がんと闘う(7)

忌野清志郎:「人生経験」喉頭がん

 ロック歌手の忌野清志郎(55)が喉頭(こうとう)がんで入院したことを13日、明らかにした。初期で発見できたため、声帯を傷つける可能性がある切開手術はせずに治療していく見通し。今夏予定していたライブへの出演はすべてキャンセルした。ファンには公式ホームページで「人生経験と考え、この新しいブルースを楽しむような気持ちで治療に専念できれば」と報告。がんと前向きに闘っていく。

 医師からがん宣告を受けたのは今月7日。6月末に「のどが痛い。風邪かなあ」とスタッフに違和感を訴えてから約10日後だった。関係者によると、想像もしなかった病名に思わず「えっ!?」と口にし、驚いていたという。12日に入院した。

 医師の診断によると、初期の喉頭がん。喫煙者に多いとされる。清志郎は以前1日1箱半程度吸っていたが、1年以上前に禁煙。酒はもともとたしなむ程度で、今年1月からやめている。心配されるのが「ロック界の宝」である、あの声。初期段階で発見できたため、切開手術以外の治療法になる見通しで、手術によって声帯を傷つける心配はなさそうだという。

 ただ、治療にどのくらいの時間がかかるかは現段階では不明で、不安はある。それでも入院初日の夜にいきなり「外出許可証」を願い出て医師に止められるなど“不屈のロック魂”は健在のようだ。

 5月20日から1カ月間、米ナッシュビルでアルバムの製作を行い、帰国後も市原悦子(70)主演のドラマ「雨やどり」(日本テレビ、18日放送)に出演するなど、歌に芝居に精力的に活動中だった。久しぶりに「RCサクセション」時代の盟友、仲井戸麗市(55)らと共演するはずだった計6本のライブもキャンセルせざるを得なくなり、その悔しさは計り知れない。

 ホームページではライブのキャンセルについて「申し訳ない気持ちでいっぱい」と謝罪。その上で「新しいブルースを楽しむような気持ちで治療に専念できれば。またいつか会いましょう。夢を忘れずに」と前向きに記している。

 2児の父。50歳で自転車乗りを始めた時には「強いお父さんになりたい。不死身の男を目指す」と話した。過酷な100マイル(160キロ)レースにも挑戦。その強い精神力で、がんに立ち向かう。

■忌野清志郎(いまわの・きよしろう)

本名栗原清志。1951年(昭和26)4月2日、東京都生まれの55歳。70年,RCサクセションでデビュー。「雨上がりの夜空に」「スローバラード」などの名曲を残し、91年に活動休止。一方で82年に坂本龍一と組んでシングル「イ・ケ・ナ・イルージュマジック」をヒットさせ、役者としても活躍。パンク版「君が代」が発売中止になるなど過激なパフォーマンスでも有名。愛好者として知られる自転車は、50歳を超えてから始めた。

■喉頭がんとは・・・(大久保クリニック・三宅健治院長)

喉頭がんは声帯付近に発生するがん。声門がん,声門上がん,声門下がんに分類される。最も多いのは声門がんで,60代後半が発症のピーク。10万人に3人の発症率で圧倒的に男性が多い。早期発見の場合、5年生存率は80%以上。初期症状として、喉の痛みや違和感、声がれがみられる。進行すると血痰などの症状も現れる。喫煙が主な原因で、発症者の95%以上が喫煙者というデーターもある。
治療法は主に放射線治療と手術治療。初期がんであれば放射線治療にかかる期間は約1ケ月半で、一般的に焼く30回の放射線照射が行われる。副作用で一般的に声が変わるかもしれないが、本来の声に回復するだろう。場合によっては通院治療も可能。早期の音楽活動復帰も十分に見込める。

喉頭がんになった著名人には,俳優の唐渡(からと)亮(37)がいる。99年に患い、3回の手術を受け01年に復帰した。津軽三味線奏者の高橋竹山さんは入退院を繰り返した末、98年に87歳で亡くなった。同じくのどがんでは、97年に勝新太郎さんが下咽頭(かいとう)がんのため65歳で亡くなっている。

スポーツニッポン 2006年7月14日