がんと闘う(17)

鈴木ヒロミツ氏:夫人と長男にみとられ旅立つ

 1960年代のGSブームで活躍した「ザ・モップス」の元ボーカルで俳優の鈴木ヒロミツ(すずき・ひろみつ、本名弘満)さんが14日午前10時2分、肝細胞がんのため東京都千代田区の病院で死去した。60歳。東京都出身。今年1月初旬に末期がんで余命3カ月との宣告を受けた。自宅で療養していたが13日に入院。夫人と長男の雄大(ゆうだい)さん(20)にみとられながら、眠るように旅立った。

 鈴木さんが最後に発した言葉は、大学2年生になる一人息子の名前だった。14日朝、意識が薄れ始める前、「雄大、雄大」と何度も呼んだという。その後も夫人と雄大さんの呼び掛けにうなずくなど、息を引き取るまで最愛の家族とコミュニケーションを取り続けた。大の子煩悩で、昔からラグビー観戦などに親子で出掛けることが多かった。雄大さんの趣味の音楽についても語り合っていたという。葬儀では雄大さんが喪主を務める。

 腹痛などの体調不良を訴えたのは昨年12月末。年明けに都内の病院で検査を受けたところ、末期の肝細胞がんで余命3カ月と判明。家族とともに宣告を受け、別の2つの病院でも診察を受けたが結果は変わらなかった。「入院して延命をはかるより家族と過ごしたい」と強く希望し、自宅で療養を続けた。痛み止めを服用しながら週に1度、通院。入院した13日も通院日で、夕方まで訪れる見舞い客にしっかり応対していた。

 所属事務所ホリプロの関係者は「病気が分かった後は運命を受け入れて穏やかに過ごしていた。家族や周囲の人に最期まで気を使っていた」と説明。「音楽も食も、好きだった野球も、人生を楽しみ尽くした人だった」と話した。

 「芸能界一の胃袋」を自負し、「食わずに死ねるか!」の著書もあるほどの食い道楽。酒豪でもあり、12月末に腹痛を訴えるまで大病をしたことはないというほど健康には自信を持っていた。12月19日までフジテレビのドラマ「新美味しんぼ」(1月に放送済み)の収録に参加。同20~23日には大分県で、九州のローカル局の番組収録を元気にこなしていた。

スポーツニッポン 2007年3月15日

鈴木ヒロミツさん死去 肝細胞がん発見時すでに手遅れ

 所属事務所のホリプロによると、鈴木さんは昨年末に腹痛を訴えるようになり、年明けに都内の病院で検査。数日後、すでに末期の肝細胞がんで、余命3か月の告知をうけた。複数の病院に行ったが診断は変わらず。余命を家族とともに過ごしたいという本人の希望で、入院せず自宅療養していた。

 週1度、通院していたが、徐々に病状が悪化。通院日だった13日、そのまま入院し、翌朝帰らぬ人となった。病室では長男・雄大(ゆうだい)さんの名前を呼び続けていたという。最期は妻、長男にみとられ、呼びかけにうなずいたりする中、おだやかに永眠した。

 昨年12月20~23日に大分で撮影したテレビ九州放送の旅番組「きらり九州」(1月13日放送)が最後の仕事となった。また、16日放送のフジテレビ系「所轄刑事」(後9時)や、昨夏に撮影し、5月公開予定のオムニバス映画「歌謡曲だよ、人生は」にも出演し、映画では皮肉にも不治の病を宣告する医師役を演じている。

 鈴木さんは1967年、グループサウンズ「モップス」のボーカルとして「朝まで待てない」でデビュー。実力派として認められ「たどりついたらいつも雨ふり」などのヒット曲を出し、歌手の松任谷由実(53)もファンだった。

 71年にはモービル石油「気楽に行こう」編CMで、ガス欠の車を手で押す姿も話題に。それがきっかけで74年のバンド解散後は俳優に転身。TBS系ドラマ「夜明けの刑事」(74~77年)、映画「ロングラン」(82年)などで活躍、名脇役として評価を得た。ホリプロの創成期から所属し、明るい性格はスタッフからも親しまれた。

 02年にエッセー「食わずに死ねるか」を発売。“食べ物のストーカー”と自称するほど食い道楽。「同行する歴代マネジャーが4~5キロ太る」「食べ過ぎで救急車で運ばれた」などの伝説も。大食漢で飲酒も大好きだったが、大病を患ったことはなかったという。本人の希望で病気はごく一部にしか知らせておらず、関係者のほとんどが突然の悲報に驚きを隠せなかった。

 ◆鈴木 ヒロミツ 本名・鈴木弘満。1946年6月21日生まれ。武蔵大経済学部在学中に「モップス」を結成し67年「朝まで待てない」でデビュー。74年に解散後は俳優・タレントとして活動。一時は米ロサンゼルスで飲食店を経営し、著書に「ロサンゼルスで暮らす方法」など。血液型B。

 ◆60歳、早いよ愛川欽也悲痛な表情 タレントの愛川欽也(72)は14日、都内で取材に応じ、「びっくりしたよ。元気なイメージしかなかったから。60歳、早いよ」と鈴木さんの死に肩を落とした。1995年から1年間、愛川が司会を務めたテレビ朝日系の昼の情報番組に鈴木さんもレギュラー出演。「欽也さん、欽也さんって慕ってくれた」と思い出を口にした。15日の通夜は仕事の都合で参列は難しい。「まだ若いだけに、つらいお通夜になるんじゃないか…」と沈痛な表情だった。

(2007年3月15日06時06分 スポーツ報知)