「まーさはる」
誰も居ない屋上に呼び掛ける。
「おう、凉か」
給水塔の上から銀色が降ってきた。
「ただいま」
【それは恋と呼ぶにはあまりにも日常すぎて】
劉生レイジ
「あ、凉先輩」
屋上からの階段で、くしゃくしゃ髪の後輩に呼び止められた。
「赤也、久しぶり」
「おかえりなさい、凉先輩が居ない間めちゃくちゃ寂しかったんスよ!」
目をキラキラさせて挨拶して来るこの子は本当に可愛い。弟のような存在だ。
「テニスの腕は上げたんだろーね?」
からかってやれば、アタシをテニスコートへ引っ張って行こうとする。
「…あ、赤也ごめん。電話だ」
震える携帯をちらつかせ、アタシは階段下の空き教室に入った。
「…もしもし、凛」
***
電話を終えてテニスコートに向かうと、暑い日差しの中で部員達が切磋琢磨していた。アタシの視線は無意識に銀色を探す。
居た。
木陰で涼んでいる。
「まーさはる」
「りょー」
雅治は、アタシと比呂士にしか聞かせない甘えた声を出した。
「練習、いいの?」
「構わんぜよ…この日差しは俺にはキツすぎるんじゃ」
確かに、雅治の透き通るような肌にとって太陽は天敵だろう。雅治の肌を痛め付ける太陽を憎んだ。
「日焼け止め、塗る?」
アタシが冗談半分で取り出した日焼け止めを、雅治は真顔で受け取って塗り始めた。
「塗るんだぁ…」
日焼け止めのせいで、雅治は一層白くなった。
「凉は塗らんのか?」
「んー、塗って」
何も考えずに夏服の袖を捲った。雅治が息を呑むのが分かった。
「お前さん…それ…」
「あー……沖縄で入れたの。カッコイイでしょ」
二の腕には墨色のハイビスカスが艶やかに咲いている。
刺さる雅治の視線が痛くて、半袖をそっと戻した。
「沖縄で…何かあったんか」
「大切な人が出来た」
「…凉、」
雅治が姿勢を起こしてアタシを見る。何を考えているか分からない澄んだ瞳が、アタシを貫いた。
「俺は」
「仁王くん、こんなとこに居ましたか…ああ、凉くんも」
「比呂士ー!ただいま!久しぶりー」
雅治の視線から逃げるように比呂士に抱き着く。アタシと比呂士は幼馴染みだ。
「おかえりなさい。沖縄はどうでした?」
「……楽しかった」
雅治の顔は、見られなかった。
比呂士は文句を言いながら雅治をコートに連れ戻している。アタシは二人の後ろ姿を見送った。
銀髪が陽に照らされてキラキラと眩しい。憎らしい太陽も、満更でもないようだ。
アタシは少しだけ左袖を捲って、テニスコートを後にした。
「ごめんね、雅治」
***
「凉先輩、今日も来てくれないんスか」
あれからテニスコートには行っていない。赤也だけは寂しがって毎日教室までアタシに会いに来るけど。
「んー…」
返事に困っていると、
「仁王先輩と何かあったんスか」
鋭い指摘が飛んだ。成績は残念なくせに、こういうとこだけ聡いんだから困る。聡いというか、ただ鋭いのか。
「別に。大体アタシは雅治と付き合ってるわけじゃないし」
「えぇー!!!!そうなんスか!?」
やっぱり周りにはそう見えるのか。でもアタシと雅治はそんなんじゃない。
好きじゃないと言ったら嘘になる。だが、恋していると言っても嘘になる。アタシと雅治の関係は嘘ばかり。相手がペテン師だからだろうか。そう考えれば、良く出来た取り合わせだ。アタシは雅治への想いを嘘で塗り固めて生きている。塗り固められたソレは、今や原形を留めていない。どんな感情だったか思い出すことすら出来ない。
「だって、見るからに」
「ふふ、赤也は子供だね」
アタシと雅治は、恋人同士になるにはあまりにも馴れすぎてしまった。馴れ合いはスリルを生まない。だから恋という感情を無効化してしまう。
「じゃあね」
赤也に手を振って、アタシは屋上に向かった。今日は直帰する気分じゃない。
「いい天気」
雅治のベストポジションに寝そべって、曇り空を見上げる。
雅治が好きな天気だから、いい天気。アタシも大概どうかしている。
雅治がアタシを好いてくれているだろうことは察しがついていた。
ちょうど三ヶ月前、家の都合で沖縄行きが決まった時に告白されたような気がする。雅治はああいう性格だから、決してハッキリ物事を言ってくれない。だからアタシはその告白を受け流して、沖縄で弾けるような恋をした。
そして、タトゥーを入れた。
凛への想いではなく、雅治への想いを断ち切るために。
タトゥーを入れたなんて知れたら凛だって怒るだろうし、立海大附属中にも居られなくなる。
そういうことは全部分かっていて、入れた。こうでもしなきゃ、雅治への想いは断ち切れない。
好きになっちゃいけない人を好きになってしまった。とはいえ、雅治への想いが恋なのかどうか、アタシ自身も分かっていないのだけれど。凛への気持ちはハッキリしている。大好き。大切な人。愛してる。じゃあ雅治は?
答えられない。
自問自答する内に、アタシは眠ってしまった。
***
「…あの、仁王くん」
「何じゃ」
微かに声が聞こえる。
屋上に来訪者が現れたようだ。
「好き、なんです…!付き合ってください…!!」
「…おー、構わんぜよ」
アタシは給水塔からバッと飛び降りて女子の頬を引っぱたいて階段を駆け降りて走って走って走って走って走って走って走って走って辿り着いた木陰で崩れ落ちた。
「ばっかやろう」
自嘲の呟きは蝉の声に消されただろうか。
アタシは袖の上からタトゥーを押さえて、大声で泣いた。
涙が枯れるまで、泣き続けた。
テニスコートがよく見える木陰は、雅治のベストポジション。
END


