支那の脅威は武力を背景にした覇権を隠さず、どんどん軍拡し経済的にも他国を支配しつつある点にある。
日本では、支那の軍事力など大したことはないという論調が今もある。
それは兵器の能力だとか支那人蔑視からだと思っている。
しかし日進月歩で確実に進化しつつある支那は昨日の支那と明日の支那と同じに見ていては危険なんだってことは知っておかねばならない。
以下msnニュースより転載
2019年12月17日に海南島の榆林海軍基地で公式に就役した中国海軍空母「山東」が、12月26日、台湾海峡を北上し、山東半島の青島海軍基地に向かった。
今回の台湾海峡通航は「山東」にとって初めての作戦行動であった。
今後しばらくの間は各種海上テストのために、建造された大連、青島、そして海南島を行き来するために台湾海峡を頻繁に通過するものと思われる。
アメリカでは無理もない「張り子の虎」論
中国海軍の空母に関しては、日本では相変わらず「張り子の虎」論が幅をきかせているようである。
日本同様にこれまで空母中心主義に凝り固まってきたアメリカ海軍関係者の間でも「張り子の虎」論とまでは言わないまでも、中国海軍空母戦力は「アメリカの国益にとってはさしたる脅威にはなり得ない」といった過小評価論者が多い。
そして、それらの過小評価論が日本での「張り子の虎」論の根拠となっているように見受けられる。
アメリカ海軍はじめ軍事関係者の間で中国空母を「たいしたことはない」とみなすのは無理からぬところである。
日本海軍を太平洋での激戦で打ち破って以降、アメリカ海軍は4分の3世紀以上にわたって空母中心主義に立脚してきた。
アメリカ海軍のみならずアメリカでは、空母とりわけ「スーパーキャリア」と呼ばれるアメリカ海軍しか保有していない巨大空母を中心に編成された「空母打撃群」と名付けられた空母艦隊がアメリカの軍事力の象徴とみなされている。
また、1945年2月の硫黄島侵攻作戦に際して、護衛空母(小型の空母)「ビスマルク・シー」が日本海軍第二御楯特攻隊の特攻機2機の体当たりによって撃沈されて以降、アメリカ海軍は1隻の空母も失っていない。
そのため、アメリカ社会には「アメリカの空母が敵の攻撃で沈められることなどあり得ない」という「空母不沈神話」が幅広く浸透している。
そのような「空母大国」の象徴である満載排水量10万トンで艦載機数70機の「スーパーキャリア」からみれば、中国が独自に建造した満載排水量7万トン以下で艦載機数40機の空母「山東」などは、取るに足りない航空母艦ということになるのは当然であろう。
米中で全く異なる空母の運用方策
しかしながら、中国海洋戦力の情報分析に従事しているアメリカ海軍やシンクタンク関係者などの「現在進行形で中国海軍と水面下の戦争を続けている軍事専門家たち」、すなわち対中警戒派の人々は、兵器マニアのように軍艦のスペックデータを比較して潜在的敵艦艇を過小評価したり、多くのアメリカ人にとっては心地の良い「空母不沈神話」に寄りかかったりはしていない。
そもそもアメリカ海軍が空母を失っていないのは、フォークランド戦争を経験したイギリス海軍と違って、空母を沈められる可能性のある戦闘を経験していないからだ。
同様に、中国海軍空母とアメリカ海軍空母が似通った使われ方をするかのごとき前提で比較するのは、大いなる過ちである。
すなわち、中国海軍にはアメリカ海軍空母打撃群のような艦隊編成ができない、あるいはできても1セットで精一杯である。
したがって「たいした戦力ではない」といった単純な比較は意味がない。空母にせよ潜水艦にせよ、海軍艦艇はそれぞれの海軍が拠って立つ海軍戦略、さらには海洋安全保障戦略を遂行するための道具である。
アメリカ海軍空母はアメリカの戦略に、イギリス海軍空母はイギリスの戦略に、フランス海軍空母はフランスの戦略に、そして中国海軍空母は中国の戦略にそれぞれ基づいて運用されているのだ。
アメリカは自らの国益を維持するために、世界中に目に見える形の軍事力を派遣して睨みを利かさなければならない。
そのため、戦闘攻撃機をはじめとして70機もの航空機を積載したスーパーキャリアを中心として編成された空母打撃群が必要なのだ。
しかし中国海軍は、黄海、東シナ海、南シナ海が敵勢力にコントロールされてしまうのを排除することを主たる任務としているので、空母打撃群のような巨大な遠征艦隊を必要としているわけではない。
中国海軍の空母は、東シナ海、南シナ海沿岸地域や海南島に多数設置されている航空基地と西沙諸島永興島、南沙諸島のファイアリークロス礁、ミスチーフ礁、スービ礁に設置されている航空施設と連携して、海洋航空作戦を実施するため、アメリカ海軍とは全く異なった運用方策を練っているのだ。
自分が弱くなると相手をけなすようになる
対中警戒派が危惧しているのはそれだけではない。こと中国海軍空母が話題に上ると「いまだに練度が低い」あるいは「中国空母艦載機(J-15)は出来損ないだ」といった論調がもてはやされるが、そうした風潮はアメリカが相対的に弱体化してきた何よりもの証拠ではないか、という指摘がある。
たしかに、すでに80年以上にわたって空母の運用を続けてきているアメリカ海軍の空母艦載機と、2012年から空母の訓練運用がスタートした中国海軍の空母艦載機を比較すれば、同等レベルであるはずがない。
しかしながら、あらゆる手段を駆使して空母艦載機の開発改良に邁進している中国とアメリカのギャップは日に日に縮まっていることもまた事実だ。
また、2017年にアメリカ太平洋艦隊所属軍艦が連続して死亡事故を引き起こしたことによって明るみに出たアメリカ海軍における教育訓練の大幅な質的低下を直視する人々は、「中国海軍の教育訓練レベルを最小限に評価することは、我々自身(アメリカ海軍自身)が過去数年にわたって教育訓練を最大限に節減しているという実情を忘却してしまっているようだ」と警鐘を鳴らしている。
要するに対中警戒派が言いたいのは、「我々は中国海軍をけなす前に、アメリカ自身の海軍力と中国の海軍力双方の率直な分析・評価をしなければならない」ということである。
この言葉は、日本の「中国海軍張り子の虎論者」たちにもあてはまりそうだ。 (北村 淳:軍事社会学者)
孫子の兵法に「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず」というのがある。
これは「敵を知る」ことも大事だが「己」つまり自分を知らなくては勝てないということでもある。
自分を知らずに敵を知った気になっても戦争には勝てない。
支那の兵器を米軍の兵器と比べてどっちの性能が高くて低いなんて議論は一見「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず」の話のようだが、それは一部をだけ見て論じているに過ぎない。
兵器はあっても、その運用目的や扱う人の質などは論じられていないからだ。
そして論じている者が軍事の素人で公にされている情報に踊ろされて「総軍事評論家」になっているものが多い。
そういう人は大概自分では軍なり自衛隊なりで厳しい訓練も教育も受けていない素人であることが多い。
評論はしても戦わないそんな人では軍事なんて語れないと私は思っている。
軍事ってリアルな現実の話で映画とか本とかで見た知識で語られるもんじゃないからね。
「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず」という孫子の言葉ってそういう意味でもある奥深いものだと思うんだよな。
私は彼を良く知って、自分もよくみつめて戦おうと新年から思ったね。