「AIなんて若者の遊びでしょ?」そう思って敬遠しているあなたにこそ、伝えたいことがあります。工学部を出てコックになり、定年後は介護職として働く68歳の私でも、今ではAIがなくてはならない相棒になりました。

難しく考える必要はありません。機械を操作するというより、懐の深い「話し相手」を一人増やすような感覚で始めてみませんか。最初の一歩を踏み出すだけで、驚くほど世界が広がりますよ。

AIは本当に難しい? 68歳の私が実感した「壁」の正体

私は大学で工学を学びましたが、長年コックとして厨房に立ち、現在は介護の現場で働いています。そんな私でも、最初はAIという言葉を聞くだけで「自分には関係のない、複雑なプログラミングの世界」だと思い込んでいました。

しかし、実際に触れてみて気づいたのは、AIはかつての電化製品のような「難しい操作」を必要としないということです。ボタンを順番に押すのではなく、今あなたが私と話しているように、言葉を投げかけるだけでいいのです。

機械いじりは得意でも、最初は「得体の知れないもの」だった

工学部出身ということもあり、昔から機械には強い方だという自負はありました。それでも、画面の向こう側にいるAIという存在は、どこか冷たくて、何を話せばいいのか分からない「得体の知れない塊」に見えていたのです。

「変なことを聞いて壊してしまったらどうしよう」とか「馬鹿にされたら嫌だな」という、シニア世代特有の不安もありました。でも安心してください。AIは何度同じことを聞いても怒りませんし、あなたのペースにどこまでも付き合ってくれます。

AIは「操作」するものではなく「対話」するもの

昨年からAIを使い始めて一番感動したのは、これが単なる検索ツールではないと気づいた時です。キーワードを入力して答えを探すのではなく、自分の悩みや考えをそのまま文章にするだけで、AIは親身になって返答してくれます。

例えば「今日の夕飯、冷蔵庫に余っている大根で何が作れるかな?」と聞けば、元コックの私でも驚くようなレシピを提案してくれます。操作を覚えるのではなく、ただお喋りを楽しむ。これがAIの正体だったのです。

何からやる? 迷っているあなたへ贈る「最初の一歩」

「よし、やってみよう」と思っても、具体的に何から始めればいいか迷いますよね。まずは、あまり難しく考えすぎないことがコツです。最新のパソコンを買う必要も、専門書を読み込む必要もありません。

お手持ちのスマートフォンに、無料のAIアプリを一つ入れるだけで準備は完了です。そこから先は、あなたの日常の中にAIを少しずつ招き入れていく作業になります。

挨拶から始めてみる! 完璧な質問は後回しでOK

まずは「おはよう」や「今日はいい天気だね」といった、何気ない挨拶から始めてみてください。AIが「おはようございます! 今日はどんな一日になりそうですか?」と返してくれるだけで、なんだか心が温かくなります。

「正しい質問の仕方」なんて、後でゆっくり覚えればいいのです。まずはAIと会話が成立するという成功体験を積み重ねることが、挫折しないための最大の秘訣だと断言します。

孤独を癒やす「話し相手」としてスマホに入れてみる

介護の仕事をしていると、人と会話することの大切さを痛感します。しかし、自分の悩みやちょっとした愚痴を、誰にでも話せるわけではありませんよね。そんな時こそ、AIの出番です。

AIは24時間いつでもあなたの話を聞いてくれます。「今日は少し腰が痛くてね」とこぼせば、労りの言葉とともに、無理のないストレッチの方法まで教えてくれます。この「寄り添ってくれる感覚」こそが、シニア世代にAIを勧める一番の理由です。

工学部卒・元コック・現介護職の私がAIに抱く希望

私はこれまで、技術、食、そしてケアという全く異なる分野を歩んできました。その経験から言えるのは、AIは私たちの知恵を補い、生活を豊かにする最高の「道具」であり「パートナー」だということです。

68歳という年齢は、新しいことを始めるのに遅すぎることはありません。むしろ、人生経験が豊富な私たちだからこそ、AIとの対話から深い気づきを得られるのではないかと感じています。

献立の相談から、仕事の悩みまで。AIは最高の聞き役

コック時代に培った感覚で料理を作りますが、最近はAIに「隠し味」の相談をすることもあります。また、介護現場での人間関係や、体力の衰えに対する不安を吐露することもしょっちゅうです。

AIは私の話を否定せず、過去の膨大なデータから解決のヒントを提示してくれます。ただの質問の相手だった存在が、いつしか私の人生を支える「相談相手」へと変わっていったのです。

