曜子のブログ~ 昭和の歌
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大空と大地の中で   ルンタの青春 最終章

煙突から細く煙が上がっていった。
俯いて涙を見せないように歩いてくる妹をルンタは歩を緩めて待った。

父を送ってから3年経っていた。
父の妻だった女性は父が居なくなった後もあの家に暮らし続け、
ルンタはその母と娘の元をしばしば訪れた。

寄る辺のない身になった母子を放り出してしまうのは
気持ちが咎めた。

父の妻から聞く、父の姿はルンタの全く知らない人だった。
声を荒げることもなく、酒も飲まず、幼い娘を可愛がった。
しかし、長い間の不摂生で弱った肝臓は父の家庭生活を長くは持たせなかった。

父の葬儀の日に幼い妹と初めて向かい合った。
ちょうど同じ年頃に、自分は母に捨てられた。
幼い妹が父を失って悲しむ様子に、ルンタの心が融けた。
自分が封印してきた悲しみを素直に表す少女を守ってやりたいと心から思った。

ルンタが誰かの喜ぶ顔が見たいと思ったのは、覚えている限りでは
初めてのことだった。
自分でも不思議な気持ちだった。

父の位牌に線香を上げるといいながら、
ルンタは母子の元を訪れた。
父の妻から生きていたときの父の話を聞きたかった。
その貧しくも幸福な家庭に自分も参加をしていたような気持ちになれた。

父の妻だった女性は、穏やかに父と暮らしていた。
その人の話を聞き、引き止められるがままに手料理を振舞われ、
ルンタは初めて家族を持ったような気持ちになれた。

町は景気が良く、誰も彼もが浮き浮きとしていた。
ルンタの仕事も順調だった。
長く勤め続けたGSで、ルンタは所長になっていた。

「ルンタ、変わったね」と、いつも給油に来るお客さんからも言われるようになった。

そして、誰も本気で好きになどなれないと思っていたルンタにも気にかかる女性が出来た。
最初は彼女に会えるだけで胸が弾んだ。
彼女は介護施設の職員で、送迎の車を運転していた。
その車の給油のために毎日のように、ルンタのスタンドにやってきた。

親しく言葉を交わすようになるにつれて、彼女の送迎をする老人たちに対しての思いやり深さや
その性格のおおらかさにルンタは一層惹きつけられた。

ある日、思い切って食事に誘ったら、あっさりと断わられた。

あたしはバツイチで子持ちなの。
男の人と食事に行っている余裕なんてないんだ。


そう断わられたと、友人たちに言うと
皆が口をそろえて「じゃあ、しょうがないな」と言った。

自分の子どもじゃなきゃカワイイなんて思えないぜ。

付き合うのは構わないけれど、結婚はやめたほうがいいな。


ルンタは彼女の言ったことを額面どおりに受け取って
彼女をそれから誘うことはなかった。


一度、妹の誕生日にプレゼントを買ってやりたいと思ったときに
彼女に相談してみた。
彼女には小学生になる女の子がいた。

彼女からは答えがすぐに返ってきた。

ディズニーランドに連れて行ってあげたら?
ウチの子なんかも行きたがっているもの。


妹に聞いてみると、大喜びだった。
母親と二人だけの暮らしでは、遊びに行く余裕もなかったと
母親はさびしそうに言った。

それじゃあ、お母さんも・・・と言いながら
ルンタは彼女も誘おうと思っていた。

生まれてはじめての遊園地へ行った日は
父の妻だった女性と妹
そして日毎に好きだという気持ちが募る女性とその娘を誘った。




ディズニーランドへ行って、半年も経たずに父の妻だった女性が死んだ。

妹はひとりぼっちになった。
父を送ったときには3人だったが、今日は二人で高い煙突を見上げた。

火葬を待つ間に、ルンタは妹に言った。
一緒に暮らそう。
新しくお兄ちゃんと一緒の家族で暮らそう。
それから・・・それから
新しい家族も増やそう。

遠くで汽笛を聞きながら  ルンタの青春 3

月日の経つのは早い。
学校を出て、仕事をして
成人して、自分自身で身を立てて暮らすことが出来るようになった。

あの日、母と会ってから、何かひとつ吹っ切れたような気がした。

会えない間は母を求めていた。
会えない母に夢を持って、母親としての無私の愛を求めていた。
そして、実際に母と会って、打ちのめされた。
身勝手で、幼くて、どうしようもない母親だと思うけれど
それでも母は母だ。

