この物語はフィクションであり、 実在の人物・団体・事件などとは一切関係ありません。
※長文となりますのでPCでの閲覧を推奨します。
男はイングランド北西部の港町からバスに乗り、南へと向かっていた。
目的地はロンドンの南西部、テニスの大会で世界中に知られている町、ウインブルドン。

今晩行われる“世界最古にして最高の権威を持つフットボール・トーナメント”と言われているカップ戦の3回戦を観に行くためだ。
男はその港町の赤いフットボールクラブの熱狂的ファンである。
彼は今シーズン、その“レッズ”と呼ばれるクラブの試合を見続けてきた。
開幕戦から前節までの海外を含めたホーム・アウェイ全ての試合をスタジアムで観戦してきたのだ。
入手困難なアウェイのチケットも、相手クラブの一般発売で買ったり、メンバーシップに加入している友人に取ってもらったりなど、運にも恵まれ、これまでの試合はほぼ定価で買うことが出来ていた。
アウェイの試合でアウェイ側(レッズ側)の席を取れる可能性は長年(親の代から?)の常連でもない限り皆無。
そのため相手側で静かに見ることも厭わなかった。
そんな彼も今回の試合は諦めていた。
ウィンブルドンはイングランド4部に所属する小さなクラブ。
スタジアムのキャパは約4300人。

歴史あるFA杯はイングランドのフットボールファンから重んじられており、尚且つトップディビジョンのクラブがやってくるとなれば、ドンズ(ウインブルドンの愛称)の会員だけで即完売。
対戦相手が決まった段階で有料会員になってもこの試合のチケットは買えない仕組みになっていた。
こういった対応は長い歴史を持つイングランドのフットボールクラブならではだなと、感心さえしてしまった。
チケットがなくてもスタジアム前で行き「I NEED TICKET」を掲げていたら、善良なファンの方が余ってしまったチケットを譲ってくれた。
ということはサッカーファンの間では良く聞く話である。
ワールドカップの重要な試合でも成功したという話も聞いたことがあったし、この男もつい先日スタジアム前で譲ってもらった経験をしたばかりだった。
だがそれでも今回は無理だろうと思っていた。
可能性が低すぎる。試合を見れる保証もないのにロンドンまで行くのか・・・
だが男は向かった。
あの“発表”を聞いてしまったから。
0.1%でも可能性があるのなら動かないわけにはいかなかった。
バスは往復18ポンド、昼と夜分のサンドイッチを自分で作ったので食事代は無いに等しい。
本当にありがたいことにロンドンの友人に泊めて頂けるので宿泊代もなし。
金銭的リスクは極力抑えた。
加えて何人かの友人とも会う約束をした。
つまり、たとえ試合が見れなくても18ポンドでロンドンの友人に会いに来た、となるだけである。
早朝港町を出発した男は、午後3時頃にはスタジアムに到着していた。

試合は夜の8時から。

早すぎる。
しかし、もし万が一キャンセルされたチケットが売り出されていたら?などと考えてしまった男はスタジアム周辺を徘徊していた。

だが、チケットの窓口はおろか、グッズショップにも人影はなかった。


明るいうちにとスタジアム外観の写真を撮っていたら、メディア関係でなければ出て行きなさいとクラブ関係者に注意されてしまった。

外観を撮影すること自体は問題なかったのだろうが、如何せん時間が早すぎたのだろう。

男は仕方なく一度退散した。

チケットを取れなかった時のために試合中継が見れる近くのパブの位置をチェックしたりして日が暮れるのを待った。

キックオフ3時間前くらいに再びスタジアムへ。
既にけっこうな数の観客が来ていたが、チケットを持ってない者はスタジアムへ続く一本道の入口で止められてしまっていた。
男はもちろんチケットを持っていなかったのだが、マッチデイプログラムとピンバッチが欲しかったので、入口の警備員に
「マッチデイを買いに行きたいんだけれども・・・」
と言ったら意外とすんなり通してくれた。
そのときちょうどドンズの選手が到着したようで、選手たちはファンと普通に話したり写真撮ったりしていた。
4部ともなると選手との距離が近い。こういう光景はステキだな~と思った。
そーいえばやたらマッチョな選手がいてキッズから人気だったような・・・
無事にマッチデイプログラムをピンバッチを購入した後、男はスタジアム内に併設されているパブを見つけた。


