1944年2月17日から18日にかけて、太平洋戦争中の日本軍の拠点であった南太平洋のトラック諸島にアメリカ軍は空襲による攻撃をかけ、日本軍は多くの航空機と艦船を失いました。
アメリカ軍の作戦名はヘイルストーン作戦(Operation Hailstone)です。
日本側ではこの被害扱いは海軍丁事件(ていじけん)とされています。
空襲から2時間ほどで、日本の航空部隊は壊滅し、次はほとんど装備を持たない輸送船が攻撃されました。
実は物資を運ぶ多くの輸送船が残っていたにもかかわらず、日本軍の主力は撤退しておりそこにはいませんでした。
日本側の損害は、輸送船31隻、艦艇10隻、航空機279機で、死者は2000人以上といわれています。
連合艦隊の拠点だったはずのトラック島からは、2月10日未明に主力15隻がトラック諸島を離れていました。
1942年ミッドウェー海戦以来アメリカをはじめとする連合軍は反攻に転じましたが、日本の連合艦隊司令部はトラック島を拠点とした決戦は時すでに遅しと判断し、体勢を立て直すため作戦を変更していたのです。
NHKでもトラック島の空襲から75年の特集番組がありました。
戦争だけは嫌だ、戦争はやってはならない、との生き残った子供(今は老人になっていますが)その人の言葉が強く響きました。
NHKでは以前にも戦争体験者の証言でつづる特集があり(2011年ごろ)、このトラック島の海軍拠地の壊滅の様子についての証言が報道されました。
2011年NHK「証言記録」