仕事自体はさほど時間のかかるものでは無かったので、家族同伴のんびりと観光も兼ねて出立致し候。
名古屋でひと仕事こなし、松本への移動をゆるりと下道で向かう……中山道、木曽路を抜けながら。
人跡稀な山道を辿り、峻険なる木曾の山間に連なる宿場を、道中拾うようにして進んでいくと……………「朝日将軍」木曾義仲を育んだ日義村に辿り着く。





歴史の授業で習った記憶を辿ると、「愛すべき無頼漢」とか、「粗野で乱暴な田舎者」といったイメージであったと思う。
人には「時流に乗る」という事が大事で、木曽義仲なんぞはまさにそれに当てはまると思う。
「時流に乗って」上洛したものの、皇族や公家、その他魑魅魍魎に翻弄され、瞬く間に狼藉者の烙印をおされる。
京の手弱女にあしらわれ、衆の心は離れていく。
「こんなはずでは無かった………。」
義仲の本心だと思う。平家を都より追い払った功労者でありながら、気づけば、親殺しの嫡流たる頼朝に追われる身となる。
何故自分が?おかしいではないか?!地団駄踏む程、無念だったのではないだろうか。
「天皇にでもなってやろうか」
「時流」という馬鹿なものに足を突っ込んでしまった義仲が零した、唯一の皮肉だったのかもしれない。
都を追われ、「時流」から転げ落ちた義仲の心には、常にこの木曾の山々、木曽川の流れ、深淵なる水の輝きが有ったと思う。
「木曾に帰りたい……………。」今井兼平を頼り、近江へ落ちるものの、あえなく雑兵に討ち取られる。
木曾に帰してやりたかった、源氏復興という「時流」がやって来なければ、義仲はこの木曾の山々に抱かれ、都も天下も夢にも思う事無く平穏に、幸せに一生を閉じただろうと思う。
日義村から歩いてすぐの場所に、巴ケ淵がある。



義仲に終生寄り添った、巴御前はこの淵に住む竜の化身だと言う、言い伝えが残っている。