最近、「創造性」というものについて、気付いたことがあった。
今までは全く新しいものを作り出すことのみが創造性なのだと思い込んでいたが、必ずしもそういう訳ではないということだ。
それを教えてくれたのは二人の人。
一人はスティーブ・ジョブズ、もう一人は安藤忠雄。
スティーブ・ジョブズはあるスピーチでピカソの言葉を引用して「凡人は模倣し、天才は盗む」といった。これは他人が開発したIT技術を利用して、それをうまくプロダクトとして提供するこで成功をおさめた自分自身のことを語っている言葉だ。
また彼はこうもいった。「僕がいま語っているこの言葉さえも、僕が作ったものではない」。
そして安藤忠雄も著書の中で「建築における創造性」についてこう語っている。
「誤解をおそれずに言えば、私は建築においてゼロからの創造、発明とは存在しないものだと考えている。時代と社会、そして人間。さまざまな個性の出会いによって名作は生まれる。重要なのは作り手である主体がそこから何をすくいとり、いかに答えられるかということ。その発見と対話の過程で、自己批評の精神をもって前進していくことこそが、私の考える”創造”だ。」
たしかに安藤忠雄という人自体はキャラが濃いが、その作品をよく見ていくと、既存建物の増築や改修では、もとあった建物はそのまま残し、新しい自分がつくる建築は逆にほとんど地面にうめてしまったりしていることもある。ただ自分だけが主張するのではなく、その土地に降り積もってきた歴史の空気を尊重し、それに寄り添いつつ、新たな時代の息吹を吹き込むような感性が感じられる。
たんに「パクリもオッケー」とかそういう話でなく、人間が他人や社会から影響を受けるのは当り前で、そのうえで自分は、その時、その場所で何を思うのかを表現するのが創造性なのだということ。
人間には共通性があるし、共有している歴史がある。人々のバックボーンに流れる文脈に共通部分が存在するのは当たり前のことだ。逆にそれらを全て否定することは、つまりは人間自体を否定し、自分は宇宙人ですと言っていることと同じことだ。