池脇千鶴(1981年)
大阪府東大阪市出身の女優。所属事務所はエス・エス・エム(吉本興業系)。大阪府立玉川高等学校(現・大阪府立枚岡樟風高等学校)卒業。愛称はちぃちゃん。
- 1997年、テレビ東京のオーディション番組、ASAYANの「CM美少女企画」第二弾「三井のリハウス」“リハウスガール”オーディションで、8000人の中から市川準監督に見初められ、第8代リハウスガールとして芸能界デビューする。2000年には、同CMで「40th ACC CM FESTIVAL」主演賞を受賞した。
- 1999年、市川監督作品『大阪物語』で沢田研二・田中裕子演ずる夫婦漫才師の娘・霜月若菜役を好演、映画デビュー。 第54回毎日映画コンクール・スポニチグランプリ新人賞、 第73回キネマ旬報新人女優賞などを受賞した。
- NHK連続テレビ小説『ほんまもん』主演。
- 2004年には、映画『ジョゼと虎と魚たち』で妻夫木聡とのベッドシーンに体当たり的演技で挑戦。同作はデビュー当初から頻繁に池脇を起用してきた犬童一心監督の作品であり、話題性の向上という面で恩返しをした事になる。なお、同作品で第18回高崎映画祭最優秀主演女優賞を受賞している。
- 2007年NHK大河ドラマ『風林火山』では、複数の主役級ヒロインの中の一人に抜擢された。一般に浸透した三条夫人「悪女説」を覆すイメージの心の美しい女性を演じている。
出演
- 大河ドラマ「徳川慶喜」(1998年、NHK)
- BSドラマ「木綿のハンカチ2 ~ライトウインズ物語~」(1998年、NHK)
- 日本テレビ開局45周年記念番組「世紀末の詩」(1998年、日本テレビ)
- 救命病棟24時(1999年、フジテレビ)
- リップスティック(1999年、フジテレビ)
- 金曜エンタテイメント 真夏の恐怖ミステリー2 ほんとにあった怖い話(1)序章(1999年、フジテレビ)
- 金曜ドラマ「美しい人」(1999年、TBS)
- 2000年正月スペシャル 向田邦子新春ドラマ あ・うん(2000年、TBS)
- カネボウヒューマンスペシャル最終回「大地の産声が聞こえる―15才 いちご薄書―」(2000年、日本テレビ)
- ドラマスペシャル 手塚治虫劇場「るんは風の中」(2000年、テレビ朝日)
- Summer Snow(2000年7月~9月、TBS)
- 慎吾ママドラマ・スペシャル「おっはー」は世界を救う!(2001年、フジテレビ)
- 日本テレコム感動ドラマスペシャル「いくつもの海を越えて」(2001年、日本テレビ)
- 月曜ドラマスペシャル「母業失格」(2001年、TBS)
- 土曜ワイド劇場「天の瞳2」(2001年、テレビ朝日)
- 学校の怪談 春の物の怪スペシャル「何かが憑いている」(2001年、関西テレビ)
- 連続テレビ小説「ほんまもん」(2001年 - 2002年、NHK)
- 新春ドラマスペシャル「鉄道員(ぽっぽや)/青春編」(2002年、テレビ朝日)
- 北野武の色彩大紀行~真実の色を求めて~(2002年、テレビ朝日)
- 東芝日曜劇場「太陽の季節」(2002年、TBS)
- 火曜時代劇 怪談百物語「ゴースト」(2002年、フジテレビ)
- 聖夜のドラマスペシャル「彼女たちのクリスマス ~イブの旅立ち~」(2002年、フジテレビ)
- 「相棒」最終回スペシャル(2002年、テレビ朝日)
- ドラマスペシャルLOVERS 第2話「キャメルのコートを私に」(2003年、TBS)
- 火曜時代劇(スーパー時代劇)「大奥」(2003年、フジテレビ)
- 連続ドラマ「火消し屋小町」(2004年、NHK総合)
- 新春ドラマ祭「ナニワ金融道6」(2005年、フジテレビ)
- NHKスペシャル 終戦60年企画「象列車がやってきた」(2005年、NHK)
- 金曜ナイトドラマ「時効警察」第2話ゲスト(2006年、テレビ朝日)
- 感動ドラマ特別企画「少しは、恩返しができたかな」(2006年、TBS)
- 世にも奇妙な物語 15周年の特別編「リプレイ」(2006年、フジテレビ)
- NHK 金とく「みちくさ」(2006年、NHK総合<東海・北陸ブロック放送)
