さんは健康の為にと住まいのある荒川区まで走って帰り、俳児さんは孫の用是夫くんが車で迎えに来てくれ、定子さんとデュー句さんはいつの間にやら姿が見えなくなっていた。

 「さて、摩耶ちゃん、私達も帰りましょうか。今夜は遅いし、たまにはタクシーにしましょうよ。アパートまで送ってあげるわ。大丈夫、わたしのオ・ゴ・リ。可愛い後輩をこんな時間に一人で歩かせられないわよ~」 いつになく今夜の両子は上機嫌であった。 

 タクシーに乗るなり、両子はスマホを取り出した。

 「摩耶ちゃん、そういえば、北斗七男さんのラジオ番組知ってる?」

 「え?七男さん、ラジオもやってるんですか?」

 「そうよ、もう二十年くらいやってるわ~。ほんと七男さんてね、俳句主宰者以外にも、映画監督やら劇団団長やら・・・・・、そうそう、ロックバンドのリーダーもしてるのよお~」

 「ロックバンド!」

 「(一句すJAPAN)ていうの。ドラムとピアノ担当で、なんとドラムを叩きながらピアノも弾いちゃうのよお~。それで俳句の主宰者って、これがほんとの口八丁手八丁ってやつね!」

 「はあ・・」

 「ラジオなんだけど、水曜の夜の2時間生放送俳句番組で(北斗七男のオールナイト一喜一憂)っていうの。ちょうど始まる時間だから、ちょっと聴いてみる?」

 そう言いながら、両子はスマホのボリュームを少し上げた。

 「OKベイベー!OKベイベー!今夜も始めちゃうよ!みんなの投句とリクエスト曲の2時間ナ・マ・ホ・ウ・ソー!イエー!北斗七男のオールナイト一喜一憂ゥ~!チェケラウト!センキュー!ベイベー!!」

 「七男さん・・句会とはまた違う感じで、はじけてますね・・」

 「そーなのよ。ちょっと引いたでしょ?私も最初、これほんとに俳句番組?って思ったけど・・。とにかく七男さんは俳句がもつ従来の古臭いイメージを打ち破りたいみたいなのよね。・・よくね、伝統と革新とか言ったりするけど、俳句も芭蕉より続く伝統という大きな幹を保ちつつ、一方では常にその時代に合う俳句の新しい在り方、多様性方向性を、もっと模索していくべきなのよ・・・・と、七男さんが言ってたけど、なんか難しくてよくわかんないわ~ウフ」 

 車内に七男の声が響いた。

 

 「今夜もたくさんの投句!そして今夜のリクエスト曲は冬の夜に聴きたいあなたの一曲!たくさんたくさん、センキューベイベーだぜ! それではさっそくいっちゃおうかあ~!最初の一句一曲!おっと、これは、USAからだぜ~おいおい・・ビヨンセ!え?本人?なわけないよなあ。なになに、『私は大の蟹好きで中でも鱈場蟹が大好きで専用の船も所有しているのですが、先日、友達の友達にどうしてもと頼まれ、船を全部貸してしまい、なんと今年はまだ鱈場蟹を食べていません。』 そっかあ・・そんな彼女の一句 (ビヨンセ愚に貸す蟹工船予備)・・うーむ・・こんなつまんない一句でいいのかあ!ビヨンセ!ということで彼女の冬の夜に聴きたい一曲はビヨンセで(Listen)・・・・聴けってか?おいおい!」

 車内に、歌姫の切なくも力強い歌声が流れた。

 

 「さて、お次は誰だあ!?おっと、おっと、我らが俳児ちゃんじゃないかあ!

 『七男先生、こんばんは。私の生れ故郷は白馬村というところでございます。小学校卒業後、東京の知人宅へ女中として雇われ、やがて独立するも、金が無い、学歴が無い、なんの技能も無いという孤独の中で、ときに人におもねてみては、世間の冷たさを味わい、口惜しさや淋しさに声をあげて泣いたことも度々ありました。けれどそんな中、よい人とめぐり逢い、子も授かり、そして、この人生の晩年、俳句という楽しみも頂きました。本当にありがとうございます。 東京に住んで80年近くにもなりますが、今日のような雪の降る日には、ふと故郷の山を思い出してしまいます・・・。』 

 そっかあ・・そんな俳児ちゃんの一句 (アルプスの絵より声して雪の街) リクエストは最近、孫に教えてもらってすっかり気に入ったという一曲、くるりの(東京)・・・」 

 車内に、エレキギターの歪んだ音が激しくも優しく響いた。 

 

 「さーて、お次は、おっと来ましたよ来ましたよ、我らがヒーロー、あしたのジョー句さん!

