昔は本や知っている人に聞くしか、新しい知識を得ることは難しかったですよね。 

やがてコンピュータが普及して、それに伴ってインターネットも広がり、

誰でもが「ネット検索」でさまざまな知識に触れることができるようになりました。

 

今はさらに一歩進んで、 「ネットで調べる」ではなく

「AIに聞いてみる」という時代になってきています。

 

さて、この違いはどこにあるのでしょうか。

その違いを少しでも感じることができれば、AIはぐっと身近なものになりますし、 「ちょっとやってみようかな」と思えるきっかけになるかもしれません。

 

ここでは、最近私が感じ始めたその違いをつらつらと纏めてみたいと思います。

 

 

ネット検索の便利さと、ちょっとした不便さ

ネット検索は、本当に便利ですよね。 

今では大人だけでなく、子供でも当たり前のようにスマホやパソコンで調べ物をしています。

 

図書館に行って本をめくって調べる、

そんな時代はだんだん少なくなってきました。 

それが良いかどうかは別として、家にいながら知識に触れられるのは、

やっぱりありがたいことです。

 

ただネットで調べた時、こんな経験はありませんか?

「この記事、自分の疑問に合っているのかな?」 

「一般的には正しいけど、今の自分の状況とはちょっと違うな…」 

「この方法、道具が家にないから参考にならないな…」

 

知りたいことを調べているのに、 

いつの間にか“その答えが自分に合っているかどうか”を考える作業が増えてしまう。

 

これって、少し疲れませんか?

気がつけば、いくつものページを行ったり来たり。

 結局、時間がかかってしまうこともあります。

それでも、「昔に比べればずっと便利」 そんなふうに思っていたのですよね。

 

 

AIは「自分に合わせてくれる存在」

AIは、最初はただの質問相手のように感じるかもしれません。

私も最初のうちはそうでした。

 

でも、AIと対話を続けていくうちに、 

私の考え方や性格、文章の癖、

どんなことに困りやすいかなどを少しずつ理解していきます。

 

するとどうなるか。

同じ質問をしても、 「その人に合った答え」を選んで返してくれるようになるのです。

 

つまり、 自分専用の“相談相手”になってくれるということです。

 

ちょっと大げさに言えば、 自分のためのプライベートな図書館のような存在。

これって、すごいことですよね。

 

さらにAIには、ネット検索にはない良さがあります。

● わからないところを何度でも聞き直せる

「もう少し簡単に説明して」とか 

「さっきのところ、もう一度教えて」と気軽に聞けます。

人に聞くときのような遠慮がいりません。


● 自分の状況に合わせて答えを調整してくれる

「道具がない」「時間がない」「初心者です」 

そう伝えれば、現実的な方法に変えてくれます。


● 会話しながら考えを整理できる

答えをもらうだけでなく、 

「こういう考え方もありますよ」と別の視点をくれます。

毎回、うるさいくらいに(笑)

話しているうちに、 自分の中の考えが整理されていく感覚があります。


● 文章やアイデアを一緒に作れる

単に調べるだけでなく、 文章を書いたり、アイデアを広げたりと、

 「一緒に作る相手」にもなってくれます。

 

 

AIでできることは、思っているよりずっと広い

AIは、何かを調べるだけのものではありません。

 

例えばこんなこともできます。

・料理のレシピを考えてもらう 

・サークルの案内文を作ってもらう 

・お孫さんに送るメッセージを考える 

・写真に添える一言を考えてもらう

 

「そんなことまで?」と思うかもしれませんが、 

やってみると意外と助かるのです。

 

例えば、こんな場面。

「町内会のお知らせを書かないといけないけど、うまくまとまらない」

そんなときにAIに 

「やさしい文章で、読みやすく書いてください」とお願いすると、 

すっと形にしてくれます。

それを自分なりに少し直せば、立派なお知らせ文になります。

 

あるいは、 「孫に何かメッセージを送りたいけど、いい言葉が浮かばない」

そんなときも、 

「やさしいおじいちゃん風で」

と頼めば、 心が温かくなる文章を考えてくれます。

 

使い方は難しくありません。

「こんなことをしたい」と、そのまま言葉にするだけです。

それだけで、 今まで一人で悩んでいたことが、少し楽になります。

 

ある方の中学生の息子さんは少し『やんちゃ』で、学校で先生に叱られて宿題として反省文を書いてくるようにと言われたそうです。

その子は、ちゃっかりその反省文を AIに書いてもらったそうです。

翌日その反省文を先生に提出したら、

その子は先生に褒められたのだそうです。

あまりにも素晴らしい文章だったということで。

 

この行為が良いとは言いませんが、AIの可能性というか能力の素晴らしさをお伝えするにはなかなかの分かりやすい例かなと思いました。

 

 

まとめ

どうでしょうか。

AIは、これまでとても便利だったネット検索の、 そのさらに先にある存在だと思いませんか?