パブでは過去にウインブルドンがリバプールに勝った試合を流していた。

オーウェンがデビューしたばかりの頃なので、1996~97年頃だろうか。

パブの奥のトイレに行こうとしたら、通路のトロフィーが飾ってある場所になんと
リネカーがいた!!!!!!
BBCの中継のVTR撮りをしていたようで同じセリフをTAKE4くらいまでしていた。
生リネカーは初めてだったので、男はドキドキしてしまった。
しかしサインや写真もお願いする間もなくメキシコW杯得点王は去っていった。

パブを出ると馴染みのラグジュアリーなバスが止まっていた。
中には赤い服を着た人たちが乗っていた。
我らがレッズの遠征バスだ。

ここはアウェイなので周りのドンズファンからブーイングが起こるかと思ったが、ブーイングではなくドンズのチャント(応援ソング)をずっと歌っていた。
さしずめ
「4部だからって俺たちドンズをなめんなよ!」
ということだろうか。

真ん中のピンバッチ・・・ガンバ???





再び敷地内の外へ。
外に出たところに「WANT TICKET」と書いた紙を掲げたおじさんがいた。
競合相手がいて嫌だなとはあまり思わず、むしろ少し安心した。
WANTおじさんから少し離れたところで用意していた「I NEED TICKET」の紙を掲げた。
WANTとNEEDだったらNEEDの方が欲している感が強いかな~とかどーでもいいことを考えているうちに早速“路上の輩共”が声をかけてきた。
前述したとおり、“善良なファンの方がたまたま余ってしまったチケットを譲ってくださる”ことを祈っているのであって、この路上の輩共の相手はしたくなかった。
ただ路上の相場を知っておこうと思って聞いたら、定価の約7倍だった。
予想の範囲内の金額だった。
もちろんそんな額出す気もないし、そもそも男の財布には紫の女王様が3人しかいなかった。
そう過ごしていくうちに路上の価格が徐々に下がっていった。
予想外のスピードで価格は下がり、とうとう紫の女王様3人でもオレンジの女王様が一人帰ってくる値段まで下がった。
周りにチケットを欲しがっている人も見当たらず、いつの間にかWANTおじさんもいなくなっていた。
これはいわゆる買い手市場ってやつか?と男は思ってしまった。
他の人が持っているチケットを確認済みだったので、輩のチケットも本物であることに間違いない。
チケットには「~ラウンジ」と書いてあり、整理番号が書いてあった。
席番号がないので疑問に思い、輩に聞いたら「自由席」だと答えてきた。
「自由席」なんてあるのかと思ったが、間違いなくチケット自体は本物だった。
対戦カード、試合日程、キックオフ時間、ホログラム等すべて本物で疑う箇所はなかった。
瞬時に考えを巡らせていた。
たしかにこのスタジアムには立ち見席があるから自由席ということもあり得る?
~ラウンジという小さめのスポンサールームがあってその中は自由席なのか?
※スポンサー用のチケットは路上に出回りやすい。男は以前に他のスタジアム観戦の際、路上で買ったチケットでスポンサー用の小部屋で観戦した経験があった。
推測の域は出なかったが、どんなかたちであれ試合は見れるだろうと男は思ってしまった。
結局紫女王3人とオレンジ女王1人+チケットを交換した。
それはリーグ戦のカテゴリーCの試合の定価くらいの額だった。
男は一本道の入口でチケットを提示し、無事通れた。
つまりこのチケットが本物であることが確定した。
メインの入口と思われるところのスタッフにチケットを提示すると中に通された。
そのまま通路を通りスタンドに続くドアを開けようとした瞬間、近くにいたスタッフに止められた。
チケットを見せてくれと言われたので持っているチケットを見せた。
チケットを見た後スタッフから発せられた言葉が、男の顔を引きつらせた。
「もう1枚は?」
正直男はその瞬間意味が分からなかった。
自分は一人で来ている。
なぜチケットが2枚必要なのか?
「ない」
としか答えようがなかった。
スタッフは続けた。
「このチケットはこのラウンジのチケットでスタンドで試合を見るにはそれ用のチケットがいる。」