- 大河ドラマ「風林火山」(2007年1月~、NHK)
- 死ぬかと思った 第13話「四十九日」(2007年、日本テレビ)
歴代のリハウスガール一覧
出演年 | 氏名 | |
---|---|---|
初代 | 1987年 | 宮沢りえ |
2代 | 1988年 | 森山和美 |
3代 | 1989年 | 茅野佐智恵 |
4代 | 1990年 | 坂井真紀 |
5代 | 1991年~1992年 | 一色紗英 |
6代 | 1993年~1994年 | 藤谷文子 |
7代 | 1995年~1996年 | 建みさと |
8代 | 1997年~1999年 | 池脇千鶴 |
9代 | 2000年~2001年 | 義煎恵理 |
10代 | 2002年~2004年 | 蒼井優 |
11代 | 2004年~2007年 | 夏帆 |
12代 | 2007年~ | 山下リオ |
以上、Wikipediaより。
他には、古賀稔彦(柔道家)。
そうかぁ、リハウスガールだったんだ・・・
小池栄子(1980年)
本名:坂田栄子、旧姓:小池。東京都世田谷区下北沢出身の元グラビアアイドルで現在はタレント、女優として活動中。所属事務所はイエローキャブ。血液型はAB型。夫はプロレスラーの坂田亘。
イエローキャブの系列会社であるサンズエンタテインメントに所属していたが、2004年11月に両社の社長であった野田義治がイエローキャブを辞任したことをきっかけとして、親会社のイエローキャブへと移籍した。
場に応じた物怖じしないトークが印象的なためかバラエティタレントというイメージが強いが、女優としての仕事も多く、特に“狂った女”の演技には定評がある。
視力が2.5ある。(2007年8月13日放送「カンブリア宮殿」より)
実家は幼少期はパチンコ店で、現在ゲームセンター。世田谷区立代沢小学校、和洋九段女子中学校・高等学校卒。
和洋九段女子へ進学した理由として中学受験前の学校説明会などで創作ダンス部の実演に魅了されたからとの旨本人が談話している。実際小池は中一から高三まで同部に所属、部活動に精進していたといい今でもダンスは特技の一つである。
元々は女優を目指して芸能界入り。最初のドラマ出演後のオーディションで「そんなに太っていたら映像では使えない」と言われ、なかなか次の仕事が決まらなかった。そんなところに「写真なら角度などで誤魔化せる」とグラビアの仕事が入り、スカウト時に水着はやらない条件(自分のスタイルに自信が無かった)で芸能界入りしたのに、と思いつつ渋々グラビアを始めた(この頃について後年「事務所に騙された」とTVでコメントしている)。ところが「胸が大きいのはコンプレックスだけど、これを売りにすれば良いのでは」と考えを改め、それ以降は積極的にグラビアに取り組むようになる。
巨乳ブームの火付け役的存在。巨乳グラビア系ではカリスマ的存在で、乙葉、熊田曜子、磯山さやかも彼女が近くに来ると必ず挨拶をしていると言う。
だが、デビュー当時のグラビア写真では、現在のような巨乳ではない。当時のキャッチフレーズは「宇宙一のメロンパイ」で巨乳ブームが訪れたときに突然巨乳アイドルとして活躍を始めた。これによって世間には小池栄子豊胸疑惑が存在するが、野田義治社長は「X線写真を撮ってでも偽パイ疑惑を晴らしたい」と言い、実際に「アッコにおまかせ!」の中でX線写真を撮ったことがあり、豊胸ではないことが証明されたが、胸が垂れていることが発覚してしまった。
あからさまな巨乳のため、某ページで胸の手術を受けたのではと掲載され、これに小池が激怒し、裁判沙汰になったことがある(その後掲載者に不利な証言が多数得られたため、地裁判決直前に掲載者が謝罪して和解)。また、この間に、テレビに出演する女性の肖像権を管理すべきと発言し、2004年に肖像権を守る会設立の裏の主役となり、更に、CMやポスターでモーニング娘。らと共演。
幼児期に溺れかけた体験があるため、現在でも水恐怖症である。
矢沢心とは高校時代にドラマ「ナオミ」で共演して以来の友人。小池の著書『小池の胸のうち がんばるの、やめてみます』では無二の親友と記しているほどの仲である。
