若いうちは悪いくらいの奴が、

若いうちはたっぷり遊んだ奴が、

将来使い物になるんだよ。

将来大物になるんだよ。


ありえないことをメディアが流す。


全ての若者が悪かったらどうなるのだろうかと。

悪くなどなく、迷惑を被っている若者は間違っているのかと。

教室では授業妨害。

廊下では殴り合い。

街角では喫煙飲酒。

路上では迷惑暴走行為。

使い物になる大物になりたい若者がこぞって。

社会環境の悪化を招き。

正常な価値観が荒れ。

世界が使い物にならなくなる。


幼女がかどわかされ児童ポルノが売り捌かれる闇。

小児性愛者を異常者だとして彼らを攻め立てる光(笑)。

無論消費者があるから生産者があるのだけれど。

生産者の大半は過去、悪かった若者。

その結果、暴力と非合法の社会でしか生きられなくなった人間。


正しく生きた人間など評価されないと言い放っていることに気付かない。


ならばお前。

我が子に言え。

気に入らない奴は教師だろうが親だろうが殴り飛ばせ。

法律など捕まらなければ破り倒してもいいんだ。

腕力で他者を圧倒し威嚇し、屈服させろ。

改造自動車で迷惑暴走行為を繰り返せ。


その次は。

弱そうな同級生を虐待するか?

喫煙飲酒に飽いて麻薬を喰らうか?

たわいない一言が許せずに親を撲殺するか?