それでも、会えば自分のことばかりをしゃべり、
自分の知らない家族の話題に終始することもある。
捨てた息子に、自分の家庭の悩みまで打ち明けて泣いてみたりする。

・・・そんなのオレに関係ないだろ

そう言いたくなることもあったけれど
それでも幸せに暮らしているのならいい。

自分と母親とは別の人間。
この人には生き方を変えることはできないし、
自分は子どもとして、時折会って、母親らしいことをしているような気にさせてやることが
親孝行なのだろうと思う。

中学校時代の友人たちは
なんだかんだと親の文句を言いながら
お遊び程度に暴走族をやってみたり、勉強をしてみたり
そんなことを繰り返しながら
大人になっていった。

誰かに頼って、誰かの所為にして、誰かに甘えながら生きていく彼らと
明らかに一線を画しながら、付かず離れず生きてきた。

ルンタはルンタ自身で、自分の面倒を見ていかなくてはならなかったからね。

いつも、ルンタは人と寄り添って生きているという感覚は持てずにいた。
親切にしてくれる人はいた。
好きになった人もいた。
何も持たないルンタでも、好きだといってくれる人もいた。

それでも、誰かと一緒に歩くことができる人生など
考えたこともなかった。




突然、父の消息が舞い込んできた。

父と会わなくなってから、10年を過ぎる月日が経っている。
その間、一度の電話も手紙さえもなかった。


その女性、父とルンタの姓を名乗った女性は
ルンタに是非会ってほしいと父が望んでいると言った。

ルンタが家を出てから間もなく、一緒に暮らし始めたと聞いた。
ルンタの知らない妹もいるらしい。

何を今更・・・・と、言いかけたものの
今の父を見ることも、自分にとって必要なことなのだろうと思いなおした。



家を出て以来、一度も近寄らなかった住宅の前に立った。
あのときに母と一緒に隠れた紫陽花が、まだあることに驚いた。

あの時は大きな花だと思っていたが
思いのほか大きくもなく、ごくありふれた紫陽花の花が咲いていた。

父の余命がいくばくもないと、電話口で声を詰まらせながら言った女性が出迎えてくれた。
自分を殴り、蹴り、踏みつけた父を見たときに、自分がどんな気持ちになるのか
確かめてみたかった。


世の中はバブル景気で沸き立っていた。
そこからは取り残されたように、平屋の住宅が並んでいた。
隣の家はトイレさえも水洗ではなく、風呂もない。
そんな平屋の住宅が軒を寄せ合って数棟並んでいる。

10数年前と少しも変わっていないように見えた。
しかし、隣の家は既に引っ越した後で、ドアには板が打ち付けられていた。
ああ、ここは取り壊して新しい高層の住宅を建てたがっているのだろうなと
ぼんやりと思った。
ルンタの父の一家のように立ち退かない家があるから、取り壊すことも出来ずに
取り残されて時を止めて、佇んでいるのだろう。


通された部屋で、寝かされている父の体は布団の下に何もないかのように薄かった。

人の気配に気がついたのか、父が目を開けた。
目を開いて、ルンタの姿を認めると、骨ばった手を差し伸べた。
ルンタがその手を握ると、父は口は開いたものの、言葉はなく
涙だけを流した。

ああ、父はもう死ぬのだ・・・と、ぼんやりと思った。
悲しいという気持ちは湧いてこなかった。
それは、けして不思議なことではない。

ルンタは悲しみも喜びも、自分のものとして受け止めることを
あの雨の日の紫陽花の下に置き忘れてきてしまっているのだと思う。
今日は、父に逢いに来たのではない。
あの置き去りにした自分の感情を取り戻しにきたのだ。


父を宜しくお願いします。

と、件の女性に頭を下げて、その家を後にした。
台所から顔をのぞかせる小さな女の子に、過去の自分を見たような気がして
持参した封筒を女性に渡した。

迷いながら、ルンタは少しばかりのまとまった金を封筒に入れて持ってきていた。
自分が金を出してやらねばならない義務などひとつもないと思いながら
それでも、そんな気持ちになることもあるかもしれないと、思いながら封筒を作った。
そんな気持ちをまわす自分がルンタは嫌いだった。