MEGUMIとは犬猿の仲という噂もあるが、前掲書『小池の胸のうち がんばるの、やめてみます』によれば、お酒を呑みながら悩みを相談し合う間柄だという。また(前掲書では触れられていないが)同じくライバルとしてネタにされる井上和香とも交流がある。小池・MEGUMI・井上の3人で一緒に食事することも多い。
顔に関しては、島田紳助からよく新幹線やウミガメに似ていると言われている(“癒し系”ならぬ“威圧系”の顔とも言われる)。また、テレビ番組「SMAP×SMAP」にゲスト出演したとき木村拓哉からミートくん(漫画・キン肉マンに登場するキャラクター)似と言われた。その他「悪いウルトラマン(石橋貴明・談)」「仏像」などと言われることも多く、本人も時折トークでネタにしている。他に米倉涼子に似ているとも言われる。そして山口智充によく顔真似をされている。
ウリナリの社交ダンス部では前述のダンスの実力を如何なく発揮、ゴルゴ松本とのコンビでは1級を獲得し、国内タイトルも獲得した。2005年にイギリスで開かれたブラックプールダンスフェスティバル(全英オープン大会 杉本彩・南原清隆組も)に出場する快挙も成し遂げた。
リングス(前田日明主宰、現PRIDEヘビー級王者エメリヤーエンコ・ヒョードルなどが在籍した総合格闘技団体)出身で、現在はDSEのハッスルを主戦場とし、ZERO1-MAXにも定期参戦するプロレスラーの坂田亘と5年に渡り交際してきた。実際、ZERO-ONE(ZERO1-MAXの前身団体)の会場に小池を観戦させ、リング上で坂田が告白したという噂があった(実際は小池がプライベートで坂田に告白した)。そして、2007年8月29日に都内の区役所に婚姻届を提出し入籍した。
PRIDEでゲスト解説をしており、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ(ノゲイラ兄)の熱烈なファンでも有名。解説者として仕事をするには、建前上、公平な解説をするのが原則なのだが、小池が、あまりにもノゲイラ兄を一方的に応援する為、それを非難する格闘技ファンも少なくない。ノゲイラ兄とミルコ・クロコップが対戦した時、ノゲイラ兄は一方的にミルコに攻められピンチに陥るが、見事な逆転勝利を収めた。その直後、小池は大声で奇声をあげながら泣き喚いた。当然、小池の奇声やノゲイラ寄りのコメントを不快に感じる視聴者は多く、小池への非難意見が殺到した。放送サイドからも相当叱られた(叱られた趣旨の話をジャンクSPORTSで話していた)のか、それからの小池は解説席でもめっきり大人しくなった。そのおかげかノゲイラ兄vsミルコ戦の時と比べると、小池への非難の数はかなり減ってきている。
「ワンナイR&R」でSせんと言うキャラを演じていたほか、「堂本剛の正直しんどい」で躊躇なくアンガールズの田中卓志をビンタする姿から実際にSなのでは?といわれることもある(「めちゃ2イケてるッ!」でも同じようなことがいわれた)。ただ、「ロンドンハーツ」の「格付けしあう女たち」コーナーに出演した時は「私は極上のM」と発言している。それを裏付けるかのように「踊る!さんま御殿!!」では「彼氏にはお前と呼ばれたい。(彼氏の)所有物になったような気がしてすごくいい」とも発言したこともあった。
2003年サザンオールスターズ復帰第一弾のシングル「涙の海で抱かれたい ~SEA OF LOVE~」のPVに出演。桑田佳祐が出てほしいと依頼した事での実現。25周年野外ライブツアー『流石(SASが)だ真夏ツアー! あっっ!生。だが、SAS! ~カーニバル出るバニーか!?~』の最終公演では、「小池、乳首みせろ!!」と桑田恒例のセクハラ発言が出た(なお、小池本人は観客に混じっていた)。
CHAGE and ASKAのASKAの大ファンであり、本人によると小学生のころは「絶対結婚するんだ」と言っていたらしい。2005年11月に自身のラジオ番組にASKAがゲスト出演した時はとても感激し、放送終了後も暫くスタジオ内で余韻を味わっていたという。またその時の番組内のトークで2004年8月に行われたCHAGE and ASKAの「熱風コンサート」にひとりの客として聞きに行っていたことが判明。ASKAは「全然分からなかった」と驚いていた。
