夏のカケラ
セミの声が聞こえて
久しぶりの休日の朝は穏やかな気持ちで起床した。
目が覚めてもしばらくそのまま
セミの鳴き声に耳を傾けていると、なんとも懐かしい感覚がよみがえってきた。
夏の、汗かいたあとの通学帽や麦わら帽子の匂いをかぐのが好きだった少女は、今やもう社会人なのである。
帽子をかぶる機会もなければ、匂いを嗅ぐ暇もなく、
毎日が人生ゲームのルーレットのように、勢いよく回り続け、時には勢いよすぎて針から外れ、でもちゃんと立て直してもう一回、もう一回としっかり軸におさまりながら見えないゴールを模索している、、、そんな私にも、そういえばのんびりと自由に過ごした時代があったなと、思い起こさせてくれたセミの声。
夏休みにまあちゃんちに遊びに行った時の、昼下がりの光景。
バニラクリームや氷を食べながら、広告の白紙にお絵描きするのが好きだった。冷えたグラスから垂れた水滴がお絵描きの上にポタリと落ちて、滲んだあの夏の日。
あの頃は、クレジットの請求も人の顔色も、健全経営のことも気にせずに
ただいかに女の子のおめめをキラキラにかけるかとゆうことぐらいしか考えてなかったと思う。
私がこうやって鮮明に過去を振り返ることが少ないのは、
手元にあった小さな宝物達が
みんな全部散らばってしまったからに違いない。
あの頃、何が一番大切で何に気を取られていたか
それらが全部いまも大切に残っていれば、遠い過去も
身近に感じることができたのかもしれない。
姉はそれが出来ていた。
ママの妹、理恵ちゃんは、いつもちょこちょことサンリオのお菓子やシール、文房具をプレゼントしてくれた。
それはいつもお姉ちゃんと私に平等に与えられ、よく色違いなどを見比べるのが楽しかった。
さてここで疑問が。
上の写真にのっているものは、全部姉が大切に保管し続けていたもので、
私も同じものを持っていたというのに
私の部屋にはこれらが一つも見当たらないということだ。
おそらく私は、もらったお菓子はすぐに食べ、
こうゆう可愛い小さくて細かな消しゴムは、全部
紙が何かにこすりつけたか、食べてしまったのか。
記憶がないのでわからない。
だけど確実に言えることは、
どっかいっちゃった。ってこと!
そして、なくした後は何でも
もう一度手に入れたくなるもので、
姉のこのコレクションには、
常に目を光らせていた。
その中でも、
このトトメスもどき入れ物に入った消しゴムは、姉が一番大切にしていたことを少女はよく知っていた。
どうしても欲しくて一つ使ったことがある。
私の記憶が正しければ、この消しゴムを自分は最初から持っていなかった。
そしてこの小さなバニーは、姉が塾からもらってきた一品もの。
何度このバニーをビン越しに見つめたことだろう。
この器用な細工は今でも見惚れるけど、今現在こうやって手にとってもちゃんと元の場所に戻すことで、
自分が大人になったことを確信する。
あの頃私がのぞんでいた姉の消しゴム達は、今やいつでも手にとることが出来ることも
あの頃抱いていた「一人っ子になりたい」っていう願望も
今の忙しい私にはどうってことない事柄になっていた。が、
すべての想い出の背景には
ソファに寝転がってテレビをみていたり
庭に水まきしていたり
アイスを一緒に頬張る
若いまんまちゃんが
ぼんやりと蘇る記憶に付属されていて
とっても切なく
窓越しに聞こえるセミの声が
また切なく。