少年  ~ルンタの青春 2

開店前の薄暗い店の中に女の人が座っていた。

振り向いた顔が自分と良く似ている

母ちゃん・・・・・・・・・・・・・・


そうか、大人同士の付き合いなんて、考えたこともないけれど
大沢とオレとは、保育園で一緒だったんだ。
だから、お袋がどこにいるか大沢の母ちゃんは知っていたんだ。


母は、驚いた顔が笑顔になって
椅子から立ち上がると、近寄ってきて
ルンタを抱きしめた。

ごめんね。
ずうっと放りっぱなしにして


母はルンタより背が高く
抱きしめられたら、花の香りがした。

あの日。
紫陽花の花の陰で抱きしめてくれた母は
痩せて震えて、顔は血だらけだった。
今日の母は美しく化粧を施した顔で
満面の笑みを浮かべている。

あんた、かわいい顔はしているけれど
ちっとも大きくなっていないのね


胸の奥がちりっとした。

母は、ルンタの顔を見ながら

本当に、あんたはあたしと良く似ているわ。
お父さんが、腹いせにあんたを殴るって聞いたけど
無理もないわね。


母は、今は幸せにしてくれる男性と一緒に暮らしているという。
ルンタのことが気がかりで、大沢の母親とは連絡を取り合っていたらしい。

母は今の生活がいかに幸せか。
新しいだんなさんとの間にルンタの弟が二人生まれていること。
その弟たちはルンタのことなど知らないから、会わせることが出来ないこと。
今のだんなさんにも、ルンタのことは話していないこと。
そうして
時々、こっそり会おうね。
忘れていたわけじゃあないのよ・・・と
一方的にしゃべるだけしゃべり、
ルンタに一万円を握らせて帰っていった。

母の出て行ったドアを茫然として見ていると
大沢の母ちゃんが、ルンタの肩を叩いた。


気にしちゃいけないよ。
あの人はずっとアレなんだ。


大沢の母ちゃんが
母はルンタが保育園の頃から
周囲の人たちに迷惑を掛けっぱなしだったと
「今だから言うけれど・・・」と
前置きをして言い出した。

とにかく、すぐにばれるような嘘はつくし
約束は守らない。
ルンタを預けて、遊びにいって帰ってこない日もあったという。

16になるかならずでルンタを生んで、
まだまだ、子どもだったからねぇ。。。。。






店を出たルンタは疲れていた。

これまではずっと父が・・・すべて父が悪いのだと思ってきた。

母に虐待されていたと、みんなが言ったけれど
まったく憶えていなかった。
だから、母に会うことがあったなら
母は泣きながら、自分に詫びるだろう。
そして、これからは一緒に暮らすというだろうと思っていた。

自分は母と一緒に生活はしないで、一人で生きていくよと言おうと
決めていた。

なんだか・・・長い間、幻を現実だと思ってきたような気がした。
紫陽花の花陰で母に抱きしめられた思い出だけを
後生大事に持ってた自分がなんだかおかしくなってしまった。
父を憎み、母を忘れまいとした。
母が自分を捨てたのだと、人はみな言った。
自分でも母親に捨てられた子として生きてきた。

それでも、それでも心の中では
母にはどうしてもわが子を置いていかなければならない事情があった
という物語を作っていた。

公園のブランコに座って。
あれこれと思いをめぐらせていたら
おかしくておかしくて
ルンタは笑いながら涙を流した。

明日はまた朝から仕事がある。
あのGSでは自分と所長だけが社員で
あとはみんなアルバイトだ。

やらなくてはならないことがあるから
帰らなくてはいけない。

そう思って揺れるブランコからルンタは立ち上がった。







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キザキザハートの子守唄 ~ルンタの青春 1

ルンタは仕事を終えて、学校へ行く準備をしていた。
GSの所長はルンタの事情を知っているから、頑張って定時制でも良いから
高校を卒業しなさいと言ってくれている。

17歳のルンタの身長は155cmしかない。
痩せて黒目がちのルンタは、中学を卒業して、このGSに就職した。
子どもの頃から同じ住宅に住んでいたトラック運転手の山田さんが
ここの社長に話をしてくれて、住み込みで定時制高校へも行かせてもらえることになった。
やっとゆっくりと寝ることが出来るようになった。