結果としての悪い素行と将来性と。

発端としての悪い素行の励行とを。

結び付けてはいけない。


善悪など相対的で曖昧模糊。

それでも悪の励行など。

許されるはずもない。

Peace & Love。

暴力衝動。

誰にでもある。

殺人衝動。

お前にもある。

異常性愛衝動。

俺にもある。

自己愛要求衝動。

聖人にもある。


殴りたい。

奥歯が頬を突き破り、鼻腔が潰れ。

眼球が頬を零れ落ち、耳朶が裂け。

そうなるほどに殴りたい。


殺したい。

指を折り爪を剥ぎ、肘を砕き肩を抜き。

火で焙り水で責め、土に埋め便をかけ。

あらゆる責め苦を与えて殺したい。


性交したい。

嫌がる異性と、死体と。

年端もいかない異性と。

満員電車の中で触りたい。

下着をくすねてねぶりたい。


身勝手に生きたい。

迷惑暴走行為を繰り返し、煙草の煙を撒き散らし。

迷惑騒音行為を繰り返し、威嚇の空気を撒き散らし。

モラルなど蹴飛ばして身勝手に生きたい。


中身はそれでいい。

人間など。

えげつない生き物。

人間など。


けれども。


やってはいけない。

抑止しなければいけない。

単純なこと。


怒られるからではなく。

裁かれるからではなく。

罰せられるからではなく。

法律があるからではなく。


やってはいけないことだから。

他者のあるべき安楽の権利を、

1人の満たしたい欲求で蹂躙することは、

やってはいけないことだから。


他者の痛みを知り。

その為の法やモラルであることを知り。


制御すること。


基本的で単純な人間のあり方。

それがおざなりだから。

怒られるからやってはいけないと教える先人が多いから。

怒られなければいいと、見つからなければいいと。

罪悪感もなく。


簡単に暴走して恥じない。


ただ、人間であることが、できない。

ただ、人間であれば、いいのに。

当たり前のように。

障害者用駐車場に自動車が入る。

当たり前のように。

親子連れが自動車から降りてくる。


隣の自動車へ障害者が乗り込もうとする。

あの人はどうしてと首を傾げる娘。

見ちゃダメな人なのと笑う母親。

隣の自動車は健常者を背に走り去る。


当たり前のように。

障害者用駐車場に自動車が入る。

当たり前のように。

健常者が自動車から降りてくる。

当たり前のように。

店員は黙認している。

当たり前のように。

俺も目を伏せる。


たとえば。

注意をする。

たとえば。

店に電話をする。

正しい行動。

けれども。

沸いて出る。

けれども。

聞き入れない。

外出の度、買い物の度、注意をし電話をすることになる。

ずっとだ。ずうっとだ。途切れることなくずうっとだ。

それだけ。

そういう人間が溢れ返っている。


当たり前のように。

あの家の子は「しんしょう」だからと笑う親。

当たり前のように。

あの子はまるで「しんしょう」みたいと笑う親。

当たり前のように。

子供の前で「身障」を蔑称として吐き捨てる親。

当たり前のように。

子供の前で「身障」を悪態代わりにあざ笑う親。


その親もその親もその親も。

その連れ合いも。

その縁者も。

その教師も。

その友人らも。

そういう連中。

連環するから断ち切れない。

まるで常識のように継承されていく。


親を殴り飛ばさなければ。

その親も蹴り飛ばさなければ。

高齢者?

老体?

定年後の悠々自適な自分の時間?


