もう1ヶ月以上経ったんですね。
11月20日に「オシム元監督追悼試合」がありました。
ジェフが一番が輝いていた時代を作った監督。
個人的なそのような印象です。
ただ、当日私は東北に住む高校生。
このときのジェフの試合を生で観たことは1度もありません。
さらに、自分自身がプレーヤーだったことと、海外サッカー(チームだとACミラン、選手だとシェフチェンコ)の方に興味を引っ張られていたときなので、ジェフに対する関心が一番薄いときだったように思います。
ただ、注目を集めるサッカーをしていたのは知っていたし、チームが勝つようなり、それが偶然でもなく実力、スポーツニュースでも取り上げられはじめていたので、東北の地でもこれまでに比べて情報を得る機会は増えていたのも覚えてます。
関心が薄いながらも、結果に一喜一憂していました。
いずれリーグ優勝出来るのではないか。
そんな気にもさせてくれました。
しかし、2006年。
ドイツワールドカップ終了後に日本代表監督に就任。
日本サッカー協会が契約中のクラブチームの監督を引き抜く。
いや、強奪。
しかも、発表のしかたがアレ。
ひとつのクラブを犠牲にしてでも代表チームを強くしたいのか…。
それが協会のやることか。
そして、それをジェフ側は拒否しなかったのか。
チームの前身、古河電工のOBである協会会長からの圧力に屈したのか。
そう思ったのも覚えてます。
以降のジェフは…ご覧の通り。
理想がオシムさんの時代だとすれば、現実は年を追うごとに離れる一方です。
ジェフの“礎”を築いたオシムさんでしたが、その“礎”が偉大すぎて、目指すところが“そこ”になってしまいその後苦しんでいる。
これを機に、といっては誤解・語弊があるかもしれませんが、
「そういう時代もあったんだ。」
そして、
「それはもう終わったことだ。」
ということをちゃんと理解し、キチンと線を引き、
新たなジェフをこれから作る。
そういう意識のきっかけにしないといけないかもしれませんね。
オシムさんの作り上げたチーム、アマル監督を解任し、「脱オシム」を掲げてしまった時点でもう終わりました。
当時を知る人たちにとっての、
「強かったあの頃に戻る」
のではなく、
「新しい時代を作る」
という気概をもってジェフというクラブを作り上げていかなければならない。
そう思います。