由緒正しいロシア黒海艦隊の旗艦「モスクワ」 | 戦車兵のブログ

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1か月後の5月27日は日露戦争の日本海海戦のあった日で日本海軍の海軍記念日だった日である。

 

ロシア軍によるウクライナ侵攻のシンボルとして有名になった「Z」マークの意味は、「Z」は数字の7を2つ、1つを逆さまにして重ねたものだという。

 

つまり、77回目の戦勝記念日を意味し、それがウクライナからドンバス地方を「取り戻す」ウクライナ侵攻の象徴になったという訳だ。

 

Zの文字は、2月24日にロシアがウクライナ侵攻を開始してから、ロシアへの支持を表すロゴとしておなじみの存在になった。

 

しかし・・・・私がロシアとZというと・・・・あれしか思い浮かばない。

 

以下日刊ゲンダイDIGITALより転載

 

4月中旬にロシア黒海艦隊の旗艦のミサイル巡洋艦「モスクワ」が黒海で沈没したことは、屈辱にほかならない。

 

駄目にしたのはただの軍艦ではなく、2014年にプーチン大統領が「ロシア固有の領土」と言い張って編入したウクライナ南部クリミア半島セバストポリが母港。

 

小国が大国のフラッグシップを沈めたのは、日露戦争以来のことではないか。

 

 

■昔も今もまずい飯

 

黒海艦隊は由緒正しい。

 

18世紀のこと、トルコとの戦争に勝ったロシアがクリミア半島を併合し、女帝エカテリーナ2世の「愛人」として知られる軍人ポチョムキンがそこに艦隊を創設した。

 

半島に住んでいたギリシャ人は、このほど激戦地となったウクライナ南東部マリウポリに強制移住させられた。

 

プーチンの言う「固有の領土」はたかだか200年強の歴史しかない。

 

 

日露戦争中には、この軍人の名を冠した装甲艦「ポチョムキン」の水兵が黒海で反乱を起こし、ロシア革命につながる。セルゲイ・エイゼンシュテイン監督のソ連映画で有名な話だ。反乱の原因は、腐った肉のスープ。

 

ウクライナ侵攻でもプーチンの軍隊は賞味期限切れの食料を持参していたというから、今も昔も変わらない。

 

さて、日本海海戦では連合艦隊旗艦の東郷平八郎を前に、ロジェストベンスキー提督の旗艦が率いるバルチック艦隊が敗北を喫した。

 

こう聞くと、旗艦が沈むという事態の重大性が感じられるだろう。

 

 

■「Z」で勝ったり負けたり

 

時計の針を21世紀に戻そう。沈んだ巡洋艦はウクライナ侵攻で話題に事欠かなかった。

 

開戦初日の2月24日、黒海に浮かぶ島を制圧する際、ウクライナ軍の部隊は投降要求を受けても拒否。

 

この時の捨てぜりふ「ロシアの軍艦くたばれ」は抵抗の象徴となった。

 

この挑発後、島は砲撃・占領されており、ウクライナ軍による「撃沈」はリベンジと言える。

 

 

プーチンの「居城」が沈むとなれば、喜びはひとしおだろう。

 

レーダーやミサイルを搭載する旗艦を失ったことで、ロシア軍はウクライナの一部の制空権も喪失。

 

英国防省は「艦隊が黒海での態勢の見直しを余儀なくされる」と分析した。核弾頭を積んでいたのではないかという情報も飛び交った。

 

 

「本日天気晴朗なれども波高し」。

 

その昔、日本海海戦で三笠は「Z旗」を掲げて勝利した。

 

一方、北部キーウ(キエフ)州などから撤退したロシア軍は、Zマークが付いた車両の残骸を放置。軍艦の損失については、ミサイルではなく「波が高くて沈んだ」(国防省)と言い張っている。 

 

(文=平岩貴比古/時事通信社前モスクワ特派員)

 

 

                (日刊ゲンダイDIGITAL) 

 

 

皇國ノ興廢此ノ一戰ニ在リ、各員一層奮勵努力セヨ

 

Z旗の意味と言ったらこれしかない。

 

日露戦争のZで聯合艦隊旗艦三笠に揚がったZ旗だ。

 

そもそもZ旗の意味は、Z信号旗は、船同士の意思疎通のために用いる国際信号旗の1つだ。

 

国際信号旗はアルファベット文字旗(26種)、数字旗(10種)、代表旗(3種)、回答旗(1種)の計40種。

 

この中でZ旗はアルファベットの"Z"の文字を示す信号として用いられる他、単独で「私は引き船が欲しい」、漁場では「私は投網中である」の意を示す信号としても用いる。

 

 

国際的にはZ旗は前節の意味しか有していない。

 

しかし、Z旗は海戦史において特別な意味を持つ旗としても広く認知されている。

 

日露戦争時の1905年5月27日-28日にかけて行われた日本海海戦の際、連合艦隊司令長官の東郷平八郎は、トラファルガー海戦の信号文「英国は各員がその義務を尽くすことを期待する」に倣い、「皇國ノ興廢此ノ一戰ニ在リ、各員一層奮勵努力セヨ」という意味を持たせたZ旗を旗艦「三笠」のマストに掲揚した。

 

 

日本海海戦の逸話以降、日本海軍ではZ旗は特別な意味を持つこととなり、大東亜戦争中の日本海軍では、大規模な海戦の際には旗艦のマストにZ旗を掲揚することが慣例化した。

 

真珠湾攻撃での空母「赤城」では、Z旗を直接掲揚せず、DG旗(D→Gの順で並べて掲揚)をZ旗の代わりとして(DG旗はZ旗と同意味で用いられる)掲揚した。

 

また、太平洋戦争末期の第二五二海軍航空隊攻撃第3飛行隊は、艦上爆撃機「彗星」の垂直尾翼にマーキングとして使用したことで知られる。

 

Zは日本海軍にとって特別な・・・・・ロシアのバルチック艦隊撃滅の象徴なのだ。

 

ロシアの命運が尽くのも時間の問題だといいね。