真田丸最終回 | 戦車兵のブログ

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北海道在住でマニアックなメカとしての戦車じゃなく、戦車乗りとしての目線から自衛隊や戦史、戦車を見る!!。
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とうとう大河ドラマ「真田丸」が最終回になりました。



大坂の陣をたっぷりやってくれました。


真田丸全体では合戦シーンはかなり少なく関が原の合戦のあっけないことと言ったら大河ドラマ史に残るんじゃないかと思うくらいスルーしましたからね。


真田信繫の最期の戦い、17キロもの重量がある鎧を着ての騎馬戦は見ものでした。


兜の鹿の角が邪魔だったそうですが、真田幸村の兜と言えば赤兜の六文銭と鹿角ですからね。



敵陣へ単騎突撃するシーンも良かった。


史実と違っても家康を討ち取って欲しかったね。


家康を敗走させるくらいの戦いってやはりドラマでは出て来ない武田信玄の陰がちらほら感じさせますが、若き日の家康は武田信玄にやられましたからね。


真田幸村の父昌幸はその時に武田信玄の家臣として活躍していた。




真田幸村を扱ったドラマでは見所のシーンですが、真田丸も義を貫き通した幸村の戦いをよく描いていました。



戦に強くても結局、謀略やら諜報にやられ後方の政治に翻弄されては勝てるものも最初から勝てない。



幸村の最期のシーン、かつて昌幸に子供の頃に教わった「卑怯過ぎる」やり方で敵を倒したのには笑ってしまった。


そう考えると過去のシーンが伏線になっているシーン後半多かったね。


そして来年の大河ドラマ「おんな城主直虎」の井伊家の鎧も赤備え。


真田丸から敵陣の井伊家の赤備えを見て「井伊家も赤備えになった理由があるのだろう」と信繫の台詞があったけれど来年の大河ドラマへの伏線だったのだな。




真田丸は幸村の戦死で終わってしまうが、信之の上田や松代のエピソードもスピンオフドラマとしてやって欲しい。


信之の息子達やその孫の時代にお家騒動が起きて沼田の領地を召し上げられた。


あれだけ苦労して維持していた沼田を・・・・。



その時代にも信之は生きていて93歳まで生きた。


大泉洋にはもっと活躍して欲しいからね。



他にも「真田丸」以前の真田昌幸のドラマなんていうのも面白いだろうね。


今年は春に大坂、11月には犬伏、沼田、上田、松代と真田縁の地へ行って来た。


ドラマの最後で紹介していたところはほとんど行った。


松代はドラマには出て来なかったが、真田家が幕末を経て明治維新まで生き残つた。


真田家家臣の佐久間象山が明治維新のきっかけを作ったとドラマを締めくくっていたね。


そして、ドラマでは全く取り上げられていなかったが幸村の息子「大八」の家系は幕末の仙台藩で活躍する。


ほとんど知られていないけどね。


真田一族は幸村以前の時代もそして後にもドラマチックな歴史がある。


毎週日曜日の真田丸が終わって少し寂しい。