ブレイク後も長らくグラビアを続けていたがイエローキャブ分裂を機にグラビアからは事実上引退し、ワンナイR&R終了を機に女優活動に比重を移した。
島田紳助は小池栄子のことを「頭の回転が早い女性」と高く評価している。 芸能界のあいだではしっかりとした強みのある女性として評価されている。
以上、Wikipediaより。
他には、市川崑(映画監督)、猪瀬直樹(東京都副知事)、YOSHIKI(ミュージシャン)。
ちょっとコワイ印象ですが・・・
ジョディ・フォスター(1962年)
アメリカ合衆国の女優、映画監督、映画プロデューサー。カリフォルニア州ロサンゼルス出身。アイルランド及びドイツ系アメリカ人。芸名の「ジョディ」は、彼女が母親のお腹にいるときから、兄姉たちが呼んでいた愛称。
4人兄妹の末っ子として生まれるが、生まれる前に両親が離婚したため母親に育てられた。子役であった兄の仕事場についていった際スカウトされ、3歳よりコマーシャルに出演し、主にテレビドラマで子役として活躍、一家を経済的に支えるまでになった。
1972年に『ジョディ・フォスターのライオン物語』(日本未公開、邦題はスター・チャンネル放映時のもの、原題:Napoleon and Samantha)で映画デビュー。1976年の映画『タクシー・ドライバー』では、少女の娼婦アイリス役を12歳にして好演し、第46回アカデミー助演女優賞にノミネート、第11回全米批評家協会賞助演女優賞を受賞するなど高い評価を得た。しかし、この映画は同時に多方面に影響を与え、熱狂的なファンを自称するジョン・ヒンクリーにより1981年にレーガン大統領暗殺未遂事件が発生。この事件に衝撃をうけたジョディは、一時期映画界とは距離を置いた。
1984年の『ホテル・ニューハンプシャー』で本格的に映画界へ復帰以降、『告発の行方』や『羊たちの沈黙』などの話題作に次々と出演。人気・実力共にアメリカを代表する役者の地位を不動のものとした。
1991年に『リトルマン・テイト』で、映画初監督。自ら設立した映画制作会社エッグ・ピクチャーズ・プロダクション制作の第一回作品『ネル』(1994年)以降は、映画プロデューサーとして映画製作も行うなど活動の幅を広げている。
頭の回転が速く知性派、社会派女優とも言われ、自分自身の価値観、説得力を持ち演技力や想像力が豊富で魅力的な女優。独身であるが、1998年と2001年に男児を出産している。父親の名前は明かではない。現在シングルマザー。
ハーバード大学、プリンストン大学、コロンビア大学、スタンフォード大学、カリフォルニア大学バークレー校を経てイェール大学に入学した。アメリカ文学を専攻し、トニ・モリソンの論文で優秀な成績(Magna Cum Laude)で卒業したことはよく知られている。
ロサンゼルスのリセにてバカロレア資格を取得。フランス語が流暢に話せるので、フランス語版の吹き替えは殆ど自身で行っている。
以上、wikipediaより。
他には、松崎しげる(歌手)、松任谷正隆(音楽プロデューサー)、安藤優子(ニュースキャスター)、メグ・ライアン(女優)。
昨年はメグ・ライアンだったから今年は・・・(笑)
斉木しげる(1949年)
静岡県浜松市(旧磐田郡)出身。シティボーイズ(大竹まこと・斉木しげる・きたろう)の一人。血液型はO型。
静岡県立浜松西高等学校卒業、早稲田大学教育学部国文学科(現・国語国文学科)中退。
テレビドラマでの役どころは生真面目な父親役が多い。また、特撮作品の出演も多い。1971年秋、通っていた俳優養成所を中退した仲間が集まり、劇団『表現劇場』を結成する。このときの仲間に、のちにシティーボーイズを結成する大竹まこと、きたろうの二人と俳優の風間杜夫がいたことは有名なエピソードである。
人の肉体を見て血液型を見抜くことができるという特技を持つ。日本テレビ系「未来創造堂」でゲストで出演した時に披露したが、この時は5人中2人の血液型を間違えている。
シティボーイズは、大竹まこと、きたろう、斉木しげるの3人で構成するコントユニットである。1979年結成。