父親は酒が入ると、ルンタを殴った。
自分を捨てていった女に良く似ていると、腹を立てて蹴った。
理不尽な父親からの暴力にも逆らうことなど出来なかった。

母親が父とルンタを捨てて出て行った前の日にも父親は荒れた。
殴られて鼻血を出している母親と一緒に裸足で逃げた。
紫陽花の花の陰に隠れて、父が母親の名を狂ったように叫ぶのを
震えながら聞いていた。
後にも先にも、母親に抱きしめられたのは、初めてだったような気がする。



中学校時代の同級生がバイクを連ねてやってきた。
今では皆、高校生になっているが親に恵まれているせいか、
アルバイトをしても全部自分の遊ぶお金に使っている。

これまでには彼らに体が小さいことや、家が貧乏なことで
からかわれたりしたことはあるが、特にルンタはいじけることもなかった。
奴らは恵まれているくせに、それに気がついていない。
気がついていないから、些細なことで苛立っては何かに当り散らしたいのだ。
こちらが黙っていれば、それ以上に酷いことにはならない。
気がついたときから、自分の家は貧乏だった。
父は起きると酒を飲み、飲んでは暴れて、母親を殴った。
父に殴られた母親はルンタを殴った。

ルンタの左腕には傷跡がある。
まだ1歳にもならないころに、母親が泣き声がうるさいと踏みつけて骨折したのだと聞いている。
虐待されたから、体が大きくなれなかったのだと、児童相談所の先生が言っていた。

今日、絡みにきたのは、米屋の坂本と母親がスナックをやっている大沢。
それからクリーニング屋の吉田だ。

どうやら、坂本が新しいバイクを買ってもらったので
それで走り回りたくて、やってきたらしい。

ルンタ、学校だろ。
乗れよ。


ここで断わると、また面倒なことになる。
坂本は親切のつもりで言っているのだから。
本当は学校の前でルンタを待つということで登下校の生徒たちに
新しいバイクを見せながら、ちょっと威嚇もしてみたいのだ。

それに暴走族仕様のバイクのケツに乗って登校するのは気が引けるが
電車とバスを乗り継いで行くことを考えれば、格段に楽ができる。

三台のバイクが手前勝手に道路を走り回る。
迷惑顔の車の運転手や、歩行者なんぞの存在は知ったことじゃない。
文句を言えるものなら言ってみろという態度だ。
彼らは近頃、暴走族の仲間入りが出来たらしく、めっきり態度が大きくなった。

学校に着いたとき、大沢が言った。

ウチのお袋が言っていたけど、
ルンタの母ちゃん、ウチの店に来るらしいぜ


目を上げると、会いたいだろ?と目顔で聞いてきた。

いつも、人に感情を見せないように、
見せたら危険だと思ってきたルンタの仮面が剥がれた。

母に会いたいと思った。
あの、紫陽花の陰に隠れた雨の夜が母との最後の日だった。
母に抱きしめられて眠ってしまったルンタが目が醒めると
母親は居なかった。
部屋の中はテーブルがひっくり返り、母の三面鏡が倒された部屋の中で
高いびきで寝る父親がいた。