 

使いこなす必要はありません。

まずは、 「ちょっと聞いてみる」 それだけで十分です。

 

慣れてくると、 「こんなこともできるのか」と感じる場面が、きっと増えていきます。

そして気がつけば、 

日々のちょっとした悩みや手間が、少し軽くなっているはずです。

 

無理に覚えようとしなくても大丈夫。

少しずつ、 つらつらと触れていくうちに、 

自然と身についていくものです。

 

何度か繰り返しているうちに、

いつの間にかあなた専用の頭のいい秘書になっていることでしょう。

 

特に私と同世代のシニアの方々、

AIは遠い存在ではなく、 これからの生活の中で、静かに支えてくれる道具のひとつ。

 

そんなふうに思っていただけたら、うれしいです。

 

 

---- PS ----

 

これから少しずつ、AIとの付き合い方についても書いていこうと思います。

また

68歳になる私が実際にどうやってAIと付き合っているかも、書いてみようと思います。

 

 juju です、お久しぶり。

 

さいきん、AIと会話をするようになりました。

 

だってAIが人の代わりに文章を書く時代になりましたものね。

まさか自分のような年齢になって、機械と会話しながらブログを書く日が来るなんて、若い頃には想像もできませんでした。

 

最近、「ChatGPTのハルシネーション」という言葉をよく耳にします。

 

ちょっと難しそうに聞こえますが、簡単に言えば “AIがそれっぽいことをもっともらしく言うけれど、実は間違っている” という現象のことなんです。

 

私も最初は、「ハルシネーション? まさか幻覚でも見るのか?」と思いましたよ。

でも、よく考えてみると、人間だって似たようなことをするんですよね。

 

覚えていないことを「たぶんこうだった」と言ったり、誰かの話を聞き間違えて信じ込んだり。

 

AIも結局、過去の情報を組み合わせて答えを出しているわけですから、私たちの“思い込み”に少し似ているのかもしれません。

 

昔、父が味噌汁の味を教わった時のことを思い出します。

「一人分は梅干し大の味噌」と言われて、真面目にその通りに作っていたんです。

結果は、しょっぱくて飲めたもんじゃなかった。

でも父は、「教えてくれた人がそう言ったから」と言って、何度も挑戦していました。

 

正しい答えを知らなければ、信じるしかない――AIも、もしかしたらそんなふうに学んでいるのかもしれませんね。

 

ただ、違うのはAIには“心”がないということ。

私たちは間違えた時に「申し訳なかった」とか「恥ずかしい」と思える。

でもAIは、そう感じることができない。

 

だからこそ、使う私たちのほうに責任があると思うんです。

言葉を信じすぎず、確かめながら、うまく付き合っていく。

人との関係と同じですね。

 

ハルシネーションという言葉には、少し怖い響きがあります。でも、私はこうも思うんです。

たとえ間違っていても、その中に“新しい気づき”が生まれることもある。

AIの答えがきっかけで、自分の考えが整理されたり、別の視点が見つかったりする。

 

間違いを責めるよりも、うまく利用していくことのほうが大事なんじゃないでしょうか。

人生も同じです。間違いながら覚えていく。寄り道をしても、いつかそれが糧になる。AIのハルシネーションも、私たちの学びの鏡のような存在なのかもしれません。

 

今日もAIと話しながら、そんなことを思いましたよ。

私たち日本人は、

子どものころから「がんばれ」「努力は必ず報われる」と教えられてきました。

 

それは決して悪いことではありません。

目標に向かって一生懸命になる姿勢は素晴らしいものです。

 

でも、こんな経験はありませんか?

 

「とにかく結果を出さなきゃ」 

「もっと頑張らないと周りに置いていかれる」

 

そう思えば思うほど、空回りしてしまったり、

思うような結果が出なかったり。 

 

力を入れてオールを漕ぎ続けた結果、目的地が遠のいていくような、

そんなもどかしさを感じてしまうことがあります。

 

 

「がんばらない」と決めてみたら

以前、私も仕事で煮詰まっていた時期がありました。

 

プレゼンの資料を作っても、なんだか説得力がない。

話そうとすればするほど、言葉が詰まってしまう。

 

そんなとき、ふと「もう、がんばるのはやめよう」と思ったんです(笑)

「今日はとりあえず、好きな音楽でも聴きながら、なんとなく手を動かすだけでいいか」と。

 

ほら、なかなか見つからないものが、

探すのをやめた途端にすぐに見つかるような感じ。

 