1981年からお笑いスター誕生!!に出場し、10週勝ち抜きでグランプリを獲得したことで知名度が上がり、各方面で活躍することになる。各々のソロ活動については、それぞれ各人の記事にて説明されているためそちらを参照のこと。
近年は個人の活動が多いが、毎年ゴールデンウィーク前後に舞台公演(コントライブ)を行っている。 この舞台公演には中村有志がほぼ毎年参加しているほか、親交の深いいとうせいこうなどさまざまゲストを迎えている。また2000年までは三木聡が常に演出をしていた。最後の2000年に舞台と共に上映した「まぬけの殻」は三木の初映像作品である。
前述のライブは、WOWOWがテレビ放送を行っている。生放送の場合もあれば、録画放送の場合もある。コント内容は不条理性を中心に据えたものから、社会状況を風刺したものまで幅広い。後者に分類されるものとしては、殺人事件の犯人の容疑者として逮捕された人間に退去を迫る団地住人や、暴れる犯人から逃げた警官の逃避行を描くものなどが挙げられる(が、彼らが"実際に起きた事件"をそのまま題材にするのは非常に珍しい例である)。
地上波より表現内容がシビアであるが、発言内容に一部ノイズが乗せられることも多い。具体例として、商品名や放送コードにかかるようなものなど。しかしながら、地上波では放送出来ない内容のコントが放送されることは多い。
以上、Wikipediaより。
他には、森進一(歌手)、渡辺満里奈(元おニャン子)。
なんとなく、きたろうとキャラが被るきがするんですが・・・
11月18日の予想
mini toto a | ☆ | mini toto b | ||||||||
No | 対戦カード | 1 | 0 | 2 | No | 対戦カード | 1 | 0 | 2 | |
1 | 浦和 -清水 | 鉄 | 鉄 | 2 | 1 | 鹿島 -柏 | 鉄 | 鉄 | 2 | |
2 | 甲府 -大宮 | 1 | 鉄 | 鉄 | 2 | F東京-G大阪 | 1 | 鉄 | 鉄 | |
3 | 磐田 -川崎 | 鉄 | 0 | 鉄 | 3 | 広島 -神戸 | 1 | 鉄 | 鉄 | |
4 | 千葉 -横浜M | 鉄 | 鉄 | 2 | 4 | 横浜F-新潟 | 1 | 鉄 | 鉄 | |
5 | 大分 -名古屋 | 1 | 鉄 | 鉄 | 5 | 福岡 -徳島 | 鉄 | 鉄 | 2 | |
購入金額 3200円 | 購入金額 3200円 | |||||||||
合計購入金額 6400 円 |
位置 | 選手 | チーム | ファンタジー年俸 | ファンタジーポイント(fp) | |||||||
第32節年俸 | 前節との差 | 出場 | 守備 | 攻撃 | 勝利 | 警告 | ボ | 合計 | |||
GK | 川口 能活 | 磐田 | |||||||||
DF | 田中 誠 | 磐田 | |||||||||
DF | 波戸 康広 | 大宮 | |||||||||
DF | 加賀 健一 | 磐田 | |||||||||
DF | 村山 祐介 | 大宮 | |||||||||
MF | 藤本 主税 | 大宮 | |||||||||
MF | 遠藤 保仁 | G大阪 | |||||||||
MF | 小林 慶行 | 大宮 | |||||||||
MF | 小林 大悟 | 大宮 | |||||||||
MF | 太田 吉彰 | 磐田 | |||||||||
FW | 前田 遼一 | 磐田 | |||||||||
第32節の勝敗予想 (予想と結果) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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第50節の勝敗予想 (予想と結果) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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木村一八(1969年)
俳優。大阪府堺市堺区生まれ。大阪府摂津市出身。父は、漫才師の故横山やすし。漫才師さゆみ・ひかりの木村ひかりは妹(異母妹)。