 『おっちゃん、こんばんは。随分昔の話なんだけどさ、ある寒い日に、ある人から、それとなくボクシングを止めるように勧められたことがあったのよ・・。で、結局止めなかったんだけど。そしたら、そのあと、その人は嫁に行っちゃってさ・・・・。今日みたいな寒い夜は、ふと、そんな昔のことを思い出しちまうんだよな。』

 ・・ジョー句さんもなあ、色んなとこ通ってきたんだよな。そんな、あしたのジョー句さんの一句、(マンモスの隣の君や冬花火) リクエストは、SUPER BUTTER DOG の(サヨナラCOLOR)・・」

 摩耶の脳裏に初めて見た時のジョー句さんが浮かんだ。壁に凭れるように座って、静かに微笑んでいたっけ・・・・。 

 

 そうこうするうちにアパートの前にタクシーが止まった。

 「両子さん、お言葉に甘えます。」 「いいのよ~。それより摩耶ちゃんも続けてラジオ聴いてみてね。それから、今日思ったんだけどさ・・・・・、優弦くん・・・・、摩耶ちゃんに気があるわよ」

 「え・・」

 「命短し恋せよ乙女!全力で応援するわよ、ウフ・・・・おやすみ」 

 

 外階段を上がりながら、摩耶もスマホのラジオのチャンネルに合わせた。

 極音句会で名前を聞く方々の句やリクエスト曲が次々と流れた。

 「さて、お次の方は・・・・おお!こちとら江戸っ子の墨田両子ちゃん!

 『七男さん、すっかり寒くなってきました。ところで以前にも話した息子のことだけど、もう二年以上音信不通のままです。どこでどうしているのやら。これも母子家庭のせいかなあ。お世辞にも立派な子育てをしたなんて言えないけど、それでも一生懸命愛して育ててきたつもりなんだけどなあ・・。こんな冬の夜は、息子がよく聴いていた音楽を聴きたくなります。』

 そかそか・・・。そんな両子さんの一句、(冬の夜や息子のすきな曲を聴く) リクエストはMAN WITH A MISSIONの(Memories)・・・。おい息子!聴いてたら連絡ぐらいしろー!かーちゃん心配してるぞおお!」 

 

 「両子さん・・・・・・・・・」

 摩耶の脳裏に、さっきまで隣に座っていた両子の笑顔が浮かんだ。 

 

 「さて!残り時間も少なくなってきっちゃったよお。うん?・・・・おお、これは初投句かあ!出ました!我らがアイドルの優弦ちゃんだああああ!!」 

 明らかに心拍数が上がるのを摩耶は感じた。

 

 「なになに・・、

 『北斗先生、こんばんは。突然ですが、僕には、いま気になる女性がいます。でも、まだ挨拶もしたことがありません。すると先日、ある句会のお誘いがあり、その人がそこに来ることがわかりました。うまくお話ができればと思います。それにしても・・僕が人を好きになるなんて去年までは考えられませんでした。僕には親がいますが、でも本当の親に会ったことがありません。でも、色んな人に支えられ、俳句にも出会い、自分を受け止められるようになったと思います。こんな僕ですが、これからもご指導よろしくお願いします。』

 ・・・・そうか、優弦・・・・。たった一度の人生!思い切り恋をして、思い切り失恋もして、そして思い切り生きろお!そんな優弦の一句、(吾の知らぬ父と母ゐる銀河の端) リクエストは、優弦のお母さんが好きだという一曲、和田アキ子の(あの鐘を鳴らすのはあなた)・・・・」 

 

 摩耶の目から、嬉しいような哀しいような・・・・・ないまぜの涙が、こぼれた。 

 

 「ハイ!今夜もついにお別れの時がやってまいりましたあ!あっ、という間の2時間!うおおおー!ラストの一句一曲だあああ!・・・・うん?俳号がないぞー!名前ぐらい書きやがれえええー!

 『七男さん、初めまして。僕はプレバトの夏井いつき先生の教える俳句が面白くて俳句に興味を持ち、今も夏井先生のいつき組の端っこで俳句を詠んどるよ。極音句会も面白そーなんで、いつか参加してみたいなあ。そん時はよろしく!』 

 おうおう、どんどん結社歯医者、垣根も国境も前線も越えて出てこいやあ!待っとるでえ!そんな名無しさんの一句、(鍵盤の響き残りて冬銀河) リクエストは、小田和正の(東京の空)。今夜は、この曲でお別れするぜい!センキューベイベエエエエエエー!おりゃああああ!!!!」 

 

 小田和正の透き通るような声の流れる中、摩耶は窓を開けて、東京の夜空を眺めた。

 さっきまでチラついていた雪は止んで、冬銀河とまではいかないものの、幽かな光を放つ冬の星が疎らに見える・・・・。

 

 楊梅の山山山や野桃摩耶

 

 初めて作った自分の句をなぜか呟いてみた。 

 「楊梅の山山山や野桃摩耶・・」 

 

 野桃摩耶、21歳。

 大都会の冬の夜空はどこまでも静かに・・・・静かに澄んでいた。 完。