じゃんぼのブログ

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ドキュメンタリー映画の鑑賞会IN博多。『水に沈んだ村』を鑑賞。たくさんのプロデューサーと話す。どっぷり入り込むのは俺にもできること。中国で映像も作って行きたいと思う。で映像作成と役者の両方の視点を持てればまた表現の世界が広がって行く。

纪录片的欣赏会在博多日本福冈县。最近我认识很多監督。他们说你一定在中国拍电影。我发现自己有新的表现的办法。就是电影監督和演員。


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 イギリスバーミンガム大学院に合格し、

 今年7月から留学予定だったのですが
 

 先日東日本大震災の被災地

 宮城県気仙沼市唐桑半島を訪問し
 

 FIWCという学生時代からやっているNGO団体の

 震災復興支援活動に少しだけ参加してきました。

 そこでは、津波で家や家族を流され、

 生活の糧である船や養殖の設備などを失いながらも

 必死で復興しようとする人々とお話する機会がありました。


 初めて会ったのに身の上話をして、

 撮れたばかりの魚を食べさせてくれた方もいました。
 
 僕らボランティアが歩いていると、

 「こんにちは、ご苦労さん」という声をかけていただいたり。
 

 なんというか、被災地全体で一体感があるというか、

 

 日本なのに日本でないような
 

 並々ならぬものを感じました。
 
 それで、僕は留学を1年延ばし夏の間2カ月ここに住んで、

 

 地元の人達と一緒に
 復興に向けて何かしよう!という決断をしました。

 詳しくは、唐桑で頑張っている加藤拓馬の

 blogをご覧下さい。


 http://blog.canpan.info/entoki/

 


宮城県気仙沼市唐桑半島に行った。

FIWCの震災支援。加藤拓馬という23歳の若者が、入社したばかりの会社を休職して、震災直後から住み込みでやっている。

拓馬のおかげで、ボランティアの拠点もでき全国から集まってきている。

ワークをしたのは斉藤和文・良子さん夫婦の家。
唐桑の鮪立地区の高台にある。

一階まで津波が来て、おばあちゃんが引き波にさらわれてしまった。
チリ地震のときに大津波が来ると言われ実際にはそんなに大きくはなかった。油断していたという。

今回の津波の様子を、写真を見せながら話してくれた。
会ったばかりの、俺たちに。

『避難所では、電気屋、ガス屋、魚屋などすべての人が協力し合った。150人分の食事を毎日作りあった。地震前に薄れてきたと感じた繋がりが、よみがえってきている。若い人やボランティアの方が来てくれて、本当に元気付けられた。ワカメの商売も少しずつ再開したい。』

邪魔になるのでは?と考えてボランティアに来ない人がいたら言いたい。
来るだけでもいいんです。

ハンセンの村のじいちゃん・ばあちゃんと一緒なのかも。

でも斉藤さんは言う。
ボランティアが来ていても、なかなか頼みたいことを頼めない。例えば、津波でぐちゃくちゃになった家の中を拭いたり、家の草刈など。

村の人と、ボランティアに距離があるからなのか。繋がりがなければ、ボランティアは本当に必要としている人のニーズを拾えない。

短い期間でも、来るより来ない方がいい。イギリス留学を前にして俺はそんなことを考えていた。

出会う人で会う人が、家が流されたり家族を失ったり。
でも、俺たちに『お疲れ様。よかったらマンボー食べるかい?』と魚を振舞ってくれる。

そんなのアリか?俺は何もしてないですよ・・・

日中は30度を越える暑さ。ワークをしていても30分に一回は休みをとる。
蝿も異常に多い。

ブロックや瓦を重機が運びやすい位置に移動する。
ワークを依頼してくれたおばあちゃんも一緒に運んだ。めっちゃ重いのに、一緒に運んだ。

ぐっちゃぐちゃの中でも少しでもかたづいたら嬉しいんだと思う。綺麗になった庭を見て少し安心していたようだ。

でも、俺たちが帰った後もまだ一人でかたづけていた。


帰りの夜行バスでも被災した方が乗っていた。

気仙沼で家が流されたそうだ。東京の電車に不慣れだったので案内した。
いろいろ話をした。
東京に住んでいる娘の赤ちゃんがもう少しで生まれるそうだ。

おばちゃんと別れて、品川の駅の構内を歩いてるとなぜが涙が流れてきた。



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