名前の由来は、父やすしが“人生一か八かや!”という事で名付けたとか、「1と8でカブ(おいちょかぶ)だから」とか、やすしがきよしとコンビを組んだのが8人目で七転び八起きを経験して一番になったことに由来してなど様々な説がある。
幼少の頃よりバラエティ番組にたびたび出演(多くが父と共演)する。花王名人劇場などで西川きよしの次男西川弘志とコンビで漫才を披露したり、パソコンのテレビCMに出演していた。中学校卒業後に俳優となる。テレビドラマの『毎度おさわがせします』(1985年、TBS)の主役として中山美穂と共演して人気を得て、映画「シャコタン・ブギ」(1987年)でも主役を演じた。さらに「俺達だけの約束」で歌手デビューし、人気歌番組の「ザ・ベストテン」(TBS)の「スポットライト」のコーナーにも出演。この際、司会の黒柳徹子の「武勇伝があるそうで」という問いに、「『大阪もんが!』と言ったヤツをボコボコにした」とコメントした。やすしは「親の七光りでも何でも使ったらいい」と公言していたが、「人気芸能人の息子」という背景だけではなく、恵まれた風貌や不良っぽい言動などで、人気、知名度ともに一気に高まった。
1988年11月、俳優として順風満帆だった19歳のとき、タクシー運転手への暴行により傷害容疑で逮捕された。仕事仲間との飲酒後、六本木の路上でタクシーを停めようとしたが、乗車を拒否されて立腹。直後に停車した(乗車拒否した車両とは違う)タクシーの、全く非のない運転手を脳挫傷に追い込むまで暴行した。これは横山やすしや吉本興業をも巻き込む大事件となり、一八は「こいつが死んだら俺がムショ(刑務所)へ行ったらええんやろっ!」と叫んだと報じられた。
暴行事件後、「教育方針が間違っていたのではないか」と聞いてきたテレビ局の女性レポーターに対し、父親のやすしは「ちょっと待てや姉ちゃん。ワイの教育が間違っとるわけないやろ」「男は喧嘩するぐらいが丁度ええ」と逆に開き直った。しかし、このやすしの態度に被害者の父親が怒りをあらわにし、マスコミの報道が厳しくなると、「自分の教育が間違っていた」と号泣して謝罪した。これはやすしが当初は「一八が傷害事件を起こした」程度しか知らなかったためとも言われている。
事件当時、一八は未成年だったが、スポーツ紙やワイドショー、週刊誌などは実名で報道した。吉本興業は、即日、一八を懲戒解雇し、出演中のドラマを降板(結局その番組は途中終了となる)。その後、少年院送致となり、一時的に芸能活動を自粛する。被害者のタクシー運転手への損害賠償は吉本興業が代わりに弁済したが、やすしが飲酒運転で解雇されたため、吉本はやすしに弁済分の支払いを請求するも、やすしの死後に請求を取り下げた。(吉本の社員だった木村政雄(やすし・きよしの元マネージャー)は、「亡くなった方から取り立てる訳にはいかんので」とコメントしている)
成人後、一八はバーニングプロダクションを経て哀川翔の事務所に所属する。事件の影響でテレビ出演は控えられたが、多数のVシネマに出演した。26歳の時には傷害容疑で再び逮捕されている。2001年、吉本興業に復帰する。
- 2003年末で吉本興業を辞め、現在はどこの芸能事務所にも所属していない。
- 2006年3月8日、許可なく日本刀を自動車に隠していたとして銃刀法違反により現行犯逮捕(3月27日に釈放)。この時、住む家すら無く友人宅を転々として暮らしていたと報じられた。
- 高須基仁と共に高橋祐也(三田佳子の次男)とサイゾー誌上で対談した。
- 2006年12月、女優の石原真理子の自叙伝「ふぞろいな秘密」に、「競艇好きだった関西の大物漫才師を父に持つ俳優K・K」という表現で、性的関係があった男性の一人として記述される。
以上、Wikipediaより。
他には、納谷悟朗(声優)、山口崇(俳優)、内田裕也(ミュージシャン)、ユンソナ(タレント)。
三田佳子の次男と対談っていうのが笑えますね。。。
そ・そんなぁ・・・
あの失望のドイツW杯から、オシムさん就任で一筋の光明を見たと思いこのブック(テーマ)を作ったのですが・・・
先ずは、無事に治療(手術?)が成功することをみんなで祈りましょう!