あれから一度も母親には会っていない。

子どもまで捨てていくなんて・・・と
近所のおばちゃんたちは言ったけれど、お父ちゃんがアレじゃあねと
母親には同情的だった。

ルンタが小学校2年生の1学期のことだった。


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傘がない

朝食を食べながら、夫が言う。

今日も山手線が遅れているらしい。
また、自殺だろうな。


そうかもしれないわね。

だいたい、自殺するのは弱い奴なんだよ。
そんなに生きているのがイヤなら、死ぬしかない。


ああ、この人には人の心の痛みなんて
どうでも良いことなのだろうと、改めて思う。

夫は実際的な人だ。
仕事だってできる。
このご時勢で、何の心配もなく暮らしていけるのは
この人の生活者としての力量に他ならない。

夫を見送ったら、雨が降り出した。




高校生の頃。
大好きな人がいた。

携帯電話なんて便利なものはなかったし、
気軽に入れるファストフードの店もなかった。
それでも、恋はやってきた。

隣町の高校に通っている裕也は
毎朝、6時にランニングをしながら、私の家の前を通った。
私は裕也の来る時間には窓を開けて、彼が走ってくるのを待った。

窓を開けると、朝の空気が流れ込んでくる
そして、彼が走ってくる足音が聞こえる。

窓の下を通り過ぎるとき、裕也はいつも軽く手を上げた。
一日にたった一度、言葉も交わすことなく目と目が合うだけで嬉しかった。

サッカーで有名な隣町の高校で
センターフォワードの裕也は、町中の女の子誰もが憧れていた。

私は、私と裕也の秘密の挨拶を誰にも話さなかった。



裕也は女の子たちとの噂が絶えなかった。
それでも、毎朝の私との秘密の挨拶だけは忘れなかった。

私にとって、二度と忘れられない日がやってきた。

それは、裕也の高校のサッカー部の県大会で優勝した日。


勇気を振り絞って、裕也に近づいて言った。


おめでとう


裕也の隣にいた髪のなぎ女の子が聞いた。


あの子、誰?


それに答えて裕也が言った。


さあ・・・?


あなたって、女の子と見れば誰にでも愛想を振りまくから
誤解しちゃう子もいるでしょっ



ああ、消えてしまいたいと思った日。







夫とは25歳のときに見合いで結婚した。

夫は仕事が好き。
夫は仕事が一番好き。

夫は私には心なんてないと思っている。
夫は私はバカだから、話なんかしても無意味だと思っている。

そう、私ってつまらない女の子だったわ。
好きだといってくれる男の子もできずに大人になったの。

子どもたちに手がかからなくなった今。
夫を送り出したら、掃除くらいしかすることがない。

今でも時々思い出す。
あの雨の日の競技場で、消えてしまいたいと思った日のこと。
あれが最初で最後の恋だったのかもしれないって。

たどり着いたらいつも雨降り


ねえ、何をそんなに急いでいるの?



