続・自閉症
先般、自閉症のA子ちゃんの事を書いたが、内容に訂正があるので、もう一度確認の意味で書かせていただく。
実は、前回はA子ちゃんのお父さんから聞いた話でありましたが、今回はお母さんからお話を伺う機会がありました。
前回もメモを取っていたわけではありませんでしたので聞き違いもありました。ここで、もう一度概要を書かさせていただきます。
自閉症は「脳の病気」で、脳に欠陥があるから治癒は難しい病気だそうです。
A子ちゃんはかなり重症だったので、社会や人とのコミュニケーションがとれない。感情がないので親に対しても路傍の石ころと同じで肉親愛とか感情は一切ないから、感情を言葉で言い表すこともないと医師から言われたそうです。
親として、親の心がA子ちゃんに伝わらない。いくら世話を焼いても、愛情を注いでも、A子ちゃんには親を親と理解する能力がない。親としてこんな悲しいことはないとお母さんは仰いました。
A子ちゃんには自分の世界があって、それが邪魔されたとき暴れ、自分の手を鉛筆で刺したり、頭を柱に何度も何度もぶつけたり、パニック状態になるのだそうです。家庭内は地獄の様相を呈する。小さいうちは何とか押えつけられるが、大きくなれば押さえることは出来なくなる。親として絶望感が湧いてくる。
そんなA子ちゃんではありましたが小学校は普通学級に入れたそうです。ただしA子ちゃんがパニックを起こしたとき、いつでもお母さんが対応できるよう学校の用具置き場で待機していることが条件となりました。
家庭内に笑いがあるわけではなく、殺伐とした絶望感が漂っていました。そんな折り、お母さんは勧められてある宗教に入信されました。1ヶ月後にお父さんも入信されました。小学校に入学して4ヶ月がたったころ(前回は4年生のある日…と書きましたが間違いです)、学校から帰ってきたA子ちゃんが「今日は疲れたから寝る」と言ったのだそうです。感情を言葉に出したのです! 自閉症の子は感情がないから、そのような言葉を発することはありえないのです。
その後2人目の女の子を出産。自閉症の子が生まれると2人目も自閉症の確率が高いそうですが、信仰のおかげか健全な女の子が誕生しました。この子がやがてA子ちゃんに「おねえちゃん、おねえちゃん」とまといつくようになると、A子ちゃんは最初はパニックを起こしていましたが、やがてお姉ちゃんぶりを発揮し始めて妹の面倒を見るようになったそうです。
中学に入学すると「自分一人で学校へ行く」と30分の道程を歩いて一人で学校へ行くことを主張したのだそうです。そして初登校の日…。A子ちゃんを送り出したお母さんは自転車で先回りして隠れて正門の方を見ていると、やがてA子ちゃんの姿が現れ、先生やお友だちに挨拶して校門の中に入っていったそうです。お母さんはただ涙、涙だったといいます。
A子ちゃんは、現在はひとりでバスを利用して高校に通っているとのこと。
そのA子ちゃんが「幼稚園のころは怖かった。いつも真っ暗でおびえていた」と幼児のころの体験を話したのだそうです。
自閉症の子は「心がない」「感情がない」という医師の話…つまり現代医学=科学=ではそのように言われているが、そうではなく、表現ができなかっただけで、心も感情もあって脅えていたのだということがわかりました。
最近TVで「自閉症」の放送をしていたそうですが、そこに映し出された世界は、かつて自分たちが経験した地獄の世界だったそうです。もし、信仰をしていなかったら…と思うとぞっとするとともに、信仰のおかげで、地獄のような世界から脱出できたことに感謝しているというお話でした。
自閉症の子には「心」「感情」がないうことは外から見た観察の結果であって、実は「心」や「感情」を表現できなかっただけで、「心」も「感情」もあったのである。
ところで、植物にも「心」「感情」があるという説がある。科学的にも研究されて明らかになっているようだ。
庭の草木も植木も「心」「感情」を持っている。ただ「声」を出してそれを表すわけではないから、我々にはそれがわからない。自閉症のA子ちゃんの場合と同じである。
では、水に「心」はないのだろうか?