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ただ、退院できてもスグに復帰するのは無理でしょうから、ダメだった場合も含め、後任人事のことも考えなければなりません!
反町さんはU-23があるので、大熊さんが暫定監督!?(笑)
オシムさんの代わりになる人は日本人はもちろん、海外にもいないんじゃないかと思います。
個人的にはベンゲルさんですが・・・多分断るでしょうね。
オシムつながりだと、ちょうど来日中(?)のピクシーか、監督の経験ないと思いますが・・・
う~ん、オシム後のことをこんなに早く考えなければいけなくなるとは。。。
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さて、これで明日のベトナム戦に燃えないはずはありませんよね、U-23のメンバーは。
もし不甲斐ない試合したら一生許さんからな!!!
内田有紀(1975年)
歌手、女優。所属事務所はバーニングプロダクション。東京都出身。身長165cm、体重48kg。スリーサイズはB82・W58・H83。靴のサイズは24cm。血液型はO型。2002年、俳優の吉岡秀隆と結婚。同年11月28日をもって芸能界を休業したが、2005年12月に離婚していたことが明らかになり、2006年7月2日芸能界に復帰した。
- 中学時よりモデルとして活動開始。
- 「有紀」という名前は「世紀を越えても有名な子になるように」という祖母の願いから付けられた。
- 1992年、フジテレビ系「その時、ハートは盗まれた」で女優として芸能界デビュー。
- 同年冬には、1993年のユニチカの水着キャンペーンモデルとして選出され、活動を開始。新年度の水着キャンペーンモデルの1人として、EXテレビにゲスト出演した際、司会の三宅裕司は後のブレイクを予言していた。
- 1993年、覚えやすい名前とスレンダーな健康美人という当時の流行りによくマッチしていたコトもあり大ブレイク。また、ボーイッシュスタイルの髪型もデビュー当初の内田のトレードマークであった。同年のフジテレビビジュアルクイーンにも選ばれた。
- 1994年には「時をかける少女」でドラマ初主演し、同年「TENCAを取ろう! ~内田の野望~」で歌手デビュー。同曲は主演ドラマ「半熟卵」の主題歌ともなり、オリコン初登場1位を獲得した。翌1995年には映画に進出し、以降、歌と女優業を軸に活動する。
- 「二重にし、目の下の涙道に液を注入し膨らまし、唇をふっくらさせる為に同様に液注入」と自らの整形をカミングアウトしている。
- 2000年1月、演技の勉強を基礎からやり直すとして、「北区つかこうへい劇団」に入団。テレビから舞台へと活躍の場を移すこととなる。
- 2002年末、「北の国から」で共演した俳優吉岡秀隆と結婚、芸能活動を停止。なお、ファンクラブ「YUKI組」は解散、公式サイトも閉鎖された。倉本聰氏プロデュースの挙式が話題になった。しかし2005年12月に離婚。倉本聰は離婚に関して「結婚というものについて二人ともきちんと理解していなかったのではないか」とコメント。
- フェンシング都大会で3位入賞の実績がある。
- 2006年7月2日スタートのTBSドラマ「誰よりもママを愛す」(日曜21:00~21:54)で、主演の田村正和が演じる専業主夫の長女役で女優復帰。公式サイトも復活し古巣バーニングプロダクション所属となる。マネジメントはバーニンググループのプロダクションEver Green Entertainmentと提携。女優業は2002年9月放送のフジテレビ「北の国から2002遺言」以来約4年ぶり。
以上、Wikipediaより。
