脳脊髄液減少症と線維筋痛症と日々の事
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23日は父の祥月命日です
20年以上の月日が経ちました

子供達や母とは
いつも父の話をしてきたせいか
本当に20年も経ったのだろうかと
不思議な気持ちです 

父は闘病の為 入退院の
繰り返しでした

寝込む時間が多くなってからは
母か私が常に傍にいました
当時は私も近くに住んでいたので
日に何回か 自宅の事をしながら
通っていました


入院中は辛い事も多く
なるべく入院を避けていた父ですが
最期の入院は父が決めました

入院する時 出迎えてくれた
看護師さんに
「よく入院を決めてくれたね」
と言われ 
「周りが大変だから」
の様な事を話しているのが
聞こえてきました

最期まで家族の事を
気遣ってくれた
気を遣わせてしまった…
胸が締め付けられる思いでした

22日の晩 父の姉達が
お見舞いに来てくれた時の事

脚を痛がる父のベッドに上がり
暑がる父を扇ぎながら
マッサージをしていると

「気を付けろよ」
父に目を見て言われました
その時は 繋がれている管に
触らない様に
気を付けてって事かな?と
思いましたが
叔母達に「たかちゃんの体を
心配して言ってるんだよ」
と言われました

父が何を言いたかったのか
知りたくて…
彼方に還った時に
聞きいてみたいと思います


この日は 子供達の学校が
連休中だった為
母と一緒に
私も病院に泊まる事にしました

祖父母との三世代家族で育ち
私が産まれた頃から
祖母は身体が不自由で
寝たきりでした

その為 家を留守に出来ず
家族での宿泊旅行はした事がなく
不謹慎ですが 初めての
親子でのお泊りが嬉しかったです
まだまだ続くと思っていました

でも最初で最期に
なってしまいました

悲しいけれど
父の旅立ちに傍に居れた事は
父からの贈り物だったんだと
思います


大切な人との別れは
いつでも辛く悲しいですね

いつしか長男君も 20年も
経ってしまったなんて思う時が
来るのでしょうか…
出来れば そこまで待たずに
お迎えに来て欲しい

あと数日で長男君の
祥月命日です
心乱されずに 穏やかに
その日を迎えれますように

お父さん 沢山の愛をありがとう
長男君を先に逝かせてしまって
ごめんなさい
私が逝くまで 長男君を
宜しくお願いします