第2術科学校オープンラストのラストは、
歴史保存エリアの見学です。
エリアの広さとしては、
数分で回れる程度。
海上自衛隊発祥乃地碑からスタート!!
横の石碑には、
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昭和二十七年四月二十六日、
海上自衛隊の前身である海上警備隊がこの地で創設されました。
創設に際し戦後の海軍再建を検討したY委員会において
全国数箇所の候補地の中から、
地元と米軍の了解が得られた唯一の場所が、
ここ田浦の地だったのです。
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と書いてありました。
その先を進むと、
海軍通信教育発祥記念碑があります。
変遷は、ひとつ前のブログに書いてありますので、
こちらをご参考ください。
そしてこちらは、海軍水雷学校跡。
その奥には、上崎上等兵曹乃碑が姿を現します。
ちょっと見えにくいのですが、
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日清戦争で、
第六号水雷艇(艇長は鈴木貫太郎大尉(終戦後は内閣総理大臣)は
明治28年2月8日の威海衛の夜襲を決行し、
激しい敵弾を受けながら敵艦に水雷攻撃をしようとした。
だが、分厚い氷に発射管が閉鎖されたため
水雷を出すことができなかった。
上崎上等兵曹、36歳)は水雷攻撃ができなかった事に責任を感じ、
敵降伏後の3月14日に艇内において自刃した。
鈴木貫太郎艇長をはじめ艇員はその忠誠を永久に伝えるために
横須賀竜本寺にこの碑を建てた。
昭和43年5月18日に第二術科学校へ移した。
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という内容が記載されています。
これは、350馬力蒸気往復機関
昭和27から32年まで、えい船4号として使用、
除籍後は10年間教材として使用されていたそうです。
馬350頭分の力って想像がつかないですね
見学後は、同じ時間に掃海艇えのしま見学をしていた
モニター仲間さんをお迎えに。
そして、
海上保安庁の巡視船に乗船させていただきました!!
帰路で、第三隊舎を通ると…
「おいでおいで~」と手招きが。
急遽、隊舎内の見学!!
見てください、
この気持ち良い綺麗に畳まれているシーツ!!
私も見習わなくては
時間が足りない!!
もっとじっくり話が聞きたい!!
と思うくらい充実したオープンスクールでした。