他には、来生たかお(ミュージシャン)、二谷友里恵(女優)。
う~ん、一瞬爆発的に売れましたね。。。
田中美佐子(1959年)
本名・深沢 美佐子、旧姓田中。島根県隠岐郡西ノ島町出身の女優。
- 東洋女子短期大学在学中に、劇団ひまわりに入団。短大卒業後の1981年、TBSの緑山私塾からドラマ「想い出づくり」でデビュー。当時の芸名は「田中美佐」であった。
- 1982年、「ダイアモンドは傷つかない」で映画初出演(主演)し、ヌードを披露。第6回日本アカデミー賞新人俳優賞受賞。写真集や、1983年の映画「丑三つの村」でもヌードを披露した。脱ぎ、その演技力にて好評を得る。演技力も高評価を得たが、ヌードが厭で芸能活動を休止。移籍事務所を探した事もある。その時相談に乗ったのが萩本欽一であった。
- 1995年11月、付き人であった深沢邦之(Take2)と結婚。現在は女児の母となる。2004年10月20日発売「幻のメロディー3」には、嘗てレコーディングした「二人は踊った」(LP「夢売りのピエロ」収録)が作曲者の歌唱により収録されている。
- 2005年10月より連続ドラマ「ブラザー☆ビート」で女優復帰。
- 吉本芸人の浜根隆は幼稚園の時の同級生だが、同窓会で再会した時、浜根の事は全く覚えていなかった。
主な出演
テレビドラマ
- 想い出づくり(1981年、TBS)
- 本日も晴天なり(1981年、NHK)
- 徳川家康(1982年、NHK)
- 女ざかり(1984年、日本テレビ)
- おしん(1984年、NHK)
- 心はロンリー気持ちは「…」(1984年、フジテレビ)
- 子供が見てるでしょ!(1985年、TBS)
- お坊っチャマにはわかるまい!(1986年、TBS)
- 愛の嵐(1986年、フジテレビ・東海テレビ制作)
- オヨビでない奴!(1987年、TBS)
- ツヨシ、しっかりしなさい(1989年、日本テレビ)
- ハートに火をつけて!(1989年、フジテレビ)
- 雨よりも優しく(1989年、TBS)
- 予備校ブギ(1990年、TBS)
- 都会の森(1990年、TBS)
- 結婚の理想と現実(1991年、フジテレビ)
- 世にも奇妙な物語 『占いセット』(1991年、フジテレビ)
- それでも家を買いました(1991年、TBS)
- しあわせの決断(1992年、フジテレビ)
- 眠れない夜をかぞえて(1992年、TBS)
- 十年愛(1992年、TBS)
- 日曜はダメよ(1993年、日本テレビ)
- 禁断の果実(1994年、日本テレビ)
- 私は貝になりたい(1994年、TBS)
- セカンド・チャンス(1995年、TBS)
- Age,35 恋しくて(1996年、フジテレビ)
- 智子と知子(1997年、TBS)
- ランデヴー(1998年、TBS)
- ママチャリ刑事(1999年、TBS)
- OUT ~妻たちの犯罪~(1999年、フジテレビ・関西テレビ制作)
- 古畑任三郎(1999年、フジテレビ):小田島さくら役
- ショカツ(2000年、フジテレビ・関西テレビ制作)
- リミット もしも、わが子が…(2000年、日本テレビ・読売テレビ制作)
- ブラザー☆ビート(2005年、TBS)
- 14才の母(2006年、日本テレビ)
- スワンの馬鹿!?こづかい3万円の恋?(2007年、フジテレビ・関西テレビ製作)
以上、Wikipediaより。
他には、吉幾三(歌手)、ダンプ松本(女子プロレスラー)、デミ・ムーア(女優)、中西圭三(歌手)、マギー審司(お笑いタレント)、レオナルド・ディカプリオ(俳優)。
当時、田中美奈子とややこしいなんて言われてました。。。
売れる前にヌードになってるとはオドロキ!