兄貴。

知っての通り、俺は一人っ子。

小さな時には、兄貴や姉貴がいたらなぁ~と思ってたもんです。
今になると、すっかり自分が「兄貴」と呼ばれる事が多い事に気付きました(苦笑)
親しみから、呼ばれてると勝手に思って嬉しいんですけどね

さて、今日は、俺にとっての「兄貴」の話を書きたいなぁと思っています。
長くなるので、悪しからず…(苦笑)

高校を卒業した俺は、あるホテルに入社する
そこでフロントに配属。
男性先輩は7人いた。年齢は29歳から19歳まで。
今思えば、若いフロントだねよ

29歳が二人いて、主任。
その下に27歳が二人。この当時はこの27歳の二人がフロント引っ張っていたと思う。正反対な二人で、一人は優しくていつも声を掛けてくれて、先輩から教えてくれるタイプ。もう一人は、聞かないと教えれくれなく、冷たい感じ。俺はこの先輩が苦手だった

「これ、こうですよね?」と聞くと…

「自分で考えれ。」
とサラッと一言。

今では自分も部下に言ってますが…(苦笑)

この27歳の二人の共通は酒好きビール

こんな事は良くあった…
出勤してフロントに立つと、先輩はしゃがんでる。
「中村、あとやっといてくれ」
完全に二日酔いです(爆)
当時は、笑えなかったですけどね(笑)

そんな苦手な先輩から、飲んでる店から会社に電話が来て、たまたま目当ての後輩がいなくて、「お前来るか?」と言われたのが一番最初の接点だったのを今でも覚えている。
多分、仕方なく誘ったんだと思い…
その時、俺は、【俺でいいのかな】って思いながら会社から、先輩のいるスナックへ行った。
そのスナックが、今でもLIVEをやっている「RONIN」
オープンしたばかりのRONINでしたブーケ1

それをきっかけに、良く飲みに連れてって貰ったり、自宅で奥さんの手料理を御馳走になったりと可愛がって貰った。
その先輩は俺が入社して2年で違うホテルに転職していった。
当時は、バブリーな時期で、ホテルの建設ラッシュ。
高級プチホテルが沢山建った時代だった。
違うホテルに行った先輩だけど、そのホテルに遊びに行ったり、飲みに行ったりと相変わらず付き合って貰っていた。

俺が、デザイナーを目指していた時に、また、先輩は新規オープンのホテルのオープニングスタッフで参加。
一緒にやろうと誘われたが、ホテルを辞めようと思っていたので、泣く泣く断った。

今思うと、俺が先輩と一緒に働く最後のチャンスだった。

その後、先輩はそのホテルの支配人となる 。
俺はデザイナーを諦めて、ホテル業界に復帰したのも、先輩に紹介して貰ったホテル。

そんな、離れても気にかけてくれる先輩には、社会人とは何ぞや!を教わった気がする。
冒頭で書いた通りに、彼は懇々を語る訳ではなく、さらっと伝える。
例えば、「社会人になったら、後輩にだって、[さん]付けするもんだ」と言っていた。会社では、いつも「中村さん」だった。これは自宅に遊びに行った時も、奥さんも「中村さん」と言う。勿論、飲みに行った時は呼び捨てだけどね
後は、ホテルの営業とは…。部下としてどう動くか。とか色々教わった。

しかし、先輩本人は、抱え込むタイプ。
上司と合わずに、結果的に、精神的に病むようになり、奥さんとも離婚。オープンから勤め上げたホテルも退職した。

それから、酒びたりの生活。
一度、田舎に帰ったが、札幌でホテルの支配人話があり、業界復帰。

しかし、その後、行方不明となる。

それから、何年経っただろうか。
先輩と同郷の知人から、その先輩が病院に入院していると教えてもらう。どうも、その知人は実家から話を聞いたらしい。
札幌の病院だと言うので、一人で行ってみる事にした。

平成15年の12月。
病室に入り、奥のベッドを覗くと、先輩がいた。

気づいていない先輩に
「やっと、見つけた!」



「お!お前…、なんでわかった?」
とびっくりした顔で照れ笑い。

これが再会の会話だった。

実は先輩は「ALS」と言う難病にかっていた。
「筋委縮性側硬化症」
読んで字の如くです。
筋肉が委縮し、動かなくなる病気。1年に10万人に1人の難病。

そう、余命数か月…。

俺が会った時には手足はほとんど動かない状態でした。
先輩は元気を装い、「鼻の頭に汗かいても、拭けないのが一番きついわ」と笑って言ってくれた。
相変わらずで、医者に内緒でビール飲んで怒られたとか言ってる始末(爆)

