リブログ記事”阿彌陀仏の今現在説法”
九八さん毎日2回のブログ、縁覚、声聞会を続けて下さり本当にありがとうございます。仏縁のある皆さまと共に、九八さんが続けて下さる限り、声聞し続けます。極まりなく、果てなくよろしくお願いします。小さな頃から目立つこともなく、友達との小さなグループでさえ、いつも人の後を付いていて、特にやりたいことも、夢もなく、でも、何かしないとイケナイという思いだけが常にまとわりついていて、何をしたら良いのかも分からず、手当たり次第に色々とやっては彷徨い続けて、どれも中途半端で、、、、今朝の蜜のブログに縁して、改めて本当にこの仏縁に出会えて、本当に本当に生まれて来て良かったと、強く思えました。本当にありがとうございます。仏縁に、仏恩に、深く感謝申し上げます。仏恩報謝の南无阿彌陀仏南无阿彌陀仏南无阿彌陀仏南无阿彌陀仏"""世間虚仮・唯仏是真(せけんこけ・ゆいぶつぜしん)聖徳太子が仰せに成った言葉です。世間とは虚仮であり、総てが戯言、絵空事、一つも真実が無い世界である。是唯一、阿彌陀仏だけが真実である。"""奇しくも、九八さんに出会う前にいた宗教団体では、聖徳太子と秦河勝が編纂した書物に基づいての教えを学んでいた訳ですが、その内容は、全く「世間虚仮・唯仏是真」にカスリもしないほど、人間的な欲に歪められたモノでした。何故かふと聖徳太子の17条の憲法が気になり、良く読んでみたら、「和を以て尊しなし、忤うこと無きを宗とせよ」の後に更に文が続いていて、一条、二条、現代語訳にはないけれど、自ずと阿彌陀仏に帰命することが書かれていることが頷ける、、、、そして、悟れるモノは少ないけれど、決して成し遂げられないことではない。と説かれていることも、本当にありがたいです。聖徳太子「17条の憲法」一に曰く、和を以て尊しなし、忤うこと無きを宗とせよ。人皆党あり。亦達れる者少なし。是を以て、或いは君父に順わず。乍違う隣里。然、上和ぎ下睦びて、事を論うに諧(かな)うときは、事理自ら通る。何事か成らざらん。大いなる働きを尊しとし、忤(さから)うこと無きを宗とせよ。人は皆、仲間を作り群れる。やはり悟れるモノは少ない。是故に、師にも従わず、親しい人、近隣の人と対立する。総てにおいて自他が無いことが明らかになれば、法のありように、唯一、絶対の真理に自ずと導かれる。このことは、決して成し遂げられないことではない。二に曰く、篤く三宝を敬へ。三宝とは、阿彌陀仏と本願、その教え(あなた自身の法のありよう)と、それを伝える人(善知識)のことであり、その三宝を尊び、仏恩に報謝する。仏恩報謝の南无阿彌陀仏南无阿彌陀仏南无阿彌陀仏南无阿彌陀仏大いなる働きによって生じる縁。その縁に忤(さから)うことなき。如何に、大いなる働き、縁に忤って、忤って、自力に頼ってきたのか、、、、人の言うことを聞かず、自らの見解が正しく、その自らの見解を以て、頑なに守ろうとして不自由と成り、苦しみと成り、、、、そして、それだけでは済まず、その見解をもって、人を見下して、正そうとする。それが、その人の為であると思い、、、これをどれほどやり続けて来たのか、、、本当にどうしようもない酷い愚かなありようを照見され、恐ろしさと申し訳なさと、気づかせていただいた感謝のありがたい喜びの泥水の涙が溢れました、、、、 ただ声聞しただけなのに、、、こうして、阿彌陀の今現在説法が観れるように成っていることが、本当にありがたく、不可思議であり、これほど、嬉しいことはありません。✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨弥陀の四十八願 第10番私が仏になる時、私の国の天人や人々が色々と思いを図らい、その身に執着することがあるようなら、私は決してさとりを開きません✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨車の助手席で、ブログを書きながら、画像を何か載せたいな!と思って前を見たら、、、【一切の図利ごと、執着から離れる】自己を認めて貰いたい、褒められたい、感謝されたい、、、、ある縁でその思いがフッと湧き、これほどまでに自己に執着していたのか、自己への執着心に気づかせていただき、それと同時に人からどう思われてるのか?一瞬にして怖くなり、どうしたらいいのか?となり、、、、でも、一瞬思えた思いを攀じ登らないことで、自己への執着心にも、疑心暗鬼のありようにも、攀縁することの恐ろしさにも気づかせていただけ、、、、何度も何度も気づかせていただくことで、不純な濁りがどんどん取り除かれて往く。不可思議不可思議不可思議なり。本当に一切無駄なこと、不要なことなど無い。思えるという大いなる活動の凄さ、本当に全部受けっぱなしの完璧な活動の凄さを改めて実感しました。そして、執着してることに気づき、その執着を手放して、そのままにすることなく、そのままにして、あー本当に気づけて良かった!ありがたい。その一念の後に、適当な意味を付けて思考で納得して、納めていることにも気づき、ただただ自身の思いが一人であーだこーだと、言い訳、説明しているだけだった、、、、思えたことにも、出来事にも、何の意味も、こうだと決めつけることも、捉えられることも、納めることも、何もない。思考とは一切関係ない、一秒間に100万刹那の大活動、、、、本当に其のことが其のまま其の通りである。一切の価値判断がない。事実が事実のままである。"""無始より以来この世まで、哀れみ賜える阿彌陀如来を、、、、真実大悲の仏の王と認めて帰命して、総てをお任せして名号を称えるのです"""このことがどんどんハッキリと深まって往く、、、、本当にただ弥陀の声聞をし続けてるだけなのに、、、、本当にありがたいです。仏恩報謝の南无阿彌陀仏南无阿彌陀仏南无阿彌陀仏南无阿彌陀仏あなかしこあなかしこあなかしこ