教育は代を貫いて継承される。

次世代への責任は老人どもにもある。

ひからびたフリをして若造批判をするよりも。

教育の責任を振り返り今一度、我が子を殴り飛ばせ。

子供好きだという。

子供はみんな大好きだという。

それはつまり。

子供の人格を認めていないということ。

子供を人間扱いしていないということ。


子供はみな画一的な存在なのか。

否。

千差に万別余りある。

ならば。

好きな子供もいれば嫌いな子供もいる。

それが当然。

ではないのかね。


それを無思慮に子供なら全て好きだという。

なんて子供に失礼なことを。

子供の個別を認めず、すなわち人格を認めずに、

ひとからげに括ってしまうなど。


子供を「子供」という物体としか捉えていない。

だから子供に己れの思う「子供」を求める。

「子供らしさ」を求める。

子供幻想に陥る。


そして時に子供が「子供らしさ」を見せない時。

そして時に子供との生活が夢想したそれと異なった時。

ストレス。

苛立ち。

やがて、憎悪。

やがて、事件。


子供だから好きなのではなく。

その子だから好きなのだ。

子供だから嫌いなのではなく。

その子だから嫌いなのだ。

「子供らしく」なくても。

夢想とは異なっていても。

可愛いだけではなくても。

楽しいだけではなくても。

それがその子と自分の関係。

それを受け入れ改善していくのが大人の仕事。


人格。


その子がそこに存在し、今日まで生きてきた証。


人格。


それを否定する言葉。


「子供が好き」

この国は「生物としての人間」を教育の支柱にしているんだす。


多くの生物は密閉された空間に限界値以上の人数を詰め込むと本能的に異常をきたすんだす。

自殺や子殺し、共食い、弱い個体への攻撃などが始まるんだす。

個体数を削減して種族維持をする為の本能としては正常な行為なんだす。

密閉された空間とは物質的精神的両面を指すんだす。


一学級の人数上限は20名までだす。

詰め込みすぎは良くないだす。

学力偏重による絶対教育は偏った絶対競争を生じ精神的密閉空間を生じるんだす。

学力のみならずあらゆる能力で図る相対競争でその密閉空間の閉塞感を解消しているんだす。


この国は「学歴社会」を推奨しているんだす。


学歴とはその人間の能力履歴だす。

学歴とはその人間の能力属性の一つだす。

学歴とは上下の差別ではなく縦横の区別だす。

学歴とは人間の差別ではなく職業能力の区別だす。


正常に機能させるならば適材を適所に配する基準になるだす。

高学歴という言葉は存在しなかっただす。

職制専門学校制度の為、学歴の高低が無意味化されているだす。

結果、学歴が純粋に正常にその人間の履歴と属性を示すことが可能になっただす。


無論、学歴と人間性を混同するような社会教育自体行われないだす。

そんなことを口にする人間は下品で低俗な人間と嫌悪されるだす。


そんなことをこの国で見てきただす。

世界の成り立ちをいじくる為の手が学問であるという考えから飛び級は禁止されていたっちゃ。

高卒を大学入試資格に挙げるのは高等学校程度の人間教育がなされているという証明だっちゃ。

倫理観もなく人間的に問題のある者に学問をゆだねる訳にはいかないという理由だっちゃ。


自動車免許は就労者限定高等学校卒業時より取得可能だっちゃ。

ただし高等学校卒業時までの学校生活において問題がないことが条件だっちゃ。

学校内程度の集団生活がままならないものに自動車免許など取得させないんだっちゃ。


妊娠、出産、育児中(小学校卒まで)は地区が催す勉強会参加が義務付けられているっちゃ。

人は子ができたら親になるのではなく、努力して親になっていくという考え方だからだっちゃ。

勉強会不参加者は多くの育児・教育に関する福利厚生等を受けられないっちゃ。


教師資格は大学卒後、職制専門学校を卒業することで得られるっちゃ。

職制専門学校では常に人格審査と実地訓練が行われるっちゃ。

人格審査不合格のまま何年も留年することもあるっちゃ。


生徒やその親は教師や学校について、常に問うこと、糾弾することが許可されているっちゃ。

学校と行政、家庭の中立的立場である学校生活問題マネージャーが設立されているっちゃ。

マネージャーを通して教師や学校、市など行政の教育方針などに異議申し立てが可能になってるっちゃ。


玉虫色の民主制度形骸化を防いでいるっちゃ。

老害のしがらみという壁に風穴を開けているっちゃ。

無論全くそういったものがないとは言えないっちゃ。


けれども、下らない画策をするよりも努力した方が成功できる確率が高いっちゃ。


そんなことをこの国で見てきたっちゃ。

学問機関に特化した為、大学の数は少なかったのよ。

加えて大学は就職に有効な機関でもなくなったのよ。

就職に関する教育機関として、職制専門学校が設置されているのよ。

職制専門学校は基本的に三年間の就学となっていたのよ。


職制専門学校とは企業人育成の教育機関なのよ。

職制専門学校卒業者は一定の企業人の能力、人間性を保証されるのよ。

企業は職制専門学校卒者から社員を採用するのよ。

年齢・性別・職歴一切不問なのよ。


必要なのは職制専門学校での成績なのよ。


このシステムによって大学受験による人生設計の加速が大きく緩和されたのよ。

