自分探しの旅というものをしている人々が
たまにいますがそれの大半は
決して自分探しの旅などではないように思います。

いろいろな価値観を見ることが出来る。
そんな良さがあるのかもしれませんが
いろいろな価値観に少しだけ触れるということは
果たして本当に良いことなのでしょうか。

短時間で垣間みただけの価値観というのは
ただ単に自分の中に『目盛りの長さが違う物差し』が
増えるだけだと感じます。

当然、単位がそれぞれバラバラなのですから
あるモノごとに対して自分の距離感も
増えてしまうことになるのです。
だから、どれが今するべきことで
何はしなくていいのかということが
よく分からなくなってしまいます。

他者のものさしばかり増えた自分は
もう自分ではなく他人です。
自分探しの旅をしているはずが
自分を無くしてしまう。

あげくの果てにその旅を終えた後に
『自分は自分』などという
とても中身の無いことを言い
人生の境地にでも達したかのような
気になっている人もいるのではないでしょうか。

よくよく考えてみるとしばらくひとつの所にとどまり
周りの人のコアとなるものを肌で感じ
自分のコアとなるものをさらけ出すことの方が
よっぽど自分探しになるように思います。

それよりも常に定住しない旅を選ぶ人は
自分をさらけ出すということに
大なり小なり恐怖感を抱いているのではないでしょうか。
一つの場所にとどまれば友達も出来るでしょうし
恋なんてものもすることになるかもしれません。
そのような関係になることが苦手であり怖いのです。

自分探しの旅とは
自分を探さないための旅
なのかもしれません。

旅ということを文字通りの意味としてとらえ
旅をするのではなく、
人生という旅の中で自分を探していきたいものです。