力を抜いて、完璧を求めずに作業を進めていったら、

不思議なことが起こりました。 

まるでパズルのピースが自然にはまるように、

考えがまとまり始めたんです。 

 

それまで「こう話さなければ」と気負っていたのが、

「この思いを素直に伝えればいいんだ」と気づき、

自然とシンプルな言葉が出てきました。

 

プレゼン当日も、無理に「しっかりしなきゃ」と構えず、

ありのままの自分で臨みました。 

冗談も交えて話しました。

 

すると、聴いている人たちの表情が、驚くほど和らいでいるのが見えたのです。

 

 

完璧よりも、「あなたらしさ」が伝わる瞬間

あとで、「あのプレゼン、すごくよかったよ」と言ってもらえたとき、

こう言われました。 

 

一生懸命なのはわかるけど、変に力が入ってないから、すっと心に入ってきた」と。

 

私たちはつい、「もっとうまくやらなきゃ」と、

自分の弱さを隠そうとしてしまいます。 

 

でも、人間味やありのままの姿は、誰にとっても魅力的なんですよね。

 

 完璧な人よりも、少し不器用でも一生懸命な人のほうが、

応援したくなる気持ちに似ているのかもしれません。

 

 

頑張りすぎているあなたへ

もし今、何かがうまくいかなくて焦っているなら、

一度「がんばらない」と決めてみるのはどうでしょう。

  • 完璧な資料を作ろうとせず、まずはアイデアを書き出すだけにする。

  • 誰かにどう思われるかを気にせず、ただ自分の好きなことを話してみる。

  • 辛いときは「がんばらなくていい日」と、自分に休みをあげる。

そうやって肩の力を抜いたとき、

思ってもみなかった道が開けたり、

もっと大きな結果につながったりすることがあります。

 

それはきっと、あなた本来の魅力や優しさ、

人間性が自然とあふれ出すから。 

頑張り続けることも素晴らしいけれど、

時には「力を抜く勇気」も大切にしたいですね。

 

もし、この記事を読んで少しでも心が軽くなったなら、

ぜひあなたの「がんばらない日」の経験をコメントで教えてください。

 

 

このブログが、あなたの毎日を少しでも豊かにするきっかけになれば嬉しいです。

仕事だけじゃつまんないと思い始めた

20代後半、

仕事柄(当時はレストランの調理) 休みは平日なので仲間は居ない。

 

考えてみれば、私の趣味はなんだか暗いものばかり

オーディオ 車の運転 アマチュア無線 ・・・

 

 

 

30歳の手習いはパラグライダー

一人でも出来ること 何かやりたい。

外で出来る何か。

 

できれば少し派手目なもの

ウキウキできるもの

珍しいもの

 

ということでいろいろ探していたら

ちょうどフランスから入ってきた

パラグライダーというスカイスポーツが見つかりました。

スクールに入って 練習して 学科と実技の試験受けて

パラグライダーパイロットの資格を取得して

 

それがちょうど30歳の時でした。

 

40歳の手習いは家庭

一人で空を飛べて

結構珍しくて

派手目で・・・

楽しい10年間を過ごしていたら

そろそろ結婚しなきゃ

 

ってことで家庭を持つことに。

それがちょうど40歳の時でした。

 

 

子どもたちが少しずつ大きくなってきて

そんなに手がかからなくなった頃、

何か新しいことがしたくなりました。

 

 

50歳の手習いはサックス

仕事帰りに車を運転していて

車内で聞こえてきたのが

テネシーワルツ

それも唄ではなくて音楽だけ

音色はサックス。

 

「そうだ、サックスやろう」

 

それがちょうど50歳の時でした。

ってことで、楽器を買って個人の先生に習って・・・

毎日毎日練習して、地元のママさんバンドに入って、

施設で演奏したり、下の子の幼稚園のおやじバンドで

サックス吹いたりして、楽しい日々でした。

 

 

日々を仕事に、趣味に楽しませていただきました。

 

やがて60歳で定年を迎えました。

仕事、どうしよう。

 

60歳の手習いは介護職

隠居するほど蓄えはないし

っていうか、貯金ないし。

 

どうせなら未経験の仕事が良い。

 

ってことで始めたのが、介護の仕事、

60歳の時でした。

 

 

ふりかえれば、

偶然なのか何なのか

10年ごとの手習いをしてきました。

 

次は70歳。

さすがに70になれば、

新しいことにチャレンジする気力ないかも。

 

ならば、5年早めて65歳で何かやってみよう。

 

65歳の手習いはバイクの免許

次男が北海道に進学することになって
ここ、さいたまを離れていくことが分かったのが
64歳の9月。
 
息子がさいたまにいる間に
何かしら思い出を作っておきたい。
何がいいだろう???
 
