この世の中は因果律によって成り立っている


最初に九州大学大学院の白畑實隆教授の98年の講演の中でお話されたエピソードをご紹介いたします。

昨年(’98年)10月に仙台の薬剤師の男性(30歳)のお父さんが肝臓ガンになってお医者さんから余命6ヶ月といわれたそうです。電解還元水整水器を台所に取り付けて、お父さんが還元水を飲みだしたら、もう半年以上経った今、完全にガンが消えているそうなんです。それを目の当りに見た薬剤師の人がショックを受けて、もう薬剤師の仕事に身が入らなくなって、私のところのドクターコースに入って水の研究で学位をとりたいということで、来年受けることになっているんです。

この薬剤師の方は2000年春、九州大学を受験したはずです。 現役で大学へ入るのも大変なのに、30歳を過ぎて、改めて勉強して大学に入ろうという、それだけでも私は凄いことだと思っています。

この世の中は因果律によって成り立っているといわれています。因果律を辞書で調べると…
一切のものは何らかの原因から生じた結果であり、原因なくして何物も 生じないという法則…とある。

肝臓ガンが消えた…という結果は、何らかの原因によって生じたものであり、「還元水」を飲み始めた結果ガンが消えたという現象は明らかです。
では、還元水が「ガン」が消えた原因だとすると、その原因を明らかにするのが科学だと私は思います。

以前も書きましたが、人間が存在しなければ科学も存在いたしません。人間が存在するから科学も生まれました。科学とは、我々人間が五感(眼、耳、鼻、舌、身)、六感(五感にさらに意識を加える)をもって、外界の現象を分析して、真理の一分一分を究めいく学問です。

現象を感じるのも人間ならば、その現象をとらえて真理の一分一分を極めて研究するのも人間。その現象を嘲笑し無視するのも人間。科学者としてどの道を選択するのが正しいかは自ずと明らかです。
ネット上では、電解還元水によって起きているこうした現象を「エセ科学」と嘲笑する声があります。
一方、この薬剤師の方のように、大学に入学してドクターコースに入って水の研究をしようと決意される方もおられます。

エセ科学と嘲笑する人たちは、この薬剤師の方を「エセ科学に騙された馬鹿な人」と嘲笑するのでしょうか?

友人がこの世界に足を踏み入れたきっかけは、平成5年、当時勤務していた三菱樹脂で「整水器」を販売することになったことです。メーカーの営業マンから製品の説明を受けましたが、友人はさっぱり理解できませんでした。
「この水を研究している医学博士にお会いして、お話を聞いてください」とその営業マンから言われて、私は医学博士のもとへと参りました。
もとより、私は商業高校をでた人間ですから科学の知識はありません。医学博士の専門的な話よりも、最後に言われた言葉に心を動かされました。
「この水が普及すれば病のない社会が実現します。しかし、世間は、この水を認めません。ぜひ普及に力を貸して下さい」と私の手をとって涙を流さんばかりに言われました。私は、理論理屈はいくら立派でも実際に人間がこの水を飲んでその通り現象が現れるものかどうかは試さなければ分からない。試してみようと思ったのです。そして、実際に病の無い社会が実現できるとしたら、病に苦しむ人々を救うことができる。こんな素晴らしいことはないのだから、試そうと思ったことと、これが真実ならば、天が私に与えてくれた「天職」になるだろうと思いました。そして、現実にさまざまな現象を目の当りにしたのです。
薬剤師の方も、お父様に起こった「現象」から大学に入って研究しようと決意されたのです。この方も、この水を研究し、現象の原因を科学的に突き詰めて、結果として世のため役立つことを目ざされたのだと思います。自分と家族のためだけならば、お父様のガンが消えてめでたし、めでたしだ、こんなこともあるのだ…でオシマイです。

この薬剤師の方は、その後、白畑教授の研究チームの一員として「白血病と電解還元水」等の学会発表のメンバーとして名前を連ねておられます。科学とは、外界の現象を分析して、真理の一分一分を究めいく学問です。この方は、科学者として真の道を歩まれていると私は思います。
一方、肩書きは立派な方々でも、自分たちの思考の範囲を超える「外界の現象」を、そんなことはありえないエセ科学と嘲笑する人たちに、科学を論ずる資格があるでしょうか。
ここにご紹介した例は、ほんの一例です。科学を論ずる人たちに、明らかに二つの流れがあります。どちらが科学者として歩むべき道であるかは、私が述べるまでもなく、自ずと明らかです。私がどうこう言うことではなく、世間一般の人々が、その判断を下すことでしょう。