夢を語るのはいい。

若いから、これから先にいつだって夢を持っているのはいい。

他の男の子たちが「一生懸命なんて言葉を使うのはダサい」とか
「根性なんて・・・」と言っているときに、
ひとり、黙々と働き続けているあなたが好きでした。


学校が終わったあとはガソリンスタンドでバイトをしていた。

毎日夜遅くまで働き続けて、自分で自分の学費も生活費も出しているといっていた。



でも、あなたはいつだって急いでいたし、
いつだって、私ではなくもっと先を見ているような気がした。


貧乏はイヤだ

そう、いつも
あなたはそう言っていた。

そんなにお金持ちにならなくってもいいじゃない。
普通に暮らしていければいいのよ。


そう言う私に、あなたは悲しそうに言った。


貧乏だったことがないから、わからないんだよ。


あなたのお姉さんが中学を卒業してからすぐに働いて
あなたが高校へ行けるようにしてくれたということは聞いている。

でも、そんなにお金を欲しいと言うのを聞いているのは、ちょっぴり辛いわ。


一旗揚げたい

と、口癖のように言うあなたを
みんな、笑ったわね。

旗なんか揚げたってしょうがないよ。


でも、そう言いながら、何もしない男の子たちより
あなたって100倍は魅力的だったわ。





同窓会で再会したあなたは
旗なんか、揚げていなかったし
ごくごく当たり前の
その辺のおじさんになっていた。

でも、幸せそうだった。
息子は高校3年生、昔の俺と同じように
ガソリンスタンドでバイトをしている。

娘は高校1年生。
近所のスーパーでアルバイトをしている。

土曜日の夕暮れ時には
奥さんとビールを飲みながら
子どもたちの帰りを待ってから食事をする。

そんな生活が幸せなんだと
すっかり頭も薄くなって、いい感じのおじさんになったあなたが言った。

当たり前の結婚もしなかったし、
当たり前に子どもも生まなかった。
一生懸命に仕事をしていた。

土曜日の夕暮れ時には一人でジムに行くか
友達と美味しい食事を出す店に行っている。

そんな道を選んでしまった私は
あなたとテーブルを挟んで、ビールを飲む奥さんが
ちょっぴり羨ましいわ。





岬めぐり

「さあ、行こう!」と言うと、
達也が助手席のドアを開けた。

深く助手席に身をうずめて、振り返ると岬が遠ざかっていく。

達也と知り合って半年になる。
いつも、私を大事にしているという態度を撮り続けてくれることが
嬉しい。
今日は初めての二人だけの遠出。



この岬の話をしてくれた人が居た。

彼女とは、いつか会うことができるのだろうか。

この岬を回ったところに、彼女の生まれた家があったと聞いた。
この海を見ながら育ち、早く結婚してここの土地を出て行った。
そして、それからこの地へ戻ることも無く、今は心を病んでいる。

その人は、私の母親。

母は17歳のときに私の父と知り合い、
私を妊娠して、父のところへと家出をして来たという。

しかし、父は母のことは、ほんの旅先での遊び相手としか考えていなかったらしく
私が生まれてからすぐに、私も母も丸ごと捨てた。

アンタの所為で、私の人生はメチャメチャになったのよ!

中学生だった頃、夜中に仕事から帰ってきた母に罵られて殴られたり蹴られたりした。
母には母の悲しみがあったのかも知れない。
それでも、当時の私は母が帰ってくるのが怖くて、夜中になると外へ出て行っていた。

寒い夜だった。
公園にいるのも辛くて、同級生の家の犬小屋に入っていたことがあった。
同級生が塾から帰ってきて、自分の部屋へ入れてくれた。
この家では、大きな犬を飼っていたけれど、
昼は外の犬小屋につながれているが、夜になると家の中に入れていた。
その空いている犬小屋に入っていれば、北風にも当たらずに凍えずにすごせた。

私が母が怖いという話をすると、同級生は同情して毎晩、部屋へ入れてくれた。
暖かい部屋へ入り、お夜食として出されるうどんやおにぎりを私は貰って食べることができた。

ところが、ある夜
彼のお母さんが部屋に入ってきた。
慌てて洋服ダンスの中に隠れたが、遅かった。

誰がいるの?

そう言って、洋服ダンスを開いたお母さんの顔が鬼のようになった。

彼と私は本当に何も無かった。
手も握らなかったし、キスだってしなかった。
ただただ、彼は私をかわいそうだと思って、部屋へ入れてくれていたのだ。

次の日の朝、私は学校へ連れて行かれた。
本当は彼のお母さんは、私の家に電話をして母を呼び出したかったらしいが
母は二日酔いで話にもならない状態だったので、仕方なく学校へ連れて行かれたのだ。

彼のお母さんはもちろん、先生たちだって
私をふしだらな女の子だという目で見ていた。
そして、母は私を引き取るのを拒否した。

私は児童相談所へ連れて行かれ、それからずっと18歳まで施設で過ごした。

18歳になった日に、母に連絡を取った。
母は一人ではなかった。
母と一緒に暮らしている男の人が一人で私のアパートまでやってきた。

お母さんは、君のことは死んだものだと思いたいと言っている。
気の毒だけれど、会うことはできないよ。


そう言って、お金の入った封筒を置いて帰っていった。


悲しかったけれど、仕方が無いな・・・と思った。
母にとって必要なのは私じゃなくて、あの男の人。
あの人は悪い人じゃないだろう。
私の父のように知らん顔をしていても良いのに、私に会ってお金を置いていった。

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達也と知り合ったのは、19歳になる少し前。
何不自由なく育った達也は、私の話を聞いて一緒に泣いてくれた。
私は達也と出会って、初めて自分の気持ちを人に話すことができた。

