この頃思う事は、向こうから気さくに、話しかけてくれる物らしき何かは、見知らぬ他人やものばかりだ。例えば、LINE等に登録した友人には、そんな人は誰もいない。たぶん私が冴えない孤独な老人だからであろう。友人であってもらいたいと言う思い込みのイメージだけが先行してきて、彼らを友人としてきていただけなのだろう。

私の五感の感覚として、人として親しく感じるのは接客をする店員さんとか、クリニックの人々辺りだ。特に会話らしい事は無くても、ジムでの人々の気配や道場での稽古での何気ないやりとり、また、散策中、時折挨拶してくれる散策している人や子供らも。それから人では無いが、散策の時に感ずる、一歩一歩の感覚、流れる風、川のせせらぎ、鳥の鳴き声(子供の歓声も含む)また食事等での一つ一つの味わいや匂いや咀嚼音、またそれらの見栄え。また、私一人でも、皮膚で感じる多種多様な触感、スーパー銭湯やジムや自宅でのシャワーや浴そうにつかる時間も。一月に一度の散髪や墓参り。

以前なら友人らしきと妄想していた連中の無愛想さに腹が立っていたが、今ではそんな私の五感に基づかない(友人)妄想よりも、様々なものから五感に感じられる感覚が私の本当に親しきものだと、思えている。