見る目を養うことは大切だ
そう思ってる。
そう言われてきた。

美しさも、何をいいと思うかも
人それぞれ

私が美しいと思うものに出会った時
魂が震えるような感覚になる。

そう思えるものを見てしまったからこそ
他のものがすごくどうでもいいようなものに見えてしまう。

美しいと感じる作品をみて
なぜそう感じるのか
考える
細部まで見て考察する
それを自分にも落としこめるようにするために

そうでない作品は
私ならどうするかを考える
もっとここをこうすればいいんじゃないか
私ならこのポイントをこう変えるだろう
ただ見るだけでなく
そう考えながら見るということが
目を養うことだと思ってた

ただ、私がそのモノ作りに関わる同職であれば同じモノをあなたができるの?
人の文句ばっかりであなたはそんなにできる人なの?
当然、そうなるのだろう

そこも思うだけで
私ならこうする
あれはここが美しくないと思う
それを口にしてしまうことは
ただ、人のあら探しをする、言うだけの人になってしまうんだなと改めて気づく
気づくことに遅すぎけど。

私は自分が完璧ではないのに
相手に完璧を求めてしまう勝手な人間だ
無意識に人を採点してしまってるのだろう


同業同士なら
言ってもいいこともあるだろう
これを見てどう思うか
お互い自分ならどうするか語り合う
そこを目指してがんばっていこうと熱く語ることもある

でも、私は言える立場じゃないんで…
大抵、人はそう言う
立場関係あるの?あなたの技術レベルと、他のモノを見たときにいいと思うか悪いと思うか感じることは、比例しないといけないの?
それを見てどう思うか批評するのは悪いことなの?
自分がまだそこまでもたどり着けてなくても
それをいいと思うか、自分ならどうするか
少なくても思うことはあるでしょう

典型的な謙遜の言葉
批判を恐れて発言を控えてるだけにしか聞こえない

心の中ではどう思ってるかわからない
ただその謙遜する発言の方が
万人受けするんだろう

私はそういうことを言う人があまり好きではない
言える立場でないから、
そこの技術レベルにまだ達してないから
だから変だと思うことも言わないし
その技術レベルにたどり着いてることだけで
そのモノを全て素晴らしいと思えるの?
違うでしょう?

誰にも完璧はなく
失敗なんてヤマほどする
そこをつついて文句を言いたいわけじゃないんだ、私。

これは全て私だけの考え。

でも
偉そうに
自分はどれだけの人間なの
そう思わせるならば
心で思うだけに留めておかなければならない
世間でいうそんな当たり前のことに気づけてない私

何かを見ても心に秘めるパッションだけで
発言は控えて寡黙にならなければいけないのか
できるのかな、私に。
今まで殆ど何でも思ったことを口にして来た私に。
でもならないとだめなんだろう
でもできないからそんなやりとりの場面に出くわさないために距離を持つ方法しか今の私には思い付かない

でも口が腐っても
私は言える立場じゃないんで
なんて言葉は言えない

自分が微塵も関わることのないことであれば
偉そうには聞こえないんだろう
例えば飲食店に食べに行く
まずかった
盛り付けが汚かった
その文句は
自分が関わることと全く別世界のことであるから
許されるの?
そんな文句言うなら、あなたはどれだけすごいおいしく盛り付けの素晴らしい料理を提供できるの?とはならないでしょう?
その文句を発した人が全く料理ができない人であっても
あなたはどれだけ自分ができる気でいるのなんて思わないでしょう?
何が違うの?
そのことに少しでも携わる身なら偉そうに聞こえて、携わってなく1ユーザーなら言いたい放題でもOKなの?
意味わかんない


何を見ても
誰かがどう思うかを話していても
私は黙っておく訓練をしないといけないのかもしれない

だからお願い
私にコレ見てどう思う?なんて聞かないで
どう思うか聞かれたことに
正直に答えただけで
それで相手を不快にさせたいわけじゃないんだ
これから聞かれても
別にいいんじゃないのって
そんな適当な返事しかできなくなるから

