映画で観る戦艦大和の戦い | 戦車兵のブログ

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映画『男たちの大和/YAMATO』は、東映配給の日本の戦争映画。 

 

辺見じゅん著『決定版 男たちの大和』を原作に、終戦60周年を記念して制作された。

 

 

第二次世界大戦中期から、昭和20年(1945年)の天一号作戦に連動しての特攻作戦に参加した戦艦・大和の乗組員の生き方を描いた作品である。

 

 

2005年12月17日に東映邦画系で全国劇場公開され、同年の邦画興行収入1位となった。

 

制作費は約25億円(公称)。

 

長渕剛が主題歌を歌った。

 

 

戦艦大和が同型艦(大和型)で僚艦の戦艦・武蔵らとともにフィリピンのレイテ島付近のレイテ沖海戦に参戦したが、戦果は芳しくなく、武蔵など多数の艦艇を撃沈されるという最悪の展開から開始される。

 

 

その後は軍令部及び連合艦隊司令部から、「護衛機無しで特攻を行え」という無謀な命令が出て、大和は沖縄での特攻戦に向かう途中、アメリカ軍艦載機の波状攻撃にさらされ撃沈された。

 

 

自衛隊の艦艇を使って撮影も行われた。

 

DDH-142 護衛艦「ひえい」(海上自衛隊の「はるな型護衛艦」の2番艦)
機関室を大和の機関室として撮影。また本艦の航跡を撮影したものをCG合成し、大和の航跡が映るシーンで使用した。本艦の内火艇も作品中で使用されている。
 
MST-464 掃海母艦「ぶんご」(海上自衛隊の「うらが型掃海母艦」の2番艦)
 
劇中、大和の艦舷として、大和に着任したばかりの海軍特別年少兵たちが、タラップを甲板へ上がるシーンで、本艦を撮影に使用。本艦左舷のタラップを降ろし、合成処理の都合から、艦左舷に青いシートを張って撮影された。

 

 

 

広島県の尾道市向島町の日立造船向島西工場跡地に総工費約6億円をかけ、大和の全長263メートルのうち艦首から艦橋付近までの190メートルが原寸大で再現された。

 

ドック横の資材置き場に、建築現場の足場を組んで基礎として必要な高さを確保し、その上に合板などを使用してロケセットが作られた。

 

主砲の砲身は樹脂製。第一主砲塔の砲身や艦橋上部は省略されている。

 

 

艦橋は高層建造物となるので、建築基準法の許可が下りなかった。

 

また、第一主砲については、設置場所の関係で主砲の土台を設置するスペースが無く、外観のみの簡略化された形になった。

 

それらの不足部分は、大和ミュージアムに展示されている1/10模型を合成して撮影された。

 

2005年3月に完成し、撮影は同年6月まで行われた。

 

撮影終了後にロケセットの公開(観光)を目的として、第一主砲から艦首まで増設した。

 

撮影を目的としていないので、造設された部分は簡略化されていた。

 

 

 

公開終了後の5月10日より解体が開始された。

 

さらに公開の延長を望む声も多く、公開最終日にはセットを見学するまで3時間もの待ち時間が発生した。

 

しかしながら、オープンセットの設置現場は休止中の造船所であり、この造船所の再稼動が迫っていたため、閉鎖に至った。

 

 

解体後、東映は主砲身や機銃、小道具など、セットの一部分計64点を映画公開と同年に呉市にてオープンした大和ミュージアムへ寄贈し、1/10の大和の模型が人気を呼んで映画との相乗効果もあって161万人が入場した。

 

地方の施設であるにもかかわらず、2005年度の美術館・博物館入場者の全国1位となった。

 

大和ミュージアムの別館(立体駐車場の2階店舗スペース)には副砲塔などが展示されていたが、その後に大部分が撤去され、1/35の大和の模型(細部が不正確なモデル)とシールド無し25mm三連装機銃1基のみが残されているだけである。