「病気の事は、誰にも言わないでくれな。だって、お前、こんな俺を見たって、なんて言っていいかわからないだろ!」

そう言われたので、先輩が最後のホテルで一番可愛がっていた部下にだけ連絡をとり、直接会って、事情を話した。

その後も月に一度はお見舞いに行き、馬鹿話をしたり、昔話をしたりした。
俺が、ホテルの交流会をずっと続けている事を話すと、「あのお前が…、たいしたもんだな。お前も変わったな」

あの時は、ぶっきらぼうに余り褒めてくれなかったので、年月が経ちこうやって、 先輩に褒めらるのが凄く嬉しかった。何だか認めて貰ったようで…本当に嬉しかった。

4月のお見舞いでも、先輩は友人と外泊をして、飲んだくれた話をしてくれていた。


当時の俺は、高卒で入社し、先輩と出会ったホテルに再入社して働いていた

出戻って6年働いていた。しかし、なかなか思い通りにいかず、平成16年5月、俺は退職願いを出した。


そして、先輩にその報告をしに、5月15日に病院に行った。
5月にしては蒸し暑い日で、病室に入っても更に蒸し暑かった。

「調子どうですか?」


「中村ぁ…、俺… もう駄目だわ… 」



お見舞いに来て以来、初めて弱音を聞いた。


以前、先輩が「ALS」の話をしてくれた時に、「最後は呼吸する筋肉が動かなくなるんだよ」って言ったいたのを思い出した。
呼吸が苦しそうだった。

俺は精一杯、励ました。

「何言ってんですか!しっかりして下さいよ!」



「おう…」



本当に呼吸が苦しそうなので…

「苦しそうなんで、又、来ますね!」





「せっかく来てくれたのに悪いな…、  
中村ぁ…、わるい、暑いから、窓少し開けてくれるか…」





窓を少しだけ開けて、病室を後にした。






それが、最後だった。

平成16年5月17日永眠。享年43歳。


辞める話出来ずに…。


そう、俺の今の歳。
今日で、もう9年経つんだなぁ。


生前に、先輩が大事にしているネクタイピンを俺にくれた事があった。
今は仕事で大事な時には、必ず付けて行く

今の社会人としての俺。
ホテルマンとしての俺。

間違えなく、あなたのお陰です。
そして、間違えなく、あなたの後継者です。
飲んだくれで、いつまでも少年の心のあなたにはなれないけど(笑)

あなたは身を持って、生き様を俺に教えてくれました。

有難う。



その命日の今日、あなたが俺と一緒に働かないかと言ってくれたホテルの面接に行って来ました。
20年越しですね。

受かるかどうかはわかりませんが、どうであれ、この日にここの面接に訪れるなんて『縁』だと思って、自然体で望めましたよ。
もちろん、あなたがくれたネクタイピンをして☆彡



今日、実家の仏壇に供えたビール。

第三のビールですんません(笑)

photo:01



兄貴、そっちでも飲んでますか?

iPhoneからの投稿
そうな時は誰にでもある。

ただ、なんとなくやっている。
ただ、なんとなく聞いている。

なんて事。


先日、親父の月一回の通院日。
珍しく朝起きたら腰が痛いと言って、診て貰ったが、骨には異常なし。
主治医に、『運動してるかい?歩いたりしてる?』と聞かれ、親父は『してないです。起きてれば卑しくて酒飲んじゃうから、寝てます(苦笑)』
主治医も苦笑いしながら、『趣味とかないの?デイサービスとか行ったら?』
親父は、すぐさま首を振りながら、『嫌です。趣味は、もう卒業しました。ただ、なんとなく生きてるだけだから…(苦笑)』

それには、主治医も『わかった(苦笑)』と返すのが精一杯。


息子としては、居た堪れない言葉で…辛かった。


妻を突然亡くし、仕事一筋で生きてきて、退職した昭和初期の男は、何を生き甲斐に生きているのか、その一人息子として、いったい何が出来るのか…

いつも、虚しい気持ちになり、自分を責め続ける。

子供は、親に何をしてあげられるんだろうね。

母は、俺と親父に何を残して、逝ったのか。


周期的に、母さんに会いたくなる。
無償に、会いたくなる。

そして、母さんを救えなかったあの夜の事、母さんに最後に会ったあの日を思い出して、切なく、苦しくなる。


ただ、なんとなく…


心のバランスを取るのにこの文章を書いている(苦笑)🍀🍀🍀




iPhoneからの投稿