息子は250ccのバイクに乗っていて楽しそう。
ならば、バイク2台で親子ツーリングしたら
いい思い出になるのではないか?
 
そう思っても、バイクの免許がない。
もちろん、バイクもない。
それで思い切って教習所に通い出して
免許を取得してバイクを買って乗り始めたのが
65歳の時でした。
 
 
念願かなって息子と二人でツーリングに行けました。
 
今は息子は北海道にいるので
私は一人でバイクに乗って楽しんでおります。
 
 
今に思えば、
なにかやりたいと思って
何かを探して
それを実現するべく
チャレンジできたことが良かったのだと思っています。
 
 
人生を楽しむことに、躊躇していてはいけません。
 
それが幾つの時であっても、
気力がある間は
チャレンジできるし
実現できるということです。
 
ありがたい人生です。

 

パラグライダーは、ちょっと怖い気もするけど

やってみると楽しいですよ。

 

 

私がパラグライダーを始めたのは

まだフランスからこのスポーツが入ってきたばかりの

1989年でした。

いろいろあって、パイロットの資格を取得できたのは1990年。

 

 

当時の私の休日は平日なので、仲間がいませんでした。

 

趣味といえばアマチュア無線とかオーディオとか

車の運転とか、

なんかつまらない趣味ばかりだなぁと思っていたんですよね。

 

それで、一人でも出来て なんか新しくて 

スカっと出来る趣味が欲しかったのです。

 

そしたらちょうどフランスからパラグライダーというものが

入ってきた頃で、「これ、いいかも」で始めました。

 

スクール探しから初めて

入会して、スクールの機体を借りての練習です。

 

最初は機体の立ち上げの練習です。

布と紐で出来ているのでフニャフニャの機体です。

 

これを頭上で、飛んでいる状態に開くのが第一歩。

なかなか出来ないんですよねー

 

         ー筆者ですー

 

それが出来たら

低い丘から飛ぶ練習です。

次にやや高いところから、と言っても

空中で180°旋回とかやるので

そこそこの高さは必要です。

 

その高さで合格できたら

いよいよ、本番で飛び出すところからの練習。

 

私はね、一番低いところでの練習で

落ちて首を痛めてしまったので、一年くらいお休みしました。

 

それでパラグライダーパイロットの資格が取れたのが

1年後の1990年になったというわけです。

 

 

飛び出すときは、山の上から崖に向かって全速で走ります。

その斜面の形状によっては、

立ち上げただけで浮くこともあるのですが、

私のスクールで使う山は、全力で走らなければ浮きません。

 

馬鹿ですよねー

崖に向かって走って、浮かなければそのまま転がり落ちていくのに。

 

でもね、浮いた瞬間っていうのがすごく気持ちいいんですよ。

頭上の機体に『揚力』と言って、浮く力が働くのですが、

浮くというより、上から吊り上げられる気分です。

 

浮いた瞬間から、耳に聞こえるのは風の音だけになります。

 

最近流行りの河川敷で飛んでるモーターパラグライダーとは違って

風の力だけで飛ぶので、静かなもんです。

 

その静けさと風の音を経験すると

背中でエンジンがブンブン回ってうるさいのは

ちょっと って感じになりますね。

 

私は一時間飛んでると、決まって気持ち悪くなりました。

車酔いのひどいやつです。

何故か一時間なのです、不思議ですよね。

 

       ー筆者です (着陸直前) ー

 

結婚して子供が生まれてからは、

奥さんから「飛ばないで」って言われたので

それからは一度も飛んでませんが、

あの経験は、忘れらません。

 

10年くらいは飛んでましたかね。

 

あの頃の機体は、きっと今と比べると

全然飛ばない機体だったのだろうと思います。

乗るとこも、ベニヤ板にビニールを貼っただけのようなものでしたし

落ちたことを想定した安全な装備なんてありませんでした。

 

スクールの知り合いも、落ちて亡くなりました。

スクールの校長先生は、落ちて車椅子の人になってしまいました。

 

私も落ちましたが、杉の木に引っかかって宙吊りになったおかげで

生きています。

救助隊が来るまで、3時間も宙吊りのままでしたけどね。

 

でも楽しかったなぁ。

 

還暦過ぎた今ではとてもやれませんが、

人生の中で、一番に近いくらいの

素晴らしい経験でした。

 

決して絶対に安全、というわけではないので

お勧めは出来ませんが、

日常とは全くかけ離れた別世界を

多くの方に経験してほしい気持ちは今でも持っています。

 

 

 

 

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