豊平館 | 戦車兵のブログ

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今日は朝から病院へ。




午前中は通院で潰れてしまったが、天気も良く少し歩いてみた。




中島公園まで行くと豊平館が眩しいくらいに輝いて見えた。





あああ、豊平館の改修工事が終わって見学できるって聞いたな。






かなり久し振りに豊平館の見学をすることにした。




改修前は正面玄関から入ったのだが、改修後の豊平館はぐるりと裏へ回り新しいガラス張りの建物から入るようだ。




受付へ行くと入場料300円取られたー、改修前は無料だったのに・・・・・。





豊平館は明治初期に西洋風ホテルとして建築された。


明治天皇も大正天皇と昭和天皇は皇太子時代に宿泊された由緒正しい建物なのだ。




ホテル時代の復元をしたようで寝室とか再現されていた。


300円もとったんだから誰か解説してくれよーーー。


それと年配者のおばちゃん、世間話してたらうるさいし邪魔だよ・・・・。



外国人が見学にきていた。


日本人より多いかな?


支那人はいなくて静かだったよ。




豊平館は、1880年、今の大通に面する位置に高級西洋ホテルとして開拓使が建造した。



最初の利用者は明治天皇で、以後要人の宿泊、祝賀会、各種大会に用いられた。


後に公会堂となり、第二次世界大戦中に日本軍、戦後にアメリカ軍に接収された。



1958年に中島公園に移設され、以後は2012年3月まで市営の結婚式場として利用されていた。



国の重要文化財。




部屋には花の名前がついています。


花好きな人なら楽しめますね。


なぜ花の名前がついているかというと・・・、画像のように天井に花が描かれているのです。



豊平館の設計は、開拓使工業局営繕御用掛の安達喜幸により、工事は大岡助右衛門が請け負った。


1879年に建築をはじめ、翌年11月に完成、12月3日に落成式が催された。


完成当時、完全な西洋式のホテルは日本にほとんどなかった。


豊平館最初の宿泊客は明治天皇で、札幌行幸のとき、1881年8月30日から9月2日までの4日間、行在所に用いた。


これによって開拓使は面目をほどこし、豊平館の格式もあがった。


同年11月6日に開拓使は旅館と料理店の経営を民間に委ねた。


しかし、天皇が泊まった2階客室に他の人を泊めることをはばかり、1階だけを利用させたため、ただでさえ少ない客室がさらに減ることになり、料金も高く、ホテルとしての利用は低調であった。


中央の高官の宿泊のほか、祝賀会や各種式典の場として用いられた。






札幌市の発展とともに式典・大会会場の需要が高まったため、札幌市は1921年に宮内省に願い出て豊平館を譲り受け、1926年に豊平館の裏に新しい建物を作って連結した。


豊平館と新しい建物は市の中心部にある公会堂として盛んに利用された。


昭和初期に、明治天皇ゆかりの場所である豊平館は聖蹟とされた。そして1933年に国の史蹟に指定された。


豊平館は、第二次世界大戦中に北部軍に利用され、戦後にアメリカ軍に接収された。


後にアメリカ軍が三越札幌支店を接収すると、三越にかわりの店舗として貸与された。



アメリカ軍が近郊に建設したキャンプクロフォードに移転した1947年に、札幌市のもとに戻った。


以後、新旧の建物は公民館、市民会館として利用された。


長く大通公園の東の端にあった豊平館は、1957年に中島公園への移築のため解体された。


跡地には新しい市民会館が建てられた。


移築の対象は明治時代からの古い建物だけで、翌年に建築当時の姿に近い形で復元された。


以後の豊平館は、市営の結婚式場として利用されていた。



この間、史跡指定は1948年に解除されたが、1964年に明治時代の歴史的建築物として改めて重要文化財に指定された。