今日、社会の授業中に生徒に言われた言葉だ。
断わっておくが、YouTubeが悪だなんて思ってない。
funnyなギャグからinterestingな学問まで、何でもそろうのがYouTube。
使い方次第では、俺の授業よりはるかに価値がある。
今回は“娯楽”の代名詞として「YouTube」を使ったまでのこと。
「YouTubeより授業のほうがいい」って言葉の真意は、
俺の授業が“娯楽”のような授業だということ。
ふむ。
考えてみれば、なるほど。
元来、学問とは、人類の知的好奇心を満たす探求活動だ。
おもしろいに決まっている。
ところが、やらねばならないものとして強要され、
上手くできぬと叱られ、序列化され、管理され、
嫌いになるための“枷”が見事に稼働している。
ゲーム依存症の息子に、毎日数時間のプレイを義務付け、
成果を報告させ、レベル上げの甘さを指摘し、対戦で叩きのめすことで、
息子をゲームから遠ざけた母親がいたとかいないとか笑
どんなものだって、この“枷”をつければ、嫌いになるに決まってる。
ならば、その枷を取り除くまで。
オトナへ忠告。
今の点数はどうでもいい。
できるところからレベルをあげて、
覚えた技を駆使して次なる舞台へ臨む。
なぜ?どうして?じゃあ、これは?
知的好奇心さえあれば、結果(点数)は後からついてくる。
国数英理社、実技教科まで全部、“娯楽”にしてあげりゃいい。
やらせたら、できるようにならない。