公開まで宣伝はなくポスターも最小限でかえって話題を集めた、スタジオジブリ制作「君たちはどう生きるか」(2023年、日本)。
2024年第96回米アカデミー賞長編アニメーション賞受賞です。おめでとうございます!
ただこの作品、感動したという感想がある一方、難解とかつまらないという意見もあって、評価は様々。
私も鑑賞中は謎に満ちた宮崎作品を何とか掴もうと追いかけていたのですが、さてどんな映画だったのかと改めて言葉にしようとすると、説明できない。登場人物くらいは紹介できるのですが、ストーリーのつじつまを繋ぐ肝心な「理屈」とか「根拠」が抜けていて、なんというか、ゆうべ見た夢のことを説明しなくてはならないみたいな感じ。
あざといなあ、宮崎駿。
これだけ解釈の余地があると、観た人は評価する前にあれこれ考察したくなっちゃうよねえ。エヴァか!?
というわけで以下、ネタバレ前提のつぶやきになりますので、知りたくない方は読まないでください。なお、一度しか観ていないので記憶違い、勘違い多々ある事をご承知おきください。
********************
時代は太平洋戦争の最中、主人公は少年眞人(まひと)。
入院中の母親が空襲による火災で亡くなり、軍需工場経営者の父は、眞人を連れて母親の実家である「青鷺屋敷」に疎開してくる。父は死んだ母親の妹である夏子を新しいお母さんだと紹介し、そのお腹にはすでに赤ん坊がいるという。
やがて敷地内の謎の塔の存在に気付き、アオサギ男と共に、失踪した継母を探しに異界へと入り込んでいく。
********************
1)主人公はこじらせ系
大枠としては「千と千尋の神隠し」と同じ、異世界に「行って還ってくる物語」です。
死者しかいない海やグロテスクな鳥たちが独特の生態系を作り出している「下の世界」で、少女時代の母に助けられ大叔父と出会い、最後は現実に帰って来ます。
但し主人公眞人は純朴素直な子供ではなく、陰キャでママが恋しいこじらせ系。良家の子息らしく表向きは礼儀正しくふるまいますが、自分で自分の頭を傷つけて田舎の学校に通わなくてもいいようにしたり、アオサギの存在に苛立ってオリジナルの弓矢で殺そうとしたり、裕福な親の立場を利用して周囲の大人をコントロールするような子供です。
そんな眞人の家庭環境は少々生々しい。
父は若くエネルギッシュな実業家で、一人息子眞人を溺愛しまさに「寄り添おう」としている理想の父親。しかし実際は、母の妹と再婚し子供まで作っておいて息子には事後報告、「いい子」を装う思春期男子の屈折した裏側を見ようとはしていない。
眞人は自分を諫めてくれるような大きな壁がなく、田舎の人たちをバカにして、肥大化する自我を持て余すばかり。
彼は迷い込むというより自分から欲して、廃墟となっている塔に隠された異世界への冒険を始めます。「千尋」とは異なり、初めて足を踏み入れた異世界なのに戸惑うことなく行動し、異世界の「常識」や「法則」が最初からわかっているかのように堂々と判断していきます。
自分が賢く、異世界でも生まれながらにして特別な存在であることを知っているのです。
・・・ひと言で言っていけ好かないガキですね。どうしても感情移入できない主人公ですわ。
2)母のイメージと父のイメージ
眞人は、消えた継母探しの冒険の中でいくつもの困難に遭いますが、そこで助けてくれるのは勇敢で逞しく知恵に富んだ女たち。彼が恋い慕う母のイメージが分散投影されていると思うのですが、このあたり、宮崎駿、女性を理想化しすぎだなあと感じます。男の子はいつも母を守ろうとして逆に守られているという。
また、過去に塔で忽然と姿を消したと言われている大叔父の存在。クリエイターの想像力の象徴みたいな感じです。俺は孤独な中苦労して「下の世界」を支配し守っているんだ的な、大きなこじらせ系。眞人は彼から後継者になってくれと頼まれます。
ここで疑問が。血筋が必要ならなぜヒミ(若き日の母)ではだめだったのか?いや、そもそも血筋がなぜ必要なの?
大叔父の家父長的特権意識が見え隠れして、あーそういうことねと思いました。自分の能力を「息子」に継がせたいという男の願望なのかもしれません。
面白いキャラクターだと思ったのはアオサギ男。
ずるくて嘘つきで自分本位、要は眞人の相似形みたいなやつ。敵にもなり仲間にもなる対等な存在です。眞人は最後に、アオサギ男を「友達」と表現します。
宮崎駿が自分自身を眞人に投影していたとしたら、アオサギ男は誰なんだろう?そんなことを考えているうちに、眞人は現実世界への扉を開け元の生活に戻っていきました。
エンドロールを見ながら、児童文学的なイマジネーションの世界、創造する者の苦闘、思春期の葛藤などなど、宮崎駿、えらく多くの要素をストーリーの中に詰め込んだなあと考えていました。かなりとっ散らかっていましたけどねー、でもそれが見る側にとっては余白として働いたから、かえってよかったのかもしれません。
けれど、もう一度見たいか?と聞かれたら・・・しばらくはいいかな。