この水を飲めることに感謝
救心は和漢薬の働きで血行を良くし自律神経の乱れを改善し、これらのつらい症状を治します。
○○ こんな時には救心 ○○ 階段や坂道で息が切れる。 人混みでの立ちくらみ。
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救心といえば心臓の薬というイメージがある。階段や坂道で息が切れる。人混みでの立ちくらみ・・などは心臓が弱いことからくる症状もあるだろう。もっとも老化による体力の衰えということもあるだろう。
母の話で何度も恐縮だが、母は若いころから心臓が弱く、人混みや狭いところが苦手だったようだ。だから東京が空襲を受けたときも防空壕に入れなかった。押し入れで布団をかぶって震えていたそうだが、焼夷弾の直撃を受けたら布団などクソの役にも立たない。
60歳代には心臓発作を1日に3回は起こしていたという。慈恵大学青戸病院に通ったが結局治らなかった。母の命を救ったのは食事療法と電解還元水に出会ったことによる。
取引先の社長は60代後半。やはり心臓に病があって15年前に電解還元水に出会った。事務所は5階建てのビルの4階。毎日階段を上がり降りしている。「階段や坂道で息が切れる」とは無縁である。
私のお客様には、心臓の発作が治まったり息切れが治ったという例が幾例かある。私の母の体験を聞いて電解還元水を取り入れた方々だから、「心臓」を目的に還元水を取り入れたこの方々に限って言えば治癒率100%ということになる。
ドラッグストアでも感じたし、こうした広告をみると感じることは、電解還元水を生活に取り入れると「薬との縁が切れる」ということだ。
私は子供のころは病弱だった。結核も患って小学校を長期休校もした、学校へ行くようになってからも、最初は午前中で帰宅し午後は家で安静、体育は見学という状態だった。
父も軍隊で体を壊し医者と薬に頼るようになった。いつも抗生物質をもっていて最後の切り札はこの抗生物質。私もよく飲まされた。だから医者と薬を手放せない生活をしていた。
父は薬の副作用で命を縮めた。自分で病名を判断し薬を手に入れようとする。最後は慈恵大青戸病院へ行ったが「なんでもない」と薬を出して貰えなかった。帰りにわざわざ町医者に寄って自分で判断した病名で薬をもらった。
結局、その薬が命取りとなった。白鳥診療所に入院したが、私に「家から、あの薬とこの薬を持ってきてくれ」と頼む始末。医者が出さない薬を持ってくるわけにはいかない。
当時は付き添いの人を頼む制度になっていて、父についた付き添いの人からも大分窘められていた。入院して一か月もすると、本人もようやく自分が薬漬けの誤った道を歩んできたことに気がついたようであった。
しかし、時すでに遅し・・。73歳の若さ(?)で世を去ることになった。73歳の若さというには意味がある。父の家系は皆長寿で祖父は95歳、兄弟も85歳以上は生きたのだから、親兄弟の中では短命だったということになる。
逆に薬漬けという事情を考えればよくも73歳まで生きたということかもしれない。いずれにしろ薬で命を縮めたことだけは確かなことだった。
電解還元水に出会った時、母と「親父は水を飲んだだろうか?」と話し合ったことがあるが結論は「頑固者の親父は水を馬鹿にして飲まなかっただろう」ということで意見が一致した。
今年23回忌の法要を行った。生きていれば96歳。祖父が亡くなった歳になる。私は父にはもっと生きて欲しかったと常々思っている。電解還元水との出会いが10年早かったら父の運命も変わっていたかもしれない。
病院や薬を否定するわけではない。お客様のところに伺って「病院に通っている」という方に「病院へ行くのを止めなさい」などと変な宗教みたいなことはいわない。ただ、還元水をきちんと飲んでいれば、また活用していれば自然と健康を取り戻して病院に行かなくなる。
病院も薬も必要だが過度に依存して病院漬け、薬漬けになることではいけない、ということをお伝えしたい。
父には間に合わなかったけれども、こちらの奥様には間に合った。でももっと早く出会っていたら・・という思いを寄せて頂きましたあるお客様の体験談の結びの言葉をご紹介して終わりにしたいと思います。
妻は総合病院と言われるほど多種の病を持って30年以上苦しんで来ました。入退院の繰り返しの苦しさから、色々なことを試し、しまいには五十万円もするヘルストロン(高電位電子浴治療器)その他、ありとあらゆることを試しました。 還元水を購入して、ともかく休まずに飲み続けて来たことが好結果につながりました。10年、いやせめて20年前から飲んでいたら・・・と思いますが、時は一秒たりとも返してくれません。 現在、この水が飲めることに感謝しながら暮らしています。(北海道 N様) |