旅行に行った時だけブログ書くつもりでいたんですけどねー。
カテゴリーも「旅行」にしてるし。
まぁ、東京から神奈川へ日帰り旅行に行ったとこじつける事もできなくはなくはないけど。。。いや出来ないか( ̄ー ̄)
なので今回は特別バージョン
今日は鎌倉で開催された、映画「ガレキとラジオ」の上映会に行って来ました
この映画は宮城県南三陸町で震災後に開局された「FMみなさん」と言うラジオ局の活動を追ったものがベースになったドキュメンタリー映画です。
放送作家の塚原一成さんとCMディレクターの梅村太郎さんのお二人の監督作品です。
ナレーションで役所広司さんが参加されています
私がこの映画をスクリーンで観るのは今日で二度目です。
(確か1日限定で無料でネット配信していたこともありました)
一度目は、2年前の渋谷での上映です。
初めて東北被災地でのお手伝いをさせて頂いた南三陸町の映画だし、大好きなMONKEY MAJIK
の「トビラ」と言う、すんばらしい曲が挿入歌になってることもあり、とても関心がありました。
上映後には梅村監督と、しりあがり寿さんのトークショーがありました。(なんとこの日は役所広司さんがプライベート?で観にいらしてました
)
そしてあれから2年。二度目の観賞
この映画は去年、朝日新聞に「出演した女性が撮影でやらせを強要され、この映画に出たことを悔やんで苦しんでる」といった内容の記事が載り、上映中止に追い込まれてしまいました。
私もその記事を見て、この映画のファンとして当時はかなりショックを受けました
けれどその後、その女性がやらせを強要されたこともないし、その事で苦しんでるなんて言ってないと抗議し、逆にその記事で上映が中止になってしまった事で苦しんでると言う事を知りました。
この経緯や真相に関しては、塚原監督のブログを是非見て下さい!とても分かりやすく説明されています。
あの報道を信じたままの人たちもまだいるはず。
ホント、バカ記者のせいで、この映画が汚された事に腹が立つわ

でもこの映画のファンや南三陸町の方々の支援もあり、また「ガレキとラジオ」が各地で再上映されることになりました
良かったよぉ。
今日のトークショーで、このやらせ報道が出た当時の心境についてFMみなさんでアナウンサーをされていた平形さんが語って下さいました。
「どうしてこんな誰も得しない記事が出たのだろう。記事が出たのは、忘れもしない去年の3月5日。3月11日と言う日は被災地の人々にとって特別な日。その日を前に何故こんな記事を出したのだろう。町民の方々は本当に深く傷つけられていた。」と。
ホンっト、糞記者の糞ヤロー
ぜってーぜってー許さねー(#`皿´)


上映中止になり一番悲しんだのは被災地の町民の方々で、再上映を強く望んでいたのです。
当時の自分たちの唯一の記録でもあり、沢山の方々に観て欲しいと思われていると。
私もこの映画のファンの一人として、もっと沢山の方に観て欲しいと思ってます
今は自主上映と言う形で上映会が開催される場所で観ることが出来ます。
是非、お近くで「ガレキとラジオ」が上映される時は観に行って下さい
。。。って、まだ終わらないんですけど。
今日の鎌倉での上映会は「津波が来たら高いところへ逃げるプロジェクト」の防災イベントのうちのひとつでした。
上映会の進行をされていたのは、震災後にご自身も南三陸町に行き、医療業務に携わっていたというお医者様でした。
トークショーで一番私が印象に残ったのは、南三陸町の子供たちのお話です。
塚原・梅村両監督は最初はただ救援物資を届けに行くという目的で南三陸町に入られたそうです。
映画を撮るために行ったのではなく、塚原監督は梅村監督に救援物資を届けたいから一緒に行こうと誘われたのだそうです。
避難所に行った時、大人の皆さんはやはり疲れていたり暗い表情をされていたのだけれど、子供たちがすごく元気で明るくて驚いたと。
でもしばらくして「子供たちは明るく元気な子供を演じてる」と感じたそうです。
「子供たちが元気なことが救い。元気な子供たちを見ていると自分も元気になる」と話す大人の言葉を聞いた子供たちが、大人たちを励ますために明るい子供を演じていると。
お医者様も確かに子供たちの明るさに違和感があったとおっしゃってました。
そうだよね。学校に行けなくなって友達とも離ればなれになって、家が無くなって、避難所で段ボールのパーティションで区切られた狭い場所で寝泊まりの生活になったのに、心から元気で明るくいられるわけないよね。でも家族のみんなのために子供らしく元気でいようと。。。(ノ_・。)
「ガレキとラジオ」は、決して重く悲しい震災映画ではありません
町が丸ごと津波に飲まれて、沢山の命や大切な物が無くなるという大震災の直後に、ラジオを作りながら、聞きながら、前向きにがんばろうと日々を過ごした町のみなさんの姿が描かれた素晴らしい作品です
MONKEY MAJIKの「トビラ」がまた映画にぴったりの前向きな曲なんですよー\(^^)/

私は、今までにも書いてますが南三陸町へは何度も行かせていただいてます。
旅ブログは、基本は自分で忘れないために記録として書いてます。
でも、南三陸町へ行った時だけは、もしまだ行ったことがない人が、たまたま何かの拍子でこのブログを見た時に「行ってみたいなぁ」と思ってもらえたらと思いながら書いてます
今日のこの「ガレキとラジオ」上映会のブログも、まだこの映画を観たことがない方の観るきっかけになったり、映画を観たことで南三陸町へ旅行に行くきっかけになればいいなぁ~と思いながら書きました
だから今日のブログは広い意味で「旅ブログ」としてこじつけます!
おしまい
!

