ウチ帰ったら、まだ火災報知器がピー言ってた。
気分直しにお茶のお稽古の事でも書こう。
先の三連休も何やかやとスケジュールが入ってました。日曜日は活動時間10分のテニスで、その前の土曜日はお茶のお稽古。先生から「次回は大板をやりましょう」と言われていたのですが、
大板って何だ?
…というレベルです、私。そして当日、お稽古に行ってみたら、風炉の下にいつもより大きい正方形の板が敷いてあった。正確には先生が紙で作った大きな板もどき。字のとおりやな。
お道具の配置は、左側に大板を敷いた風炉、右側に水差し。蓋置きや柄杓は長板の一つ飾りの時と同じく、風炉の前に一文字に置く。…というわけで、それほど途惑うこともなくできました。
この日の掛け物は「吾心似秋月」でした。
「吾が心、秋月に似たり(私の心は秋の月のようである)」ふむふむ。禅語で「月」といえばたいてい仏性の喩えだから、これもきっと寺にでも行ってありがたい気分になった時に、澄んだ秋の満月でも見て詠んだのであろう。
もとの詩は、『寒山詩集』の中の一首らしいので、もともと仏教と関係が深い詩のようです。
吾心似秋月
碧潭清皎潔
無物堪比倫
教我如何説
私の心は秋の月のように澄んでいる
紺碧の水を湛えた深い淵は清らかに輝く
この心持ちは何ものにも比べ難い
どうすればこれを人に伝えられるだろう
…というような意味かな。
お花は秋の野原風にエノコログサが入ってました。