第3回 最強世代
あけて春、クリークの尤も得意とするステイヤーとしての最高の栄誉の天皇賞、 私は始めて関西に一人で遠征をする。
的場騎手の馬が体当たりしてきても、動じず、天皇賞を圧勝した。
なんとしてもお祝いをクリークに渡したく、盛り篭を注文した。
その中身は6歳にちなみ、6の野菜のにんじん、6つの重賞でりんごの陸奥、いくつも優勝する意味込めて王林、金星というりんご、世界一になるように世界一というりんご、きわめつけはマロングラッセ9つ、栗~九だ。
末宗さんの名前は変わっているので栗東の電話帳ですぐわかった。
本当に渡したしたかっただけなのに、思いがけなく、見ていくかいと声をかけていただいた、そして、引退まで交流をもたせて戴いた。
6月になり、楽しみにしていた宝塚の直前、クリークはまたもや骨折を起こしてしまった。
会社に末宗婦人から電話があり、電話でお互いに涙がとまらなかった。そして秋まで休暇となる。その間、安田記念などオグリキャップ陣営からアメリカ遠征するための騎乗変更ということで、オグリキャップに豊が乗るようになった。しかし、これはあらかじめ、クリークがでない時に限りの条件付きだった。豊にしてみれば、もちろん強い馬だし、ライバルに乗ることは、弱点も知ることが出来る。アメリカ遠征のこともあるし、願ってもない依頼だったことだろう。だが、一部の豊ファンからはブーイングがおこることになる。クリークを裏切ったというふうに取ったバッシングが起こった。それもクリークファンとオグリファン両方から。
テレビで嫌いだっていってたじゃないかよというものだ。
夏、豊とオグリのツアーは今度はオグリの調子が悪く殆どのツアーが中止になった。そのなかにKBSのツアーだけ牧場めぐりということで、アーリントン観戦が組まれた。私はそれに参加したのだが、現地で素晴らしいニュースが届く。
スーパークリークが凱旋門挑戦するかもというニュースだ。
私はその時アメリカにいたにもかかわらず、来月フランスに応援いきますといって豊をびびらせてしまったものである。
結局、調教師の国内を重視したいとのことでお流れになってしまったが、私は地図も買い込み、一人でフランスにいく計画をたてていたものだ。しかし、トライアルで勝ったものの、またもや脚部不安。。。結局秋一戦だけで引退を決めることになる。
最強世代といわれたイナリワン、オグリ、皆秋の状態が思わしくなく、あたらしい4歳馬の世代がとって変わり始めていた。
12月、オグリの騎乗依頼が豊に舞い込む。豊はクリークに乗れないのにもかかわらず、末宗さんの元に尋ねてきた。
それはオグリから依頼がきたが、勝ってる数など条件的に同程度であり、豊としてはクリークに年度代表を取らせたいため、オグリことわろうか迷っていたためだ。
だが、末宗さんの答えは豊は意外だったことだろう。
「オグリに乗って、もう一度闘志を蘇らせ是非とも勝ってください」
というものだったからだ。
「回りでは今年の4歳馬我凄いといってるが、最強世代は間違いなく、オグリ、イナリそしてうちの馬です。クリークはもうでれない。でも強いオグリを復活させれば、うちの馬の価値もあがるんです」
そんな末宗さんの言葉に励まされ、決意を豊は固めた。
安田をイメージしていい時だけのオグリをひきだそうと。
馬のじゃまにならないことを第一にと。
そして有馬記念。。。。。
奇跡が起きた。あれほど調子が悪かったにもかかわらずオグリが優勝したのだ。タイムはかなり遅かった。もし速い決着となっていれば、優勝はなかっただろう。
あまりにも遅いペースに若い馬たちがみなひっかっかってしまったのだ。そしてそんな時こそ古馬のG1経験でつちかったものがいきたのだ。悠然とかまえてたのはオグリだけだった。
人々は涙を流し、あれほど憎み合ってたかのような、オグリVS豊のファンがお互いに相手の健闘をたたえあった。
たたかい終わって皆の気持ちが一つになった最高のクリスマスプレゼントとなった。
やはり最強世代は彼らであることを証明した。
あけて1月にはスーパークリークとオグリキャップ東西での引退式が行われる