July Hotel

July Hotel

かつて、ヤワラーのロータリー22にジュライホテルと言う長期滞在用のホテルがあり、いつの頃からか?そこの住人はジュライ組と呼ばれた、歴史のアジア、金の北米,女の南米、耐えてアフリカ、無いよりましなヨーロッパ、豊かな青春、惨めな老後、壁に落書きを残した、

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マッドマックス、リーサルウエポン主演の俳優、メルギブソンが、
チェンマイで、”エアーアメリカ”のロケーションをやっていた、
フランクが、エキストラで出演すると言っていた、
900Bの日当が目当てらしい、
何日か、エキストラで、参加、そのギャラで?
ピーコックバーで、Beerを飲もうと思い。
バイクを止めて、ドアを開けようとドアのノブに手をかけた途端?
誰かが?後ろから、ビール瓶の様なもので、殴ったらしい?
フランクは?気を失い、病院のベッドで、気がついた、
彼が、はげ頭をなでて、指を指してところに怪我の跡、
何針か縫ってあった、
その時の彼は、見るからに痛々しい有様で、イスにも、
満足に座れない状態であった、しかし、
”エアーアメリカ”のエキストラの話に目を輝かして、
楽しそうに話した、
私は
”フランク?このムーヴィーは?
ハリウッド映画なのに?
特殊効果スタッフ、カメラマンなどは?
英国人?だったよ?なぜ、?”
フランク曰く
”それは?ハリウッドの連中のギャラが高いからだ、
その上、来たがらない、けれど?ロンドンの連中は、
仕事が無く、安いギャラでも、文句を言わないからね、”
”なるほど”と相打ちを打ちながら、ビールを飲んだ、


雨のチェンマイが、嫌いと言う人が居るが、
私は、それも好きである、P.K Guest Houseの
バルコニーに腰掛けて、眺める雨は?
心を、柔らかにさせる何かがある、
第一、乾期と違って、道路にほこりが立たない、
空気がきれい、すがすがしい呼吸が出来る、
19日のバンコクポストの記事で、
サンフランシスコにマグニチュード6,7の地震があったそうな、
250人死亡、高速道路が倒壊(フリーウェイ)の写真があった、
記事を読むにつれて、1970年のカリフォルニア大地震を思い出した、
当時私は、ロスアンジェルスの、リトルトウキョウ、
1st~2st通りのアランホテルか?もしくは?巴(ともえ)ホテルに居て、
この地震を体験した記憶がよみがえる、
この時、ロスアンジェルス周辺の、昔のレンガ造りの、
コロニアル風の建物、教会がほとんど倒壊した、


88年11月某日、
一年と10ヶ月ぶりにN氏にジュライで会った、
黒く、精悍な顔つきが、
インド~中近東~アフリカでの、
苦しい旅を物語っていた、
エジプトで、自転車を買い、アフリカの旅を始めた、
~と言っても、サイクリング用の自転車ではなく、
お買い物自転車で、ドロップハンドルも無く、
ましてや、変速機などといったものは、付いていない、
普通の街で見かける自転車です、
彼曰く”変速機、必要ないですよ、坂は、押して登り、
乗って下ればいいわけですからね”
”それより!ツエツエ蝿に追いかけられた時は?
参りましたよ、自転車に乗っている真後ろから、
黒い雲のような塊になって、追ってくるのですからねえ、”
一直線に噛み付きにくるらしい?
”おかげで、あざだらけですよ”
ズボンをあげて、足の皮膚を見せた、
日に焼けた黒い肌に、
なお、黒い点が残っていた、



羅斗圏大旅社、
こういう風に書くと?
何の事だか判らない人が、
ほとんどではなかろうかと思いますが?
これで、中国語でJuly Hotelの意味です、
英語では?
Circle 22nd July Hotel 
299 mittaran rd, Bangkok Thailand ,
となります、
今は、もう、1995年以降、
ここに手紙などを、送っても
住所不定で、戻ってくるのが落ちですね、
ここに書いているブログは、
色んな所の出来事が書いてあるのですが?
太陽系の中心が、太陽であるように?
ここでは?全て、Julyを中心に、回って、Julyに帰結する、
世界中を旅して、ここにたどり着く、
いわば、港のような場所が、当時July Hotelだったのです、


