ロシア軍艦 攻撃受けまた沈没か?フリゲート艦「アドミラル・マカロフ」とマカロフ提督 | 戦車兵のブログ

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アドミラル・グリゴロヴィチ級フリゲート艦は、ロシア海軍のフリゲートの艦級。

 

その「アドミラル・マカロフ」がウクライナに撃沈されたようだ。

 

対艦ミサイルかな?ロシア海軍は大きな痛手だね。

 

艦艇を失うのはかなりの損失だからね。

 

最早「特別軍事作戦」なんて事変みたいに「戦争じゃないよ」なんて言い訳できないね。

 

将官クラスの戦死も多いし、戦車も失い軍艦も次々撃沈されたら「戦争じゃない」なんて言ってられないよ。

 

以下FNNプライムオンラインより転載

 

 

ロシア海軍の軍艦が、ウクライナ側の攻撃で沈没した可能性があることがわかった。

 

ウクライナメディアによると、沈没したのは、ロシア軍のフリゲート艦「アドミラル・マカロフ」で、対艦ミサイルで攻撃されたとしている。

 

4月もロシア軍の巡洋艦「モスクワ」が沈没し、ウクライナ側は、ミサイル攻撃を行ったと発表していた。

 

 

                                   (FNNプライムオンライン)

 

 

リゲート艦「アドミラル・マカロフ」は2017年に就役した比較的新しい艦艇だ。

 

最新鋭に近い艦艇を失ったのは衝撃的な話だろうね。

 

それにしても艦名のアドミラル・マカロフって聞いて直ぐにマカロフ提督のことか?と思った。

 

日本とも関係のある人物だ。

 

 

ステパン・オーシポヴィチ・マカロフ(1848年12月27日(グレゴリオ暦1849年1月8日) - ユリウス暦1904年3月31日(グレゴリオ暦4月13日))は、ロシア帝国の海軍軍人、海軍中将、海洋学者。

 

ロシア帝国科学アカデミー会員。

 

海洋学に造詣の深い名将であったが、日露戦争において戦死した。

 

マカロフは、ロシア海軍における水雷艇運用・戦術論に関する第一人者のひとりである。

 

また海軍戦術論の大家としても世界的に知られ、著書である『海軍戦術論』は世界各国で翻訳され、邦訳された物は東郷平八郎や秋山真之のほか日本海軍の将兵が必ず精読するような名著であり、東郷は自ら筆写したものを戦艦三笠の私室に備えていたという。

 

1890年、少将に昇進し、バルト艦隊最年少の提督であった。

 

 

1904年、日露戦争が起こる。

 

第四次旅順攻撃で日本海軍の奇襲を許しその責任を追及されて解任されたオスカル・スタルク司令長官の後任として、マカロフは3月8日にロシア太平洋艦隊司令長官に就任した。

 

攻撃精神に富むとともに計画性・最先端技術への理解が深くロシア海軍屈指の名将との評価も高いマカロフの着任は、その相手となる日本の連合艦隊にとっては非常な脅威であり、太平洋艦隊の士気も大いに上がった。

 

旅順着任直後に日本海軍による第四次旅順攻撃を受けるが、マカロフは自軍の水雷艇ステレグーシチイが猛攻を受けていると知り、自ら巡洋艦ノーウィックに座乗して出撃した。

 

結局ステレグーシチイは救えなかったが、このようなマカロフの常に陣頭指揮を行う行動や飾らない人柄は部下将兵に好意的に受け入れられ、「マカロフ爺さん」と呼ばれ親しまれるようになっていく。

 

 

マカロフは士気が低下していた将兵の意識改善や体制改革に取り組み、常に部下の士官や下士官と会話を交わしつつ、ロシア太平洋艦隊の現状掌握に努めた。

 

また損害を受けない範囲で可能な限り自艦隊を港外に出して練度の向上を図り、日本艦隊との交戦も辞さなかった。

 

 

一方、第二回旅順口閉塞作戦に失敗した連合艦隊は、旅順口攻撃の一環として旅順の封鎖を機雷敷設によって行うようになる。

 

1904年4月13日、機雷の敷設を行っていた連合艦隊の駆逐艦4隻と偵察をしていたロシア艦隊の駆逐艦1隻による、遭遇戦が発生した。

 

ロシア艦隊の駆逐艦はたちまち撃沈されるが、その情報を知ったマカロフは旗艦である戦艦「ペトロパブロフスク」に座乗し、戦艦5隻・巡洋艦4隻を率いて生存者の救援と日本艦隊の攻撃に向かう。

 

日本の主力艦隊を認めると旅順港に引き返すが、座乗していた旗艦ペトロパブロフスクが日本軍の敷設した機雷に触雷し爆沈。

 

マカロフは避難しようとしたが間に合わず、乗組員500人と共に戦死した。

 

一説には秋山真之が過去の出撃パターンから予測されるロシア艦隊の航路を割り出し、予めそのエリアに機雷を散布していたとも言われる。

 

石川啄木は、「マカロフ提督追悼の詩」を作り発表している。