その瞬間、男は路上の輩のトリックと自らの愚行に気がついた。
たしかにチケットは本物ではあった。しかしスタンドで試合を見れるものではなかった。
ラウンジしか入れないチケットがあるなんて!!!
通常の観戦チケットと全く同じ仕様・文字配列だなんて!!!
自身の愚行を悔やんでも悔やみきれない。
しかもそのラウンジというのは先程過去の試合を流していたパブのことだった。
つまりそのパブ(ラウンジ)は逆の入口からならチケットがなくても入れるものだった。
なんで試合日にパブに入るだけの専用チケットなんて紛らわしいものがあるんだよ!
しかもそのチケットなくてもパブ入れちゃうし!
と怒りと後悔が交錯しながらもう一度外に出た。
しかし路上の輩が見つかるはずもない。
金額の下がる速さ・・ラウンジ・・・自由席・・・・
いくつも怪しいと思えう箇所はあったはず。
なのに・・・
なぜ買ってしまったのか。
あの“発表”から初の試合で気持ちが強すぎて行き急いでしまったのか。
中途半端な経験や情報が裏目に出てしまったのか。
そもそもハナから路上の輩からは買わないと決めていたじゃないか・・・
何を後悔したって、この“紛らわしい”チケットを巧みに利用した路上の輩に愚かな男が騙されたという事実しか残らない。
途方にくれた。
もう財布には定価で買えないほどの女王様しかいなかった。
もちろんATMで引き出すことはできたがそれもする気になれなかった。
しばらく途方にくれていたら、キックオフ15分前くらいになっていた。
諦めてこの紛らわしいチケットを使い、ラウンジという名のスタジアム内のパブで試合を見ようと入口に向かった。
ここで更なる悲劇が・・・
何度か出入りしていたのが怪しまれたらしく、警備員に止められた。
男の持ち物や服装がチェックされ警備員に通達されていたようだ。
男は警備員の一人について来いと言われた。
ここで変に反抗すると余計問題になるだろうと思い、素直について行った。
ピッチを横目にセキュリティ室に連れて行かれ、荷物チェックをさせられた。
特に荷物に不信なものはなかったが、質問攻めにあった。
チケットはどこで手に入れたか?とか、どっちを応援しているんだ?とか・・・
男としても何と答えたら正解かなんて分からなかったが、なるべく怪しまれないような答えを返した。はぐらかした感もあった。
最初はオンラインベッティングに関与している疑いがあるみたいなことを言われたが、結局路上の輩に騙されたよくわからん奴という扱いになったようで、男は再び外に出された。
外に出て行く際一緒についてきた警備員が笑って冗談を言っていたので、最悪だったがまあ事が大きくならないで良かったなと思わざるを得なかった。
こうなったのも身から出た錆、自業自得だ。
男は自身の愚行を悔やみながら調べておいた近くのパブに向かった。
既に試合は始まっていた。
今シーズン初めてテレビ観戦する男にとっては、テレビに映る芝生がやけに眩しかった。
パブに着いた頃にはキャプテンの1点目が決まった後だった。
その後、スタジアムに入る前に見かけたやたらマッチョなドンズの10番に同点弾を許した。
彼もレッズのファンで試合後キャプテンにユニフォームをもらったらしい。
マッチョマンは孫の代まで今日の試合のことを語り継ぐことだろう。
その後、キャプテンのフリーキックが鮮やかにゴールネットを揺らした。
願望もあったかもしれないが、フリーキックを蹴る前から既に入る気しかしなかった。
あの“発表”直後の試合での2得点。
(他の選手がダメだったとも言えるが)獅子奮迅の大活躍でチームを勝利に導いた。
本当に、なんて選手なんだ。
“持ってる”とかそんな次元じゃない。
自業自得ながら最悪の遠征となるも、静かなパブのテレビに映るキャプテンの勇姿を見れたことが唯一の救いだった。
試合内容は全く良くなかった。それでもキャプテンが救ってくれた。

これでまだ偉大なるキャプテンと愚かな男のストーリーも続いていく。
男は飲めない酒を飲み干し、自分を戒めながら帰路についた・・・・

この物語はフィクションであり、 実在の人物・団体・事件などとは一切関係ありません。