自分の納得できる人生を送ってからしっかりと就職できるようになったのよ。

女性も子育てを終えてから、十分社会で望む職に就けるようになったのよ。

海外を放浪する若者も、その経験を生かすことができるようになったのよ。


このシステムによって高等学校卒まで受験勉強を主軸にする必要がなくなったのよ。

高等学校卒業まで人間教育に主眼を置くことが可能になったのよ。


企業立職制専門学校も設立されているのよ。

その企業が欲する人材を積極的に育成するのよ。

マナー・外国語・その他仕事に関する技術や知識を徹底して教育するのよ。


あらゆる国民に努力による社会的自己実現の機会が与えられたのよ。


そんなことをこの国で見てきたのよ。

大学進学は就職の有利を保証するものではないのよね。

大学は学問機関として特化しているのよね。

入学も困難なら卒業も困難なのよね。

のみならず在学もまた困難なのよね。


卒業は卒業論文のみならず四年間一貫した監査で決定されるのよね。

一年目は一般教養と学問研究の方法を学ぶのよね。

二年目以降は研究の初歩を学び実践するのよね。

四年目でその集大成としての卒業論文を発表するのよね。

この全てが監査され、当学の基準を下回る場合は除籍もあり得るのよね。


研究課題及び卒業論文は全て小冊子化され公開されるのよね。

卒業後の進路は企業等の研究開発所に招聘されるか大学の研究所に入所するのよね。

その他大学院へ進学という道もあるのよね。

大学院卒後も大学卒業後と同様の進路が選択できるのよね。

異なるのはやはり能力給の高低になってくるのよね。


入学生徒数も少なく、卒業人数は更に少ないけれども良質の学者が生産されるのよね。

大学では学術を扱う人間を育成する為、倫理等も十分指導されるのよね。

学問の技術ばかり先行してそれを扱う人間ができていないなどということがないのよね。



一方、専門学校への進学もあるのよね。

専門学校は二種類あるのよね。

一つは技術系専門学校なのよね。

一般教養一年、専門技術習得二年の就学なのよね。


そんなことをその国で見てきたのよね。

高等学校では転校・転入の開放が行われているんだよ。

校風や教師らが望むものと違うと判断したら比較的自由に転校・転入ができるんだよ。

ただ耐えて高等学校卒の肩書きを手に入れるだけじゃあないんだよ。

そうやって納得のいく学校や師を自ら探すことも可能なんだよ。


勿論余りにも回数が多い場合は就学カウンセラーが相談に乗るんだよ。


寮生活に実家通学と書生通学が加わるんだよ。

書生通学とはアルバイト先に住まわしてもらっての就学なんだよ。

学校指定の書生可のアルバイト先で働きながら通学するんだよ。

寮は主に体育会系部活動に勤しむ生徒が入るんだよ。


多くの生徒と多くの親御さんが書生通学を希望しているんだよ。


受験勉強用の授業は基本的に禁止なんだよ。

進学校でも多少受験教科に重点が置かれる授業がある程度なんだよ。

進学校では主に進学の意義などを学ぶことになるんだよ。

これによって高等学校では十分な人間教育が行うことが可能になったんだよ。


進学塾については週三日のみ許可されているんだよ。

本格的な受験勉強は基本的に卒業後から始まるんだよ。

大学、専門学校への進学を希望する人は必ず1年間の受験期があるんだよ。

受験勉強の加速を緩和し人間としての熟成を考慮した結果なんだよ。


これらによって高校生は自分が納得する十分な教育を受ける権利を得たんだよ。

言い換えれば責任転嫁できない青春が提供されたことになるんだよ。


そんなことをその国で見てきたんだよ。

中学校までが義務教育になるんだわ。

小中学校一貫した教育理念があるんだわ。


まず一つ目が相互教育観の育成なんだわ。

社会構成員同士がお互いに教育し合うということなんだわ。

間違いを見たら率直に指摘しようということなんだわ。

間違いを指摘されたら素直に受け入れようということなんだわ。

年齢や社会的地位などの上下に左右されない価値観の育成なんだわ。

これを生活習慣にする為なんだわ。


二つ目が自律観の育成だわ。

自分自身の行動を自身で制御するということなんだわ。

自己の欲求に対して現状を正確に把握し冷静に結論を出すことなんだわ。

他者との関係や周囲への影響を正確に把握し冷静に自身の行動を制御することなんだわ。

他者から叱られるということがいかに恥ずべきことかという価値観の育成なんだわ。

これを生活習慣にしているんだわ。


三つ目が情報処理能力の向上なんだわ。

脳に入力されるあらゆる情報を咀嚼して自らの血肉にするんだわ。

常に何者かの主観が練り込まれてしまうあらゆる情報から本質を把握するんだわ。

少々の暴力的描写ある映画などを観てもそこだけに囚われないようにするんだわ。

その映画が本当に伝えたいことは何かをしっかりと把握する能力なんだわ。

これを生活能力に組み込んでいるんだわ。


これらによって、多くの国に比べてモラルや規則に対する認識が大きく違っているんだわ。

怒られるからやらない、ではなくやってはならないことだからやらないと認識しているんだわ。

少年に注意された大人も腹を立てるよりも恥じ、少年に礼を述べることもあるんだわ。


そんなことをその国で見てきたんだわ。