‘87年11月某日、
チェンマイでは?
11月の最初の満月の夜、
ロイカートンと言う、
日本で言うところの”灯篭流し”がある、
当時は、いい街場であった、
適度に都会であり、観光地であり、
人々は優しく、過ごしやすい街場だった、
ターペイ門から、大通りを東に向かって歩くと、
メーピン川の橋にかかり、東詰めを左へとると、
川沿いのレストランが並ぶ、一軒の店で、ワインを飲む、
灯篭のろうそくは?水面を明るく照らし、
満月の光も、さらに水面を照らす、
I氏M氏と私の三人で、しばらくの間?
このすばらしいムードに?酔っていた、
遠くで、爆竹の音が聞こえた、

’87年2月ある日、
ジュライで、考えた、
自由寄稿家、特に、文筆家は?
厚顔無恥でなければ書いてゆけない、
他人の文章を気にすると、
自分の才能の無さが、ありあり、と判り、
落ち込んでしまう、
とにかく、自分の文章を、垂れ流す事だ、
だから、やさしい人は?文筆家、寄稿家には向かない、
まさに、
レイモンドチャンドラーが、フィリップ マーロウに
言わせた言葉、
”やさしくなければ男ではない、
タフでなければ男ではない”
この男と言う言葉を、文筆家に、
当てはめれば?
似たような事が?言える、
”If I wasn't hard, I wouldn't be alive.
If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.

本当の原文は?
こうですがね?


90年3月、某日、
暑い!ひたすら暑い
バンコク ヤワラー、
でも額に流れる汗が気持ちいい、
ジュライホテルに着くと、満室だった、
そこに、バケツのNさんがエレベーターか出てきた、
取りあえず、自由寄稿家は、彼の部屋で、一泊させてもらい、
あくる日に、511号室へ入った、道路に面しているのでうるさい、
窓を閉めて、天井のファンをまわす、やっと、落ち着く、
自由寄稿家の友人は?
作家ではなくて、
泥棒、詐欺師、刑事、医者、弁護士、娼婦、実業家、ヒッピー、
その他なんでも、作家以外の職業である方が、
はるかに栄養豊富で、好奇心が沸き、新鮮さを覚える、
と言う一節を、どこかの本で読んだ、


連絡事項!です、
下記の、ゆるやかな条件をつけているのは?
全然、ジュライホテル周辺を知らないと、
話が通じないからで、
その辺を知っている人たちの、
仮想コミュニティーにしたいと思っています、

1)
ジュライに一泊でも泊まったことのある人?
2)
楽宮に泊まったことのある人?
3)
スワニーの店、北京飯店で、飯を食った事のある人?

コメント欄にコメント及び、
メールアドレス残してもらってもかまいません、
確認後、連絡いたします、
なお、コメント欄のメールアドレスは、
プライベート事項なので、
公開はしません、
私の尊敬する、
”インド独立の父”
ガンジーの言葉、七つの社会罪です、
1)原則なき政治     (Politics Without Principles)
2)道徳なき商業     (Commerce without Morality) 
3)労働なき富      (Wealth without Work)
4)人格なき学識(教育)  (Knowledge without Character) 
5)人間性なき科学    (Science without Humanity) 
6) 良心なき快楽     (Pleasure without Conscience)
7) 献身なき信仰     (Worship without Sacrifice)
まったく、
これに反している、
現在の日本です、
好くなるはずがありません、

人はトラブルが発生するとトラベルに出たくなるもの、
犬も歩けば棒に当たる、
かつてのジュライホテルは世界一の長期の日本人旅行者の溜り場、
そういう旅行者の中で、そのような心境で旅立った人もいるでしょう、


1995年10月にジュライが閉館、

閉館当時では、

まるで老人ホーム、

と揶揄した者がいましたが、それほど外れていはいなかったでしょう、


今現在は2001年であり、
15年の歳月がながれたことになります、


歴史のアジア、
金の北米・女の南米、
耐えてアフリカ、
無いよりましなヨーロッパ、
豊かな青春、
惨めな老後、
楽宮旅社の部屋の壁に誰かさんが落書き、


気がつけば浦島太郎、
棒に振り回されて、一生を棒に振ってしまったわたし、
後悔するはずもなく、あのジュライにいた当時が懐かしくて、愛おしくて、
優しかったタイ人に、地球の全ての人に、
合掌、
その心境は私だけではないでしょう、