カテゴリーも「旅行」にしてるし。
まぁ、東京から神奈川へ日帰り旅行に行ったとこじつける事もできなくはなくはないけど。。。いや出来ないか( ̄ー ̄)
なので今回は特別バージョン
今日は鎌倉で開催された、映画「ガレキとラジオ」の上映会に行って来ました
この映画は宮城県南三陸町で震災後に開局された「FMみなさん」と言うラジオ局の活動を追ったものがベースになったドキュメンタリー映画です。
放送作家の塚原一成さんとCMディレクターの梅村太郎さんのお二人の監督作品です。
ナレーションで役所広司さんが参加されています
私がこの映画をスクリーンで観るのは今日で二度目です。
(確か1日限定で無料でネット配信していたこともありました)
一度目は、2年前の渋谷での上映です。
初めて東北被災地でのお手伝いをさせて頂いた南三陸町の映画だし、大好きなMONKEY MAJIK
上映後には梅村監督と、しりあがり寿さんのトークショーがありました。(なんとこの日は役所広司さんがプライベート?で観にいらしてました
そしてあれから2年。二度目の観賞
この映画は去年、朝日新聞に「出演した女性が撮影でやらせを強要され、この映画に出たことを悔やんで苦しんでる」といった内容の記事が載り、上映中止に追い込まれてしまいました。
私もその記事を見て、この映画のファンとして当時はかなりショックを受けました
けれどその後、その女性がやらせを強要されたこともないし、その事で苦しんでるなんて言ってないと抗議し、逆にその記事で上映が中止になってしまった事で苦しんでると言う事を知りました。
この経緯や真相に関しては、塚原監督のブログを是非見て下さい!とても分かりやすく説明されています。
あの報道を信じたままの人たちもまだいるはず。
ホント、バカ記者のせいで、この映画が汚された事に腹が立つわ
でもこの映画のファンや南三陸町の方々の支援もあり、また「ガレキとラジオ」が各地で再上映されることになりました
今日のトークショーで、このやらせ報道が出た当時の心境についてFMみなさんでアナウンサーをされていた平形さんが語って下さいました。
「どうしてこんな誰も得しない記事が出たのだろう。記事が出たのは、忘れもしない去年の3月5日。3月11日と言う日は被災地の人々にとって特別な日。その日を前に何故こんな記事を出したのだろう。町民の方々は本当に深く傷つけられていた。」と。
ホンっト、糞記者の糞ヤロー
上映中止になり一番悲しんだのは被災地の町民の方々で、再上映を強く望んでいたのです。
当時の自分たちの唯一の記録でもあり、沢山の方々に観て欲しいと思われていると。
私もこの映画のファンの一人として、もっと沢山の方に観て欲しいと思ってます
今は自主上映と言う形で上映会が開催される場所で観ることが出来ます。
是非、お近くで「ガレキとラジオ」が上映される時は観に行って下さい
。。。って、まだ終わらないんですけど。
今日の鎌倉での上映会は「津波が来たら高いところへ逃げるプロジェクト」の防災イベントのうちのひとつでした。
上映会の進行をされていたのは、震災後にご自身も南三陸町に行き、医療業務に携わっていたというお医者様でした。
トークショーで一番私が印象に残ったのは、南三陸町の子供たちのお話です。
塚原・梅村両監督は最初はただ救援物資を届けに行くという目的で南三陸町に入られたそうです。
映画を撮るために行ったのではなく、塚原監督は梅村監督に救援物資を届けたいから一緒に行こうと誘われたのだそうです。
避難所に行った時、大人の皆さんはやはり疲れていたり暗い表情をされていたのだけれど、子供たちがすごく元気で明るくて驚いたと。
でもしばらくして「子供たちは明るく元気な子供を演じてる」と感じたそうです。
「子供たちが元気なことが救い。元気な子供たちを見ていると自分も元気になる」と話す大人の言葉を聞いた子供たちが、大人たちを励ますために明るい子供を演じていると。
お医者様も確かに子供たちの明るさに違和感があったとおっしゃってました。
そうだよね。学校に行けなくなって友達とも離ればなれになって、家が無くなって、避難所で段ボールのパーティションで区切られた狭い場所で寝泊まりの生活になったのに、心から元気で明るくいられるわけないよね。でも家族のみんなのために子供らしく元気でいようと。。。(ノ_・。)
「ガレキとラジオ」は、決して重く悲しい震災映画ではありません
町が丸ごと津波に飲まれて、沢山の命や大切な物が無くなるという大震災の直後に、ラジオを作りながら、聞きながら、前向きにがんばろうと日々を過ごした町のみなさんの姿が描かれた素晴らしい作品です
MONKEY MAJIKの「トビラ」がまた映画にぴったりの前向きな曲なんですよー\(^^)/
私は、今までにも書いてますが南三陸町へは何度も行かせていただいてます。
旅ブログは、基本は自分で忘れないために記録として書いてます。
でも、南三陸町へ行った時だけは、もしまだ行ったことがない人が、たまたま何かの拍子でこのブログを見た時に「行ってみたいなぁ」と思ってもらえたらと思いながら書いてます
今日のこの「ガレキとラジオ」上映会のブログも、まだこの映画を観たことがない方の観るきっかけになったり、映画を観たことで南三陸町へ旅行に行くきっかけになればいいなぁ~と思いながら書きました
だから今日のブログは広い意味で「旅ブログ」としてこじつけます!
おしまい