心があるものを「生命」、心がないものを「物質」というのだそうです。植物はある意味、「生命」であるといわれれば、そうだと理解できるでしょう。
では、水に「生命」を感じることが出来るでしょうか? 水は単なる物質にしか見えない。しかし、酒造りの現場で音楽を聞かせて醸造したお酒は「味がよくなる」ということが言われています。音楽の振動が影響しているともいわれますが、もしかしたら水にも「心」があって音楽を聞いた喜びの結果が醸造の違いに現れているのかもしれない。
科学は「ヤマカン」「思い付き」が大切だという事例があります。
りんごの木からりんごは落ちない!と言ったら、「馬鹿!」と言われるかもしれません。。でも、りんごの木からりんごは落ちないと思いついて万有引力の法則を発見したのがニュートン。つまり、ニュートンはりんごの木をどんどん伸ばして考えた。月までりんごの木を伸ばして考えたとき、月まで伸びたりんごの木のりんごは地上に落ちてこない。なぜなら月は地上に落ちてこないだから。 このことに気がついた結果万有引力の法則を発見した。りんごの木からりんごが落ちる風景は昔から多くの人が見ていた。まして月が空に浮いていることも、それが当たり前に眺めていたのです。月がなぜ落ちてこないかと考えたことはそれまでいなかった。凡人にはりんごや月を眺めていた、そこから先の思い付きや発想が起きない。それが当然と眺めているだけだから…。
ニュートリノの検出に成功しノーベル化学賞を受賞した小柴昌俊東大名誉教授も最初はニュートリノの存在について「ヤマカン」だったそうだ。
水に話を戻す。私は水の氷結結晶写真を見たとき、植物と同じように、水に「心」があるのではないかと思いました。
「ありがとう」「ばかやろう」という言葉を書いた紙を貼った試験管の水が違った結晶をになる。つまり水か言葉を理解している考えられるのではないでしょうか?
自閉症のA子ちゃんの「感情がない」という医師の判断は、実はA子ちゃんには感情があったけれど、それを表に表せなかっただけだったのです。
同じように植物も水も心や感情を表現できないから、我々には分からなかっただけかも知れません。
もっとも、植物は心を表す現象が観察されているそうです。
![]() 「ありがとう」の結晶 | ![]() 「ばかやろう」の結晶 | ![]() 「しようね」の結晶 | ![]() 「しなさい」の結晶 |
これは、小学校の実験です。 瓶に「ご飯」をつめて、片方には「ありがとう」という文字を書いた紙を貼り、もう一方には「ばかやろう」という文字を書いた紙を貼り、学校から帰るたびに毎日瓶に向かって「ありがとう」「ばかやろう」と大きな声で叫んだそうです。 | |||
![]() ありがとう | ![]() ばかやろう | ||
1ヵ月後には、「ばかやろう」と言われたご飯は腐敗して真っ黒になり、「ありがとう」と言われたご飯は発酵して麹のような香りになったそうです。 |
生命は水の中で誕生いたしました。水は生命の源です。単なる物質ではないかも知れません。
しかし、いくら水を分析しても「心」を見つけることは出来ないでしょう。だからといって「心」がないとは断定できません。なぜなら、人間の身体をいくら分析しても「心」を見つけることはできないのと同じです。
だとしたら、言葉によって違う水の結晶が出来るということが、水が「感情」を表したと考えることも「ヤマカン」かもしれないけれど、「ヤマカン」でなぜ悪いと私は思うわけです。「ヤマカン」から、真の科学の出番です。小柴昌俊東大名誉教授やニュートンの先駆的事例があるわけですから…。
エセ科学だインチキだと嘲笑している人たちこそ、実は真の科学研究者ではないということです。彼らはりんごの木からりんごが落ちるのを見て、そこから先の発想ができない我々凡人の域を脱しえない人たちです。人の研究の揚げ足を取ることには長けていても、「ヤマカン」の発想すら出来ない人たちですから、彼らの中からは絶対にノーベル賞を取る研究者は輩出しないでしょう。
人類の福祉と幸せのために科学はあると思います。その道をめざして地道に研究していただきたいと我々凡人は願うばかりです。