幸せにならなければ
幸せになりたい
幸せになる

この3つの違いについての解説です
(昨日の「決める」ということ(1)の続きです)

そもそも"幸せとは"
という定義も必要ですね
とは言え
幸せ、は、感じるモノ
だと私は考えています
つまり
人それぞれ違うでしょう

なので
あなたは、どんな時に
シアワセと感じるか
ちょっと振り返ってみてください

そして
そのシアワセ感を感じたまま
幸せにならなければ
と考えてみてください

。。。

どうですか?

シアワセ感、半減しません?

「ならなければ」は義務ですね
義務は絶対的なこと
選択の余地がありません
万人に当てはまるとは言い切れませんが
(束縛が幸せな方もいらっしゃるので)
選択の自由がないのは
シアワセではない人が多いでしょう


では、次

「なりたい」これは願望です
なれるかもしれないし
なれないかもしれない
可能か不可能か
自分にも分からない
つまり
自分で決められない状態です
これまた
選択の自由がないワケです


6年前の私は
幸せになりたい
誰か私を幸せにして
と思っていました
私の望むとおりのことをしてくれる人
を求めていました

残念ながら
そんな人は現れませんでした
いえ、男女問はず
幸せにしよう
としてくれた人はいたと思います
でも
私にその気がなかったので
なれなかったのです


例えば、お腹が空いたとして
食べたいモノを
好きなだけ食べさせてくれる人
がいたとしましょう

でも
食べるのは私自身なのです
咀嚼してのみこむ、と言う行為
(つまり食べること)は
誰かに代わってはもらえません

おなかがすいた
何か食べたい、食べさせて
と言って作ってもらっても
(場合によって口に運んでもらうまでしても)
自分で口を動かさなければ
空腹を満たすことはできないのです


幸せ、も同じです

幸せを感じるのは
主体はアナタです

幸せになりたい、と願って
誰かが幸せを運んできてくれても
アナタが
幸せを感じる感覚を開かなければ
感じることはできません

つまり
幸せになると決める
ことが大切なのです


これは何事にも通じる考え方です
変わりたい、と、変わる
痩せたい、と、痩せる


願望で終わらせるのか
主体的に
意志をもって
動いて
現実化させるのか

まずはそこを決めましょう☆