回数にして20回近く、時間にしておそらく50時間を超える話し合いを経てやっと地鎮祭に漕ぎ着けました。
地鎮祭と言ってもすでに2ヶ月ほど前のお話ですが…
FBばかりでブログを全く更新していない結果がこれです。
振り返ってみて一番大変だったのは予算オーバーによるプラン変更でした。
2012年の11月に具体的な予算提示がありました。
明らかにウルトラ予算オーバーでした。
払えない額ではありませんでしたが、これからの20年あまりを家のために働くような額でした…
おそらく建築家の川本氏が、とりあえず予算を気にせず(少しは気にしたかもしれません)、彼の理想とする建築物に出来るだけ近い形で提示されたんだと思います。
初めから減額作業ありきの話ではあったので…
ではその減額の方法ですが。
建築家サイドの提案は、スポーツカーが何十kg、何百kgと軽量化するためにグラム単位でパーツを削っていくのと同じ事を建築価格に行うと言う、おそらく彼らにとっての常套手段でした。
これって素人の僕らにとっては気の遠くなるような作業であり、希望予算額まで到底下げられる気がしませんでした。
減額案の内容も家そのものの質感を下げるような内容が目立ち、その内容の残酷さに目の前が真っ暗になってしまいました。
「質感を下げてまでこのコンセプトを貫かなきゃならないの?」
「一体何でこんな事になったんだ?」
言い知れぬイライラを抱えつつ暫く悩みました…
そもそも何故ここまで予算が膨らんだのかについて考えました。
一番は予定外の構造変更(木造→鉄骨)です。
では何故鉄骨が必要になったか?
それは広大なウッドデッキが2階レベルに存在したからです。
自暴自棄になっていた僕は、「だったらウッドデッキなんかいらねぇだろ?」
とまで考えました。
しかしウッドデッキが無くなると言うことはこの家のコンセプトが根底から崩れると言うことです。
すなわちプランを白紙に戻す事になります。
僕らも悩みましたが、一番悩んだのは建築家の川本氏だと思います。















結論ですが、ウッドデッキ生き残りました。
鉄骨→木造に戻しました。
木造でも耐え得る様にデッキのせり出しを抑え(結果ウッドデッキの面積は若干縮小)、ウッドデッキを支える役目も果たす玄関棟を大きくし、ウッドデッキに乗っかる様に存在していた最大の重量物である嫁のエステルームを南側の棟に吸収移動させる事でこれを実現しました。
割りを食ったのは嫁でした

しばらくの間は頭のなかで膨らましていたイメージを切り替えるのに苦労していました。
こうして、ちょいオーバーではありますが最終的な予算が決まり着工へのGoサインが出た訳です。
晴れて2月23日に地鎮祭が行われ、建築工事の本契約を結ぶことが出来ました

予定よりも半年以上も竣工の予定は遅れ、その間は長男を小学校へ車で送らなければならなくなりましたが、建築の過程において起こり得る全ての事が必然であり、それら全てが我が家と言うモノを形作って行くんだなと今感じています。
