おれとケニアの先生は兄弟だった。
ケニアの兄貴は、幼い時から酒が好きだった。
酒を飲むとケニアの兄貴はすぐに性格が変わった。
おれの大好きな、ラムネやカステラ、どら焼き、カキピー、ガリガリくん、スイカを
おれから取り上げてむしゃくしゃと食べていた。
ほうきをもつとよく、ほうきをバットに雑巾をボールにして野球をやった。
ケニアの兄貴は、ほうきでおれの体中を叩き、雑巾でおれの顔をふいて気もいいだろう!!
という。
兄貴なんかいらね!!って思った。
兄貴は、酒、女、賭け事にはまっていった。
。
俺は、夜間中学に行きながら、油まみれになって工場で働いた。
いつも、おれがためた小遣いの貯金箱はバラバラに破壊され、金を兄貴に盗まれた。
兄貴は、近所で有名になり、村でうわさは広がり、市では札付きと呼ばれ、県では狂暴の
レッテルを貼られた。
兄貴は、完全に日本では住めなくなり、ジャイカへいき、ケニア行きを決断した。
ケニア人に先生と呼ばれ、今、兄貴はアメブロにケニアの先生として君臨している。
おれは、決してケニアの先生を許さない。
おれは、決して、ケニアの先生を信じない。
おれは、ケニアの先生の小屋をいつか爆破してやる!!