それで私に聞いても無難な答えしか返してくれないと思うのならば
最初から私には聞かないでおこうと
そう距離をあけてもらった方がいい


自分勝手で社会不適合者の私には
遠ざけるか近すぎて全てを言ってしまうか
そのどちらかしかできないから







   
やっと
多分少しだけ

今になって知ったこと

本当のことなんて言わなくていい

声が出るのに
話ができるのに
誰も本音でなんて話してない

言っちゃだめなんだ

相手の言葉をそのまま
素直に受け取ったらだめなんだ
本音で話してくれてると
それを期待することすら
間違っている
私のエゴだった


きっと本当のことを
本音で話しても
ぶつけあえなければ意味がない

相手が本音かどうかなんて
私にはわかるすべもない

それならば
適当でいい

ただ、うんうんと頷いておけばいい
中身のない会話でいい

私が思ってることが正論なわけではない
ただ私はこう思うんだよ
こんなこと考えてるんだよ
柔らかく言うとそういうこと
それを知ってほしくて
本音を隠せなくて
何でも言って敵をたくさん作ってしまうのならば
中身のない会話で当たり障りなく
思ってることなんて言わずに
あの人適当だよねって言われてる方が
敵は少なくなるんじゃないかな


それに何の意味があるのか
そんな関係で付き合っていくことに何の価値があるのか
私には全くわからない

そんなものいらない

でも、きっと
生きていく過程で円満に過ごすことを望むなら
そうすべきなのだろう

偏った極端な考えしか持ててない私には
その中間がわからない

今まで
信頼できる人と深くつながる関係を求めてた。
でも、友達だと思うのも信頼できると思うのも
私だけが勝手に思っていたこと。
私の本当を知ってくれて付き合ってくれてるから安心して何でも発言できると
勝手に私が甘えて勘違いしていただけ

うわべの付き合いから、産まれるものは何なんだろう
そんなもの、小さいときから見飽きてる
周りにはいい顔して
私を殴る最中にかかってきた電話に
さっきまでの罵声は幻かと疑うくらいの愛想のいい対応
電話が終わるとまた始まる心身の暴力

知らない人から見れば立派にいろんな人と愛想よく付き合える人
私からしたら、裏表のすごい
いろんな意味で恐ろしい人。

生きていくって、何だろう
人とうまく関わりながら生きるって何だろう


極力、人との深い関係を、望まない
期待しない。
わかってもらおうなんて思わない
私の一部でも認めてほしいなんて、思わない

諦めながら生きるのではなく
何にも期待や、自分の希望を求めない

なるべく、関わりを持たない
知ってる人が、
私が大切だと思う人が困ってても聞くだけでいい
私がそれについて、何か少しでも解消できるようにと、考えて起こす行動はただのエゴなんだろう

誰にも興味も関心も抱かずにいればいい

街で買い物して、嫌な気分になったとして
それを一緒に怒ったり、気分を変えてくれたりする人が私にいる?
誰かが、ただのグチで言ったことを
真剣に私ができることはしたいと何かするのは
面倒でうざいことだったのかな
そこまで相手はきっと、望んでないのだろう
ただ、適当に聞いてればよかったの?
それで人間関係が成り立つなら簡単なことなのだろう
全てにおいてではないが、私にはそれができない

私は魅力的な人間ではない
誰かに何かを認められたいと思ってた
そんな希望を捨てればいい
そんなことを思うからこそ
魅力的でないのだ、きっと。
私の本当なんて、誰にもわかってもらわなくていい
人それぞれ違う人間であって
交じり合うことはあっても
全てが一致することなんて、まずないと思う。
わかってほしくて、私が紡ぐ言葉が誤解を招き、人から否定されるのであれば
人と最小限にしか関わらなければいい

何のために
そんなことして、生きるんだろう
みんなはどうしてるの?
そこまでそこに執着して拘らずに生きてるの?

私を嘘で固めたうわべだけで評価されるのであれば
それは私自身でなくていいんじゃないのと思う私は変わってるの?
ひねくれてるの?

私はそんな生き方で生きていくことに
意味を見出だせない。
自分から人生を終わらせないなら
できることなら
ただただ早く自然にこの生きてることを終わらせてほしい


何のために
人は言葉を発せられるようになってるのかの
意味さえわからない


人は1人ではもちろん生きれない。
だけど極端すぎて。そしてコミュニケーション能力に著しく問題のある私にはやっぱりいろんな人と共存して生きていくスキルが乏しく
生きていくことに、そして自分に価値を見出だせない

死ぬことと同じくらい
怖いこと
それは生きることだ

正にその通り






あれから
1年

1年前の今日1日
私たちの中で
思い出す人はいたのかな