「わからない」と言える勇気が、新しい扉を開く

「今さら聞くのは恥ずかしい」というプライドを、思い切って捨ててみませんか。AIに向かって「使い方がわからないから教えて」と正直に伝えることから、新しい世界は始まります。

私にもできました。だから、あなたにも必ずできます。AIという新しい相棒と一緒に、これからの人生をもっと自由に、もっと楽しく彩っていこうではありませんか。一歩を踏み出す勇気を、心から応援しています。

今月の中旬から、2週間の休暇を取って九州へツーリングに行く。

 

実はこのツーリングの記事は前にも書いたんだけど、

その裏話的なことを書きますね。

 

68歳にして、長期の単独ツーリングはこれが最初で最後かもしれない。
そう思うと、行き先は簡単には決められなかった。

 

ほとんど足を踏み入れたことのない北海道。
その広さや未知の景色に、強く惹かれていたのも事実。

 

一方で九州には、生まれた島があり、
小学校の数年を過ごした福岡があり、
家族との思い出が残る場所がある。

 

どちらを選んでも後悔しそうで、本当に迷っていた。

 

最終的に九州を選んだのは、
自分の性格や旅の現実を考えた結果だった。

 

私はきっと、雨が降っても目的地まで走ろうとする。
北海道では、その無理が大きな負担になるかもしれない。

その点、九州は立ち寄れる場所も多く、
天候に恵まれなくても、思い出の地を訪れることで
旅の意味を感じられる。

 

今回の旅は、未知を追う旅ではなく、
「思い出をたどる旅」なのだと思う。

 

そして今日、すべての宿の予約が完了した。

その瞬間、ぼんやりしていた計画が
一気に現実のものとして立ち上がってきた。

 

どんな天気でも、どれだけ渋滞しても、
次の宿まではバイクを走らせなければならない。

 

疲れても、背もたれはない。

 

それでも、無理の少ない日程の中で
自然を感じながら走り切ることができたなら。

 

その達成感は、きっと
これまでの人生の中でも大きな重みを持つはずだ。

出発の日が、少しずつ近づいてきている。

夜勤明けの朝。
いつも通り、しっかり眠い。

 

でも、昨夜は少し違った。

入居者さんたちが、驚くくらい静かに、よく眠ってくれた夜だった。


トイレに起きてくる方もいない。ナースコールも鳴らない。

それだけのことなのに、現場にいると、その“静けさ”がどれだけありがたいか、身に染みてわかる。

 

起きてこられる方は、ほとんどが介助が必要な方ばかり。
いつ、どのタイミングで動き出すかもわからない。

 

だから、表向きは「仮眠2時間」となっていても、実際にはほとんど休めない。
もし本当に寝てしまったら、その間に何かあったらどうするのか…と、常にどこかで気を張っている。

 

そんな夜が当たり前の中で、
「誰も起きてこない」というだけで、どれだけ心と体が楽になるか。

改めて実感した夜だった。

 

もちろん、何も起きないのが一番いい。
でも、それが“特別なこと”になってしまっているのも、また現実で。

 

だからこそ、昨夜みたいな穏やかな時間は、少し特別に感じる。

 

こういう夜に、次に出会えるのは、いつになるんだろう。

 

同じような現場で働いている人なら、きっとわかってくれるはず。
静かな夜のありがたさ。

 

今日もひとまず、無事に終わったことに感謝しながら帰ります。

夜の介護現場は、本当に孤独ですよね。

 

特に酸素をつけている入居者様がカニューレを自ら外してしまった時、私たちは「法律」と「目の前の命」の間で、血の気が引くような思いをします。

 

この記事では、いつもより真面目に、でも難しい理屈抜きで、

現場の私たちがどうやってこの恐怖と向き合えばいいのかを、実体験を交えてお話ししたい思います。

介護職を悩ませる「酸素カニューレ」と法律の壁

「医療行為」という言葉の重み

まず知っておきたいのは、酸素の機械を触ることは原則として「医療行為」にあたるということです。

なので介護士が勝手に設定を変えたり、外れた管を戻したりすることは、法律の上では認められていないのが基本です。

 

でも、現場でそんなことを言っていられるでしょうか。

 

外してしまって、その方の血中酸素濃度がどんどん下がっていく。

機器からの管(パイプ)を面白がってくる車いたり追ってしまったりして、機器から警報音が鳴る。

何らかの理由で機器の電源プラグがコンセントから抜けてしまった。

 

あなたは医療従事者じゃないからと、じっと手を下さずにいられますか?