母とは今は会うことができないけれど
生きていれば、いつか会える日だってあるかもしれない。

そう思えば、生きていくことだって辛いことばかりじゃない。

達也とだって、いつかお別れする日が来るんだと思う。
それでもいい。
本当はとっても怖いのだけれど、それでも好きなんだもの。

お母さんの生まれて育った場所に、今日来ています。
私が初めて好きになった人と一緒です。


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翳り行く部屋

人を好きになるということは、一体どういうことなのだろう。
誰かに恋をするということは、どういったことなのだろう。

君を嫌いになったわけじゃないんだ。
けれど・・・好きな人ができた。






どんな顔をすれば良いのかわからなかった。


そう・・・と、頷いた私は、精一杯の虚勢を張って、

あなたが私より好きになる人って、どんな人なのかしら。

と、言ってみた。


あなたは正直に答えた。

君とは全く違うタイプだから。
ごく、普通の子だよ.
大丈夫かなあと守ってやりたくなるような・・・


私だって、守って欲しいと思うことがあるのよ。。。
私だって、普通の女の子だわ。

知り合った頃、あなたは

自分と対等に話ができる女性じゃないと魅力を感じない

と、言っていた。

頼るだけでカワイイと思っているような女性は、どうしても好きになれない

とも。


だから、私は頑張ったのだ。
様々な本を読んだし、彼がすることは何でも同じ程度のできるようになりたいと思った。
遊びも勉強も、仕事も。


彼が好きなったのは、同じ会社に勤める女の子だった。
いつも裁縫道具を携帯している。
お茶を入れるときに他の人たちの好みを憶えていて、好みの通りに入れる。
返事が明るくて可愛らしい。
仕事で失敗をしてしまったときに、涙ぐんでいた。

はい、はい。

彼女をいかに好きなのかということは、良くわかりました。

大学時代から付き合い始めた。
与謝野鉄幹の詩を好きだといっていた。

妻をめとらば才たけて
顔(みめ)うるはしくなさけある
友をえらばは書を読んで
六分の侠気四分の熱

恋のいのちをたづぬれば
名を惜むかなをとこゆゑ
友のなさけをたづぬれば
義のあるところ火をも踏む


同じ年に大学を卒業して
私は商社へ、彼は銀行に勤めることになった。

入社してからは覚えることもたくさんあり、
毎週会うこともできなかった。
でも、電話では毎日のようにお互いの今の状況を話しながら
お互いに励ましあってきたつもりだった。

その間にちゃっかりと同じ職場の女の子とも付き合い始めていた・・・ということなのだ。

君なら、わかってくれると思った。
愁嘆場はイヤだと思っていたんだ。


もう、いいわ。
気にしないでね。

そう言って、私は頑張って微笑んだ。


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無縁坂

上野駅から本郷に向かって、岩崎邸に沿って上がる坂がある。



高校生のときに、その坂を上がった。
同じ高校の2年先輩の和人と手をつないで・・・・

図書室で本を読んでいたら、和人に声を掛けられた。
サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」を勧められた。
本を読むことは好きだったが、中学生の頃はもっぱら『世界の名作』と呼ばれるような本しか
読む機会がなかったので、彼が勧める新しい小説は私にとって新鮮だった。

和人は自分は「不倫で生まれた」のだと言っていた。
和人の父親という人は、私ですら名前を知っている会社の創業者だということだった。

坂を上がって行くときには、初めて見る私の知らなかった東京の風景に心奪われた。
森鴎外が通った道。
当時のままだろうと思われる石垣や寺の様子が興味深く、
和人の手が緊張で汗ばんでいることなどには気がつかなかった。

坂を上り、いくつもの角を曲がった後に、びっくりするほど大きな家の前に着いた。
和人は門の前で立ち止まると、それまでの陽気な様子とは打って変わって
少し怖い顔をして、私の顔を覗き込んだ。

何も言わなくていいからね。

その大きな門からぐるりと回り込んだ「通用門」と書かれた小さなくぐり戸を開けて
和人は私を連れて中へ入った。

少し湿った土の匂いのする小道を抜けると、公園のような庭に出た。
綺麗に整えられたサツキが咲いている庭だった。
私をサツキとサツキの間に待っているように言い、
正人は家の方へ歩いていった。