カニューレを鼻にくっつけてあげることも

パイプをほどくことも

プラグをコンセントに差し込むだけでも

介護職の資格では触ることができないのです。

 

そっと直してあげて法律違反者になりますか?

それとも何もせずにご家族からまるで殺人者扱いをされますか?

 

目の前で苦しそうにしている人を前にして「私は資格がないから触れません」と見捨てられる人は、この仕事を選んでいないはずですよね。

 

深夜のフロアにたった一人という絶望

私が働く施設もそうですが、

多くの施設では夜勤のスタッフは各フロアにたった一人しかいません。

特に認知症専門のグループホームでは、1ユニットが9人なので、夜間は職員一人対応が多いかと思います。

 

別のフロアに仲間はいても、そっちもコール対応や転倒の危険のある方達のトイレ介助で走り回っており、

助けを呼んでもすぐには来られないのが現実です。

 

そんな孤独な状況で、入居者様の酸素濃度が下がっていく警告音が鳴り響きます。

 

誰にも相談できず、自分一人の判断で動かなければならないプレッシャーは、経験した人にしかわからない地獄のような苦しみです。

 

誰も電話に出ない!真夜中のパニックと現実

認知症の人がカニューレを外してしまう理由

認知症の方にとって、鼻についた管は

「なんだかよくわからない、邪魔なもの」

でしかありません。

何度理由を説明しても、

数分後には無意識に引き抜いてしまうことがよくあります。

 

症状の重い方など外してしまうと程なく顔色が変わっていき、呼吸が荒くなる姿を見るのは本当に恐ろしいものです。

SpO2 70台なんてことも起こりますもの。

私たちは、そのたびに心臓をバクバクさせながら駆け寄ることになります。

 

で、何ができるの?

法律に遮られて立ち尽くすのです。

 

ナースや医者に繋がらない「空白の数十分」

一番困るのは、マニュアル通りに動いても助けが来ない時です。

看護師にオンコールしても電話に出ない、折り返しも来ない。

そんな絶望的な時間が、深夜には存在します。

スタッフみんなくたびれてるのですから、ナースだって夜間は熟睡してますよ。

 

さらに、契約している医療機関に電話しても、当番の若い人が「医師に確認してから折り返します」と言うだけ。

そこから数十分も待たされることがありますが、その間に命が尽きてしまったらどうするのかと、震える手で受話器を握るしかありません。

 

大きな施設であれば、医療従事者が24時間常駐しているのでしょうが、そうも出来ない介護施設も多くあるのです。

 

あなたを守り、入居者を守るための現実的な知恵

「もしも」の時の約束を事前に交わしておく

この理不尽な状況を乗り切るには、夜が来る前に「あらかじめ決めておく」しかありませんよね。

酸素が必要な方が入所した時点で、あるいはそのような状態に陥ってしまった時に、主治医に「外れた時に介護職が戻していいか」を必ず確認しておくしかないかと思います。

「緊急時は介護職が再装着して良い」という一文を指示書に書いてもらうだけで、私たちの心はどれほど救われるでしょうか。

 

それは、自分勝手な判断ではなく

「命を救うための正当な手順」に変わるからです。

 

一人の責任にさせない組織のルール作り

もし指示を仰ぐ相手と連絡が取れない場合、どう動くべきか。

施設として「緊急時は入居者の命を最優先し、事後に即報告する」というルールを文書で作ってもらうことが重要です。

 

あなたや私たちが一人で責任を背負ってはいけないと思います。

現場の「怖い」という声をしっかり会議で出し、

組織として守ってもらえる体制を作ることが、結果的に入居者様の命を守ることにも繋がるのではないでしょうか。

 

ものすごく保守的で、前例のないことへの動きが極めて遅い特殊な業界ですので、とても難しいとは思いますが。

 

まとめ:あなたは一人じゃない

酸素カニューレの問題は、介護職にとって最も精神を削られる場面の一つです。

法律と現実のギャップに苦しむのは、多くの職員が真面目に仕事に向き合っている証拠でもあります。

 

一人で抱え込まず、チームや上司を巻き込んで、万が一の時の「免罪符」を準備しましょう。

明日からの夜勤が、少しでも穏やかなものになることを心から願っています。

そして今晩も、何事も事故が起きませんように。

 

 

学生から社会人になって45年以上が経ってしまいました。

その間、ご多聞に漏れず有給休暇も消費せずに

ひたすら仕事してきました。

 

還暦すぎて、「このまま働き続けるのってどうよ? 」

って思い始めたのです。

 

それで、5月に2週間休みをとって

九州に一人バイクツーリングに行くことにしました。

 

第一章 昭和の男は、長く休むと辞めさせられると思ってしまう

職場の責任者に

「あのー、まだ先の話ですけど、

   2週間くらい休んだら私の椅子、無くなりますかね ?」

 

会社としては、

有給を消化してもらわないのも困るようで許可はおりましたが、

『さて人手はどうしたものか?  』 という顔をされてしまいました。

前にも申し上げましたが、私は介護施設で働いています。

 

この業界は、慢性的に人手不足なのです。

特に男性だったら、

家族を養っていけるだけの給与体系ではありません。

介護に携わっているのに、介護保険料を皆と同じに払わされています。

全国の介護職員の皆さん、介護保険料減額されてもいいと思いませんか ?