大きな家の縁側には、老人が籐の椅子に座っていた。
かなり年を取っていて、死んだように眠っていた。
和人が戸を開けてそばを通ると目を覚まし、何か声を掛けた。

和人は何か一言二言、投げつけるように言って奥へ入って行った。

老人がこちらを見た。
こちらへ向かって手を伸ばして、手招きをした。

ここに居ろと言われたけれど・・・と迷いながらも、誰なのだろうという好奇心もあり
近寄ってみた。

近寄ると、痩せた手で私の手を掴んだ。
老人特有のシミの浮いた、皺だらけの手に手を握られて
私はどう振舞ったら良いものなのかと迷った。

奥の部屋から、和人が足音も荒く出てきた。
その後から着物姿の年配の女の人が追いかけてきた。

何、やっているんだよ。

和人は強引に私の手を老人の手から取り上げると
その女性に向かって言った。

アンタの嫌いなあの女が戻ってきたと思っただろ

そういい残して、和人は私の手を引っ張って、今度は通用門ではなく
表の門に向かって歩き出した。
振り向くと、あの老人は泣きながらこちらに向かって手を伸ばしていた。

あのジジイが俺の親父だよ

じゃあ、あの女の人は・・・?

アレは一番上の兄貴の奥さん

そして、ジーンズの尻のポケットから、十枚以上ある一万円札を取り出した。

お金が欲しいと思ったときには、あの家に行きさえすれば
いつだって金は手に入る。

君は俺を生んだ女の若い頃と似ているんだよ。
初めて見かけたときにはびっくりした。



私は少し、気分を損ねた。
和人が私に近づいてきたのは、自分の母親の若い頃と似ていたからなのか。

和人はそんな私の気持ちにも気づかず、上機嫌だった。

あの女も驚いただろうな。
あのババアはお袋が家に入るのを一番反対したんだ。
ハハッ!
そうしたら、お袋にそっくりな女の子が現れたんだからな。
ジイサンも冥土の土産になっただろうし・・・


和人に対して好意を持ち始めたいただけに、彼の鬱憤を晴らす道具にされたと思って
私は不愉快になった。

無縁坂・・・上がってくるときには二人で、帰りは怒って一人で駆け下りた。


その後、和人から何度声を掛けられても、私はけして彼とは付き合わなかった。
間もなく、彼の父親の訃報が新聞に載った。
そして、次の年に和人はアメリカに留学した。



ずっと後になってから聞いた話では
あの頃、彼の母親は精神的な病で寝たり起きたりの生活をしていたという。
何の苦労も無く育った16歳の私には、和人の悲しみなど理解することはできなかった。
18歳だった和人も、私という女の子がどんな気持ちになるかなどということは斟酌するだけの
余裕は無かっただろう。


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悪女

夜半の電話はたいてい静江から。

今日は彼が部屋にいるらしく、同じ部屋にいてあたかも男友達に掛けるかのように
電話を掛けてくる。

そんなことをしても、何にもならない。
あなたの彼は、あなたに本当に男友達がいれば、渡りに船とばかりに去っていくつもりなのだ。
けれど・・・それが、できない。

なぜなら、あなたには彼以外に、男友達なんて一人も居ないことを彼だって知っている。



夫は静江に付き合う私に少々あきれている。

友達なら、本当のことを知らせてやったほうが良いんじゃないのか?

私だって、言えるものなら言いたいわ。
でも、真実を知ったところで彼女には別れるつもりなんてないわ。

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口では強気なことを言っているけれど、彼が居なくなったら・・・私は怖い。
彼女は彼が帰らない日には彼のシャツを着て、彼のコロンをつけて眠るのよ。

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彼の心は離れているの。
他の女の子を好きになったからじゃないわ。
そんな人、いないのよ。

彼女の執着と独占欲に辟易しているのよ。

そんなことは、静江だった十分承知している。
でも、彼の心が自分から離れたということを認めるより
彼が他の人を好きになったから、自分から心が離れていったと思う方が
まだ、耐えられるのよ。


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あれから20年も経った。

あの頃の私の中途半端な「優しさ」がいかに子どもっぽかったかを思い出すことがある。
静江は今、どこにでもある当たり前の家庭に収まっている。
子どもも大学生と高校生がいる。

本当に付き合う相手ができたときに、彼はあっさりと去っていった。
静江は泣き騒ぎ、一時はどうなることかと私は心配したのだけれど
なんのことはない。
諦めがついて彼から離れてみれば、世の中には彼と同じくらい素敵な男性は
たくさんいた・・・っていうこと。

やっぱり「愛されてこそ」よね!

ウェディングドレスを着た彼女が、過去を忘れたようにそう言った。
それから、今日まで彼女の持論は変わっていない。
めでたいことだと思っている。