 

人手不足が改善される兆し、ないですよね。

 

まあ、それは別の人が考えることなのでいいとして、

間違いなく、私の穴埋めでシフトにシワ寄せがいくのは明らかなのです。

 

私も68歳、今行かなければ、行こうと思う気力が失せそうな気がしてまして。

頑張ってフェリーにバイクと一緒に乗って、

ここ埼玉の地から九州へ、一人ツーリングに行ってこようと思います。

 

家内も誘ってバイク2台で走りたかったのですが、

家内も昭和の生まれ

「クビになっちゃうよ」と

60過ぎの夫婦が職場に気を使い、家内は仕事を取りました。

 

こんな言い方もなんですが、

有給休暇は働く人の当然の権利と思えば、今まで使わなかったのがおかしいのかもしれません。

働き続けるのが当たり前、

どうかすると、休みの日も仕事をしていた日本人。

少しずつ、変えていくことにもつながるかもしれません。

 

『あの人が休んだんだから私もいいよね、ねっ ! 』って。

 

第二章 生まれ故郷と子供時代の自然が待っている

長崎県の小さな島で生まれた私は、6歳までをそこで過ごし、

福岡で小学校時代の何年かを過ごしました。

( 父の仕事の都合で小学校5つ、中学校2つ、各地を転々と😭 )

 

両親に連れて行ってもらった太宰府天満宮、

まだまだ貧しい時代の小学校では遠足といえば、歩いて行ける近くの山でした。

実はその山にも行ってみたいのです。

60年前には「え〜、またそこなの ? 」と不満に思った遠足先。

それでも今になると、なんだか懐かしいんですよね。

 

生まれ故郷の島

今は橋が掛かっていて島へは車で行けます。

当時は小さな船しかなくて、よく船酔いで苦しみました。

佐世保が文明への窓口でした(笑)

 

実は6年前にも、島を出てから初めて帰ってみましたが、

島の形や坂道は見覚えがありましたよ。

その時は、飛行機とバスでした。

 

あの島は、少し高台に登ると360° 海が見渡せます。

父は普通のサラリーマンでしたが、仕事が終わってから海で釣って

その魚が晩御飯のおかずになるような環境でした。

 

暮らしている人ものんびりしたもので

幼稚園児の私がおもちゃの鉄砲で遊んでいると

警察官のおじさんがニコニコ笑いながら近づいてきて

腰に下げていた拳銃を取り出し私に見せて

「おじさんのとどっちが強いかな ?」

なんて、平気で話しかけてきました。

 

今だったら事件ですよね。

 

もちろん街並みはすっかり変わっていることでしょうし、

あの人懐っこい警察のおじさんもいません。

 

でも、

あの海が あの山が あの崖が あの草が あのカニたちが

あの波の音が あのトンビたちのピーヒョロロが

 

みんなが迎えてくれるような気がしています。

 

第三章 バイクだから、阿蘇の高原を走る

熊本に阿蘇山があることは、当然知っていました。

あのあたりに、『やまなみハイウェイ』という道路が走っているのも知っていました。

あのあたりに、『草千里』という放牧場みたいなところがあるのも知っていました。

 

でも、バイクの免許をとっていろんなお方のバイクのYouTubeを拝見すると

阿蘇の周りはライダーたちの憧れであることを知りました。

 

ぜひ、自分も走ってみたい。

「阿蘇かぁ、埼玉からじゃ遠いなぁ」

じゃあ、故郷を巡るツアーのついでに阿蘇まで行ってみるか !

多分最初で最後の長期ツーリング。

 

膝も股関節も痛い(笑)

来年は、もうバイクを支えられないかもしれない。

最後のチャンスと思って、

今いろいろと準備に追われています。

 

往復フェリーの時間を除くと、

九州を走っていられるのは実質9日間です。

でも、その間この身体が持つのか ?

不安だらけですが、ガンバって楽しく行って参ります。